「つかさ」と「ちひろ」
と思っていたことで、余計に何も感じることはなかったのだが、ハコ長としても、清水巡査のどことなくおかしな雰囲気を感じたのか、なるべく、清水巡査の方を気にしないようにするのだった。
それが、
「自分主体での会話」
というものを演出することであり、それが結局、
「清水巡査に余計なことを言わせない」
ということになるということであろう。
「10日もの間、捜索願を出そうとは思わなかったんですか?」
と言われた山内夫婦は、どこかバツの悪そうな表情で、アイコンタクトを取っていたようで、少しためらっていたが、意を決したかのように、
「実は、娘は、看護婦ということで夜勤というのも、結構あるので、帰ってこない日があっても、あまり気にしていなかったんです」
という。
「でも、それだって、食事の用意があったりするから、娘さんの予定を聞いておくということがあるんじゃないですか?」
とハコ長が聞くと、さらに、バツが悪そうに、
「確かにそうなんですが、あの子は、あまり親に話しをする子ではなく、昔から、家出癖というものがあったんです。でも、家を黙って開けるのは、今までは一週間が限度でそれ以上ということはありませんでした」
という。
「なるほど、だから10日経って、やっと警察に来られたというわけですね?」
というのだ。
それを聞いたハコ長は、
「事情がいつもと違うのかも知れませんよ? お子さんも年齢としては30歳になるということなので、誰か男性のお知り合いができたとも考えられませんか?」
と話してみた。
すると、今度は奥さんの方が。
「それも考えてみましたが、最近のあの子は相変わらずの生活で、とても、彼氏がいるという雰囲気ではありませんでした。あの子は、すぐに顔に出やすい方なので、彼氏ができたとすれば、すぐに分かるというものです」
というのだった。
清水巡査としても、
「最初に来た水沼つかさという女も似たようなところがあって、すぐに顔に出やすいタイプに見えた」
と感じたのを思い出していた。
「似た者同士」
という友達関係だったということになるのであろう。
ただ、清水巡査がもう一つ気になったのが、
「この場に、水沼つかさがいない」
ということであった。
そもそも、失踪したとされる日から数日で、ここに、
「藁をもつかむ」
という気持ちできたということなのに、あれから、一度も連絡もなければ、姿も現さないではないか?
「藁をもつかむ」
というほどの心配なのであれば、もっと頻繁に連絡を取ってもいいだろう。
まさかとは思うが、
「実際に見つかって、本来であれば警察に、見つかった旨をいうのが本当」
だということなのだろうが、中には、
「見つかったんだから、いいだろう」
といって、礼儀を通さない人。あるいは、
「最初から書面による届を出していないんだから、どうせ、ロクな捜査はしてくれていない」
と思い込むことで、
「連絡なんかいらない」
と思っている人もいるかも知れない。
それであれば、
「警察というものが、想像以上に、庶民から嫌われている証拠なのではないか?」
ということになるだろう。
実際に、これまでにも、
「警察は嫌いだ」
ということで、捜索願を出さずに、ストーカー犯罪に巻き込まれていたということもあったという。
「被害届さえ出してくれていれば、もっと他に何とかなっただろうに」
ということで、刑事課も、生活安全課も、何とも言えない気持ちになっていたというのも、無理もないことだったに違いない。
今でこそ、いろいろな法律ができて、犯罪の抑止であったり、取り締まりに役立っているということであるが、実際には、
「犯罪が社会問題化してから、実際に法律ができて、それが庶民に浸透するくらいになるまで、どれだけの時間が掛かるか?」
ということである。
もっと言えば、
「その間にも、被害者は増えていっている」
といってもよく、
「実際に犯罪がピークの時を通り過ぎてから、沈静化される時期になってきて、やっと法律が整った」
ということで、数字だけを見て。
「犯罪の抑止になっている」
というのであれば、とんでもない話である。
つまりは、
「ピークを越えたことで、ブームが過ぎ去ってから法律ができる」
というだけのことで、
「だったら、法律なんかいらないんじゃないか?」
というのが、被害者側からの気持ちであろう。
ただ、いくら沈静化してきたとはいえ、その種の犯罪がなくなったわけではないので、実際には、
「これからの抑止にはなる」
ということになる。
しかし、それまでの被害者は、
「法律がない」
ということで動けなかったことから、
「被害に遭った」
ということで、要するに、
「世間の怠慢のせいで間に合わなかった」
と思うに違いない。
「決して怠慢ではない」
と、普通なら思うかも知れないが、当事者には、許されることではない。
それを思えば。
「自分たちは、生贄になったんだ」
ということになる。
それこそ、
「人柱」
のようなもので、
「死んでからありがたがられる」
ということで、被害者からすれば、
「世間も警察も恨みたくなる」
といってもいいだろう。
「世間一般で、他人事として見ている連中が、同じ目に遭って、それでも、放りtsyができてよかった」
と手放しで喜ぶことができるというのだろうか?
それを考えると、
「娘がいなくなった」
ということでの不安が、
「どんどん募ってくる」
というのは当たり前だといえるだろう。
特に、
「ストーカー殺人」
というのはひどいもので、そもそもストーカーというのは、
「自分の欲望しか考えない」
もっといえば、
「自分だけが正義だ」
と思っている連中なので、それこそ、
「自分には、生殺与奪の権利というものがある」
とでも思っているかも知れない。
「生殺与奪の権利」
というのは、
「誰かの生き死にの権利を有している」
という考えで、
「昔の奴隷制度」
などというものがあった時代には、
「奴隷を抱えている人は、奴隷に対して、生殺与奪を持っている」
ということになるのかも知れない。
確かに
「奴隷というものは、奴隷自身も、そういう運命だと考えていた時代だった」
ともいえる。
だから、今の時代とは違うが、結局は、
「奴隷解放」
というものが行われたのだから、
「生殺与奪の権利」
というのは、誰にも存在しないといってもいいだろう。
ただ、かつての、
「奴隷解放」
というのが、人権というものだけを考えてのことだったのかというのは怪しいもので、
「ひょっとすると、奴隷解放を唱える人の中には、自分の利益を計算して」
ということで、あながち、
「正義のため」
というわけではなく、
「利害が正義を貫くことと一致した」
というだけのことなのかも知れない。
ただ、それでも、
「奴隷解放が行われ、自由を持てるようになった」
ということに関しては、それを、
「正義が果たせた」
といってもいいだろう。
そこまで考えた時、清水巡査の頭に、
「水沼つかさ」
という女性の顔が頭に浮かんだ。
作品名:「つかさ」と「ちひろ」 作家名:森本晃次



