数学博士の失踪(後編)
浅井部分というのは、結構距離の近い部分で、簡単にその因果関係のようなものが解明できるところで、深い部分というのは、そう簡単には解明できないが、それが解明されると、それこそ、ノーベル賞者だと言えるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「娘のまどかも、博士になれるのではないか?」
ともいえるのだ。
バーの中にいると、次第に見えているのに、まわりが見えなくなってきているように思えた。
というのも、
「見えないのに、その存在を意識する」
というのが幽霊や妖怪だということであるが、逆にここでは、
「見えているということが分かっているのに、意識することができない。つまり、存在を意識することができない空間だ」
と言える。
それが、
「時間の感覚を捻じ曲げているのではないか?」
ということになるように思えるのであった。
もっといえば、
「何かの力が働いている」
ということもいえる気がした。
「そういえば、この店に入ってから、誰かが声を発したという記憶がない」
と思った。
時間の感覚がマヒしているので、この店に入ってからどれくらいの時間が経ったのかということを、すぐに意識することはできなかった。だから、スマホの時間を見ると、
「もう、店に入ってから、1時間半も経つのか?」
というほどだった。
まどかの意識としては、10分も経っていないという意識だった。それなのにということである。
実際に、時間が経ってみると、いろいろな想像が頭をよぎる。
「まるでここの空間が凍り付いたようだ」
と感じた。
というのは、誰もしゃべらないというものその理由だが、それ以上に、
「誰も動いている様子がない」
という感覚だった。
ただ、店に入った時は動いていたはずの空気だった。いや、それこそ錯覚で、表の扉を開いて、店の中をのぞいた時は、普通だったのだ。店に入った瞬間に、人の動きがなくなったのではないかと思えた。
しかし、最初が普通だっただけに、動きがないと気づいた瞬間からさかのぼると、その始まりがいつだったあのかということを感じることができなかった。それこそ、錯覚ではないかということを後から感じるのであった。
実際に、動いている人がいないというのも錯覚であるが、まったく動いていないわけではない。
マスターは、奥に入ったきり出てこないというのは、最初は、
「客の注文にこたえていたからだろう」
と思っていた。
客は一人だけで、その人が動いていないのだった。
その客の顔を、そういえばまじまじと見たという思いがなかった。
もっとも、人の顔をまじまじと見るというのは、相手に失礼だというのは、当たり前のこととして分かっていることであった。
だから、見ようとしなかったのだが、こここに至っては、見ないわけにはいかない。
その人は、年齢としては、30代前半くらいであろうか?
横顔だけを見ていると、遠藤探偵に見えなくもない。しかし、その表情は凍り付いていて、無表情であった。
無表情というのは、
「何を考えているのか分からない」
というもので、実際に、ただ必死に考えているというのが分かってきた。
「この人が何かを思いつけば、この環境は打破できそうな気もする」
とも感じたのだ。
ということは、
「この人の感情が、この空間を支配しているということか?」
とまどかは感じた。
ということは、まどかの感情も、この空間に何らかの影響を与えているのかも知れないともいえる気がする。
その人は、必至に考えているのが分かると、額から汗がにじんでいるのも分かってきた。
その汗の流れるスピードは、普通のスピードで、凍り付いている顔が、逆に灰色に見えて、まるで、死人のような感じでもあった。
だから、その人の顔が見えているのに、意識できないのかも知れないと、まどかは感じていた。
「この人が何を思いつくのか興味がある」
ということであったが、そう思えば、その人が次第に、父親に見えてくるから不思議だった。
そう思えば、
「若い頃のお父さん?」
とも思えた。
確か、昔のアルバムということで、中学生の頃くらいに、父親の若い頃の写真というものを見たことがあったような気がした。
「すると、この世界は、巨大なタイムマシンのようなものなのだろうか?」
と思うと、その空間には、時間をゆっくりと動かす力があると言えるのであろう。
「ちゃんと自分でも、この空間は時間の流れが普通と違う」
という風に考えたではないか。
大団円
そこまで分かっていて、どうして、空間が凍っていると思ったのだろう。
この空間は、一つのことが分かると、逆に二段階後退するということになるのではないかと感じるのだった。
「一歩進んで二歩下がる」
などという昭和の名曲もあったが、まさにその通り。
しかし、そのことに何のメリットがあるというのか、まどかがそのことを考えさせられるのであった。
実際に、時間があまりにもゆっくりと進む空間で、必至に考えている人がいる。その人は、父親の若い頃そっくりではないか。そんな父親の姿を娘が横で見ている。
しかも、父親の年齢は、
「自分が生まれた時くらいの年齢ではないか?」
ということであった。
「夢ではないか?」
とふと考えると、今度は、
「都合がいい」
という風に考えた方がいいと思うようになった。
「父親は、何かの研究を行い、その結論に達するその直前に、卓越した世界を自分の中で作りあげ、それを、私の夢の中で演出することで、自分にとっての都合のいい世界を作ろうとしている」
という思いをまどかは描いたのであった。
今回は、
「まどかは夢を覚えている」
というのか、
「夢の中で、意識ができた」
ということであった。
それこそ、
「見えるのに見えていない」
というまるで、
「石ころのような世界」
というものが自分の夢の世界ということになる。
ただ、
「石ころ」
というものに対して、無意識になるという世界は、明らかに起きていて見るものではないか。
そのことを考えると、
「起きてみる夢」
というのもあるわけで、それが、いずれは、何かの成果を導くことになる。
ということである。
しかし、その成果が本当にかなったかどうか、わからない。それが、夢の世界との境界線にヒントがあるということであれば、それこそ、まどかの研究したい、
「心理学の世界」
に通じるものがあるだろう。
そして、その心理学の世界というものを突き詰めていくと、数学博士としての父親が、まさに今生み出そうとしている理論が生まれる瞬間に立ち会っている気がした。
それはまさしく、
「自分が母親から生まれる瞬間」
というものを覚えていないのと同じで、それを、今父親が意識しようとしているように思える。
父親の研究が、
「マイナス×マイナス」
というものを一般的には
「プラス」
と言われているが、父親は、
「プラスもあれば、マイナスもある」
ということで、
「正解は一つではない」
ということを証明しようと考えていた。
作品名:数学博士の失踪(後編) 作家名:森本晃次