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「つかさ」と「ちひろ」

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 しかし、今の時代は、その自然災害というものが、
「実は、自業自得によるものだった」
 ということになると、結局は、
「神による因果応報」
 というわけではなく、
「人間自らが行った因果応報」
 ということが分かってくると、
「神の存在」
 ということも、曖昧になってくる。
「結局は、神がいようがどうしようが、自然災害という意味では、何ら変わりはない」
 ということになる。
 影響があるとすれば、
「人間が神をいかに洗脳という意味で利用するかによって、その結果が変わってくる」
 ということになるのだ。
 つまり、
「神というのは、人それぞれの心の中にいて、神が人間を作ったのではなく、人間が神を作った」
 ということを理解していれば、今の自然災害も、もっと早く気づくことができたかも知れない。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
 とは、まさにこのことなのだろう。
 出版社会の
「自費出版社系」
 というのも、それだったのかも知れない。
 確かに、仕組みとしては、
「よく考えられたものだ」
 といってもいいかも知れない。
 それまでに、
「作家になりたい」
「本を出したい」
 と考えている人は、方法としては、
「有名出版社主催の新人賞に入賞する」
 ということがまずある。
 これが一番の近道なのだが、問題は、
「入賞しても、そこから先、世間は、入賞者ということで、さらなる高みを望んでくる」
 ということで、
「それに作家がこたえられるか?」
 ということが問題になる。
 しかも、
「入賞したことで、有頂天になってしまい、それが、災いする」
 という人もいる。
「入賞がゴールだ」
 と思うからだ。
 だから、中には、
「これ以上の作品を自分には作ることができない」
 と思う人がいて、そこで、世間や出版社の、
「望む作品」
 というものが書けず、
「本当のプロ作家」
 になれないまま、実際には、
「アルバイトで食いつないでいる」
 という人がたくさんいるということだ。
 実際に、毎回いろいろな出版社で年間にして、何百人と、入賞者がいて、作家への道が開けるのであるから、その時点で、
「生き残りをかける」
 ことになる。
 つまりは、
「プロになった時点で、生き残りの戦いが始まっている」
 ということになるのだ。
 だから、有名出版社の新人賞は、
「プロが確約された」
 というわけではなく、
「プロ作家への登竜門」
 というだけのことである。
 そして、もう一つの作家になりたい人が行う方法としては、
「出版社に直接、原稿を持ち込む」
 ということである。
 この場合は、ほぼ間違いなく、
「持ち込んだ原稿が読まれる」
 ということはない。
 元々、本を出したことがあり、
「かつては、プロ作家だった」
 という人であれば、中には読んでくれるかも知れないが、
「まったく、名も知られていない」
 という素人作家が、原稿を持ち込んだとして、誰が読むというのか。
「出版社の編集者は、担当の作家のフォローだけでも大変で、編集長ともなると、それを統括するということになるので、暇はない」
 ということだ。
 しかも、
「作家になりたい」
 という人が毎日のように、何人も来るのだから、会ってくれるだけでもマシな方で、へたをすれば、
「門前払い」
 あるいは、
「編集簿を持ち込んだ人が出た瞬間に、原稿はゴミ箱の中」
 というのが当たり前だということになるだろう。
 だからこそ、
「原稿を送ってくれたら、必読し、批評を書いて送り返します」
 というのは、説得力があった。
 実際に原稿を送り付けて返ってきた内容を見ると、確かに批評されて返ってきていた。
 しかも、その批評というのも、読んでみると、
「説得力がある」
 というものである。
 その内容には、ちゃんと、批評がしてあった。
 つまりは、
「歯の浮くような誉め言葉」
 だけではなく、
「悪いところを指摘する」
 という、本当の意味での批評というものも書かれていた。
 しかも、
「最初に批評をしてあってから、そのあとで、相手を褒めている」
 のである。
 つまりは、
「一度落としておいて、持ち上げる」
 ということで、その持ち上げる時に、
「前述のような欠点はあるが、それを補ってあまりある」
 というほどに、後半では褒めるということで、同じ褒めるにしても、
「相手をいかにいい気分にさせるか?」
 ということが分かっているというものであった。
 その中に、協力出版のお願いと、その見積もりが入っているのだから、
「本を出したい」
 と考えている人としては、まず、出版社に対しての、
「疑心暗鬼はなくなった」
 と思っただけでも、
「お金を出してもいいのではないか?」
 と考える人も多いことであろう。
 やはり、誰もが、
「騙されているかも知れない」
 という疑心暗鬼に陥るだろう。
 しかし、相手が、
「褒めるだけではなく、批評もきちんとするところだ」
 と思えば、その疑念も晴れるというものであろう。
 だから、中には、
「借金をしてでも本を出したい」
 と思うに違いない。
 考えてみれば、元々は、
「お金がかからない趣味」
 ということで始めたはずなのに、それが、
「本を出したい」
 ということ、
「作家になりたい」
 と思うということが、
「お金がかかる」
 ということと優先順位が変わるのだ。
 それは、
「趣味ではなく、実益にしよう」
 という気持ちからで、それこそ、
「一種の欲というもの」
 ではないだろうか?
 そういう意味で、
「本を出したい」
「小説家になりたい」
 という魅力は、
「お金を出してでも」
 いや、
「借金をしてでも」
 と考えるだけの魅力があるのだろう。
 今の時代に、プロ作家と呼ばれる人でも、
「夢の印税生活」
 などというのが、そう簡単にあるわけではないだろう。
 街を代表するような大きな本屋に並んでいる本の作家と呼ばれる人が、どれだけたくさんいるか?
 ということを考えれば、その中で、本当に、印税だけで暮らしていける人がどれだけいるというのだろう。
 当然、
「一冊が売れた」
 というだけで、
「一生の暮らしが保障されている」
 などということはない。
 それこそ、
「一発屋」
 と呼ばれて、忘れ去られるだけだ。
 それだけ、ヒット作というものを、どんどん作り出し、世に出していく必要がある。
 そして、それが、すべて売れなければ、先はないわけであり、ある程度の歳月がたてば、どんなにヒットしたシリーズであっても、忘れ去られることになる。
 それが、
「ブーム」
 ということであり、宿命ということになるのだ。
 有名出版社から、作家としてデビューし、一世を風靡したといわれる作家でもそうなのだ。
「誰も知らないような作家の、名前も聞いたことのない新興出版社の出した本」
 というものを、そもそも、有名書店が置いてくれるはずもない。
 それこそ、
「数ある有名小説家」
 が、いっぱい作品を書いてくるわけで、
「一日で、何冊の本が発売されるか?」
 と考えると、本屋にだって、売り場スペースが限られているわけで、