数学博士の失踪(後編)
「権力の前では、すべてがひれ伏す」
ということになり、その中では、
「精神疾患者というものは、その視界にすら入らない」
と言えるのではないだろうか?
あくまでも、
「法律や世の中の風潮」
というものが、精神疾患者というものの存在を伝えるというだけで、自分の中での現実には。
「そんなものは存在しない」
ということになるのであった。
まどかは、そんな社会の仕組みというものを分かっているわけではない。
いまだ高校生で、今から大学受験ということで、
「受験戦争」
というものを、
「当たり前のこと」
としてしか理解していない。
実際には、
「大学受験というものが、大人への階段と考える」
ということであった。
その考えは、ほとんどの高校生が思うものであり、大学受験を考えたが、実力が及ばないということに気づかされる人もいる。
さらには、
「先生から、引導を渡される」
という人もいて、
「志半ばで、大学受験、さらには、その先にあるエリートコースをあきらめる」
ということになるのだろう。
まどかは学校のことしか分からないが、会社の方のことも、少しは考えるようになっていた。
それでも、どこまでが見えているかということが分かるはずもない。
実際に、父親が、会社員というわけでもない。母親も、元大学院生だということで、まどかの家は、
「学者一家」
といってもいい。
そういう意味で、
「自分も心理学の道を」
と考えたのも、無理もないことだと思い、何の疑いもなく、勉強をしているのであった。
まどかが、将来、
「心理学者になれるかどうか?」
というのは、いまだ未知数ということであるが、父親の筒井博士は、
「うちの娘なら、できそうな気がする」
と思っていた。
それは、
「親としてのひいき目」
ということではない。
まどかとの会話の中で、何か光るものを見つけたということであろう。
それが、どのようなものだったのかということは、自分でもよくわかっていないが、それが分かったとしても、自分とは少し違ったところを歩んでいるので、
「まず分かることはないだろう」
と思うのだった。
というのは、
「同じような道を、違う道から歩いている」
ということで、それこそ、
「交わることのない平行線」
をイメージしていた。
それは、親子で同じようなイメージを抱いているのであり、それが結局、
「お互いに犯してはならない領域」
というものであることを感じていた。
それこそ、
「絶対領域」
といってもいいものかも知れない。
この言葉は、違う意味で使われる、若者言葉だという。
しかし、まどかも、筒井博士も、
「そんな俗っぽい言葉」
というものを知ることはなかった。
二人はそれぞれに、
「自分は他の人とは違うんだ」
ということを感じていた。
それこそが、
「自分というものを証明する、唯一の手段だ」
と考えていたのだ。
それがいわゆる、
「エリートの考え方」
と言えるのではないだろうか?
そもそも、エリートというのがどういうものなのか、二人には分かっていない。
それこそ、
「官僚」
のように、国家試験をパスして、そこから敷かれたレールを歩むということである。
しかも、これは他の人とは、決定的な違いがある。それが、
「加点方式」
というものと、
「原点方式」
というものの違いと言えるだろう。
エリートと呼ばれる、いわゆる、
「キャリア組」
というのは、原点方式である。
というのは、
「最初のスタートは100点満点から始まる」
ということで、そのキャリアとしての経歴の中で、少しでも失敗すると、どんどん減点されるというものだ。
しかし、ノンキャリアというのは、最初が0点から始まるということで、そこからの出世ということであり、いわゆる日本で言われるところの、
「年功序列」
というものだ。
官僚ともなると、テストがそこに入ってくるのだろうが、普通の会社であれば、いまだに、バブル崩壊前の、
「年功序列」
というものが生きているだろう。
「ある程度の年齢になれば、階段式に出世を果たす」
ということで、そこに、実績が加われば、他の人よりも出世が早いということになるだけだ。
しかし、ノンキャリというのは、
「どんなに頑張っても、キャリア組に追いつくことはできない」
ということだ。
最終的な階級はほとんど決まっていて、それ以上には、絶対になれないのだ。
もしなったとすれば、
「それまでの、キャリアという体制は、根底から覆ることになり、それは、官僚という組織の中で、あってはならない」
ということになるわけである。
だから、
「キャリア組は、生まれ持ってのエリート」
といってもいいだろう。
それがいわゆる、
「交わることのない平行線」
ということで、
「絶対に、エリートを超えることはできない」
と言える。
それを考えると、
「江戸時代における、士農工商と呼ばれた身分制度」
というものを思い起こさせる。
つまりは、
「武士に生まれたものは、死ぬまで武士。他の職業も、死ぬまで一緒」
ということである。
これは、職業を勝手に変えることはできないというもので、そうしておかないと、勝手に職を変えられると、幕藩体制というものが揺らぐからだということである。
あくまでも、
「差別による身分制度」
ということではなく、
「自分たちが国を治める」
ということにおいて、仕方のない政策だったということなのかも知れない。
「身分制度」
というのは、いわゆる、
「差別」
ということを中心に考えられるが、そういうことではない。
それは、やはり古代や、アメリカ初期における。
「奴隷制度」
というものが存在下世界情勢から見えてくるというもので、そもそも、日本の歴史の中で、見えている部分において、
「身分制度」
というものは存在しないということである。
それを考えると、
「身分制度」
というものが、奴隷制度に基づくものではないということから、
「本当の差別問題」
というものとは、切り離して考えなければいけないものなのではないだろうか?
父親は、数学博士として、
「どんな研究をしていたのか?」
ということを、まどかは知らない。
前は、
「そんなことを知りたくもない」
と思っていた。
それは、
「父親は父親、自分は自分」
ということで、
「いくら父親といっても、人間的には他人だ」
と思っていたことから、
「他人と同じでは嫌だ」
という考えから、余計にそう思っていた。
しかも、父親も同じ考えだと考えていることが分かると、余計にその考えに固執するということであった。
「お父さんの考え方が、遺伝したのかな?」
とも思ったが、ハッキリとそうだとは言い切れない。
それを考えると、
「お父さんがどこに行ってしまったのか?」
ということも、
「何かの犯罪に巻き込まれた」
という考えよりも、
「自分から姿を消した」
と考える方がしっくりくるという風に考えていた。
この考えは、わりかし早くから考えていたということであり、
作品名:数学博士の失踪(後編) 作家名:森本晃次