数学博士の失踪(後編)
商品開発において、数学的な発想を無視するわけにはいかないということで、まどかは、自分の父親が数学研究者であるということに誇りを持っていた。
少なくとも、中学生までは、手放しにそう思っていたのだ。
高校生になり、自分が、
「心理学を志す」
と考えるようになると、
「数学者というものって、本当に必要なのだろうか?」
と、初めて父親の目指すものへの疑問というものが生まれてきた。
それは、同時に自分が目指す心理学に対しても同じだった。
自分の気持ちとしては、心理学というものが、世の中では絶対に大切で、不可欠なものだということをしっかり分かっているつもりであったが、父親を否定するように感じた自分の心境に、どこかジレンマのようなものが感じられたということであった。
まどかとすれば、
「父親の存在というものを、どこまで考えるか」
ということであるが、そんなことを考えているうちに、父親が行方不明になったのだった。
その理由も何もかも分からない。まどかとすれば、自分の中で、
「父親を否定した」
という感情が、現実になったのではないかと思うのだった。
本来であれば、
「そんなバカな」
と思うことであろう。
しかし、まどかは、心理学を志す人間だという意識があることで、自分の考えというものが現実になったと感じる以外にはなかったのだ。
まどかは、自分を責めて見た。
しかし、それも、本来であれば、
「父の失踪」
というものがどういうものなのか分かったうえであれば、考え方の方向も定まるというものだが、まったく分からないのであれば、それこそ、
「闇雲」
というもので、それ以上でもそれ以下でもないという考えが、頭の中を渦巻くということであった。
まどかというのは、
「自分の中で、何を考えているのか?」
ということが急に分からなくなることがあった。
それを、自分の中で、
「精神疾患ではないか?」
と感じるのだが、そう思えば思うほど怖くなる。
それは、
「他人に知られてはいけない」
という考えで、それは、
「差別を受ける」
という考えの延長といってもいいだろう。
実際に、診断を受ければ、自分が進みたいと思っていることを、すべて断念しなければいけない。
会社勤めの人が、会社にいけなくなり、解雇されるということになるのを考えると、あまりにも理不尽で、考えたくもないことであった。
そもそも、その精神疾患の理由が、会社の中でのいじめというものからきているとすれば、それこそ、会社が解雇するというのは、本末転倒である。
だから、今の時代では、精神疾患に陥って、休職を余儀なくされた人に、弁護士がつくことで、
「自分を守る」
という人もいる。
そもそも、会社側には、
「加害者意識」
というものがないだろう。
そもそも、それまでまともに就業できていた人が、できなくなり、それを病院で診てもらったところ、
「精神疾患だ」
と診断されたのであれば、事情を考えれば、すぐに思い浮かぶのは、
「上司や先輩による、ハラスメントではないか?」
ということである。
しかし、実際にはそうでも、なかなか会社というのは、それを認めようとはしない。
「こんなやつは初めて見た」
あるいは、
「お前はそれで、よく今まで生きてこられたな」
などという言葉を平気で口にする上司や先輩がいる。
さらには、
「脅迫観念」
つまり、
「脅しをかける」
ということで、社員にプレッシャーを与えることが、どれほど、相手の神経を傷つけているのかということを分かっていないのである。
「見えないナイフで傷つけられるのと同じだ」
ということである。
「言葉の暴力」
とはよく言ったもので、
「追い詰める方は、追い詰められる人間の気持ちなど分かるわけもない」
ということだ。
しかも、そんな会社では、
「ハラスメント上司の言っていることに間違いはない」
ということで、他の人も、自然と上司の味方になっている。
ハラスメントを受ける人間は、次第に、
「まわりすべてが敵になる」
ということで、どうしようもない状況に追い込まれるということであった。
そうなると、
「気持ち的に引きこもるしかない」
ということになり、余計に会社側は、
「余計な社員を請け負った」
ということになるだろう。
そもそも、それが、
「上司のパワハラによるものだ」
という意識は会社にはない。
そんなパワハラ上司というのは、会社では、
「優秀な人間」
ということで位置づけていることから、全面的に、彼のことを信用し、完全に、精神疾患者は孤立するということになるだろう。
いかに会社が、
「ハラスメントは禁止」
という名目を立てていても、実際に、ハラスメントを行っている人を信じているのであれば、どうしようもない。
それこそ、
「会社ぐるみで、精神疾患者を作ってしまった」
ということになる。
そんな会社が、この世にはたくさん存在しているということが、本来の社会問題だということになるのだから、それこそ、
「今の社会体制自体が、社会問題だ」
ということになるだろう。
それこそが、
「社会の大きな溝」
ということであり、
「決して埋まらない溝だ」
ともいえるだろう。
今の社会をどうするか?
ということは、
「タマゴが先かニワトリが先か?」
ということで、どこから手を好ければいいのかということになるのだろうが、実際には分かるわけはない。
そもそも、そんな社会問題に、真正面から立ち向かうような人はいないだろう。
実際には、社会問題として研究をしている人もいるかも知れないが、あくまでも、他人ごととして、
「第三者委員会」
というような、他人ごととしてしか見ていない人に、その奥にある
「暗黒の世界」
というものが見えるわけはないのだ。
それを考えると、
「ずっと回り続けるものを、どこで切るかということになり、それこそ、金太郎飴のようなものであり、さらには、ハツカネズミが檻の中で、永遠に回り続けているその姿を思い浮かべてしまう」
といってもいいだろう。
それこそ、
「無駄なことをしている」
としか思えない。
堂々巡りというものが、本当に無駄な努力なのかということを感じさせるということになるというものだ。
実際には、
「そんなことはよくわかっている」
という人も、会社の中には一定数いるのではないだろうか。
しかし、そんな人は悲しいかな、
「力のない人」
ということで、人を動かすだけの権力を持っていない人ということになる。
そもそも、そんな人間であっても、権力というものと、人情を天秤に架けるとすれば、どちらになびくかというと、さすがに、権力になびくということであろう。
しかも、
「権力になびく」
ということの方が、賢い選択と考えるとすることで、人情というものを見ると、
「人情では飯は食えない」
ということになるわけだ。
人情というものが、実に甘いものかということを考えてしまうと、権力というものが正義に見えてくるのだから、そうなってしまうと、精神疾患者が見えなくなるというものだ。
作品名:数学博士の失踪(後編) 作家名:森本晃次