数学博士の失踪(後編)
ということである。
「数学者の方が、探偵よりもよほど堅物に思えるんだけどな」
と、まどかは感じたが、その感覚は、
「店が主導で感じることだ」
と思えば、
「父親は、堅物ではないと思ったのではないか?」
とかんじた。
実際に、まどかも、
「父親を必要以上な堅物だ」
とは思っていない。
むしろ、
「数学者は、可能性を求める学問」
ということで、自分の目指す心理学というものと、どこか似ているところがあるのではないかと感じるのだった。
以前、読んだ本で、
「流れる時間のスピードが、特殊なところ」
というような話を読んだことがあった。
その小説は、まるで見てきたかのような話しから、
「リアルだ」
ということで、ベストセラーになったものだったが、その期間は短かった。
実際には、ベストセラーというのは、一部の人たちにだけで、それこそ、
「玄人受けする小説」
ということでの評判だったのだ。
実際には、
「リアルすぎる」
ということで、読者の中には、
「怖すぎて眠れなくなった」
というクレームをいれてくる人もいるというくらいだった。
実際であれば、
「買わなければいい」
というだけのことなのだが、実際に、出版社がこの小説を、
「ベストセラー間違いなし」
であったり、
「黎明期を彷彿させる小説」
などという触れ込みだったことで、興味津々で読んだ人も少なくなかった。
実際には、
「小説というものを、いかに楽しむかというだけのことなのに、作者の思いが入りすぎるとどのようなことになるか?」
ということを思わせるものだった。
しかし、実際には、
「作者の思い」
というものはそれほど入っているわけではなかった。
本人とすれば、
「自分が経験したことを、そのまま書いただけ」
ということであるが、そこに、作者の思いが無意識に入っていたのであろう。
読者の中には、
「夢小説だ」
といって、夢の中の想像を、リアルに描きすぎると、玄人受けはするが、素人には難しすぎるということになるのだろう。
だが、その小説をまどかは、
「興味を持って読んだ」
ということである。
同級生の中には、
「読むんじゃなかった」
という人が何人もいたが、まどかには、
「まるで自分の言いたいことを書いてくれているようだ」
と思っていた。
きっと、そこが、
「数学者の父親を持ったことでの遺伝というものではないだろうか?」
ということであった。
確かに、
「時間の流れが違った世界」
という発想は、それこそ、
「数学の発想に似ている」
と言えるだろう。
しかし、まどかは、自分では数学に造詣が深いというわけではない。どちらかというと、
「数学は嫌いだ」
という方であった。
答えが一つしかないという発想に、納得がいかないところがあった。
しかし、実際には、
「一つではない答え」
というのもたくさんあり、それが、
「問題を解くプロセスによるものだ」
ということで、
「数学は嫌いだが、算数は好きだった」
というのが、まどかだったのだ。
実際に、中学生になると、
「算数はできたのに、数学になって急に成績が下がった」
という友達は結構いた。
そんな人達をまどかは、
「友達」
という表現ではなく、
「仲間」
と表現している。
確かに、数学が、算数の発展形ということであれば、数学が分からなくなったと考えるのも無理もないことだろう。
しかし、実際には、
「算数の文章題というものを式にしたものが、数学の方程式というものだ」
ということになるわけで、
「数学は、算数の問題を証明したという意味で、発展形というよりも、数学で解くというやり方が、一番便利だ」
ということでしかないだろう。
だから、
「算数ができなかった人も、数学の方程式さえ分かれば、文章題は難しくはない」
と言えるだろう。
しかし、方程式というのは、
「答えを求めるためのいくつかの公式を織り交ぜることで、それこそ、魔法のように問題が説けるというのが、数学だ」
ということになる。
そう考えると、
「算数の方が面白かった」
と思う人も多い。
算数というのは、
「答えさえ合っていれば、途中の考え方さえ間違っていないということで、いくつもの解き方がある」
ということである。
方程式というと、
「それぞれの公式を正しく組み合わせないと、答えにたどり着けない」
ということで、
「数学は、答えも解き方も一つだ」
ということになる。
そのように、表面上で考えてしまうと、
「数学というのは、面白くもなんともない」
と言えるだろう。
しかし、自分が研究する心理学というものは、
「数学というよりも、算数」
といってもいいかも知れない。
答えが一つであっても、その論理が合っていれば、解き方は幾通りもあっていいということになる。
それこそ、心理学なのかも知れない。
似たような
「症候群」
であっても、結局は、
「答えは一つ」
ということで、心理学者は、その法則というものを解こうとするのだろう。
そこには、
「数学的な考え」
であったり、
「科学的な発想」
というものが出てくるといってもいい。
しかも、
「数学の中には、算数の発想」
というのが含まれていて、その発想が、
「算数というのが、むしろ数学の発展形なのではないだろうか?」
ということである。
心理学でも、実は、
「似たような発想」
というものがいくつもある。
その発想が、小説の題材になることで、
「数限りない、症候群」
というものが生まれてくるのだ。
「無限というものを、何で割っても無限にしかならない」
という発想が、いわゆる、
「フレーム問題」
というものを引き起こすという、ロボット工学に通じる発想というのもあったりするのだ。
夢というのも、その発想が、果てしなうということから、
「時空を飛び越える」
という発想もある。
その発想が、
「夢というのは、どんなに長い夢であっても、目が覚める寸前の数秒間に見るものだ」
という理論を生み出すというものである。
確かに、
「数年間の思い」
というものを、眠りについてから数時間の間に飛び越えるように見るというのであるから、実際に見ている夢が、どんなに長くても、数秒間しかないと言われたとしても、
「間違いではないのかも知れない」
と言えるのではないだろうか?
だから、夢というものを発想することで、たいていの妄想や、疑問に思っていることを、
「理屈として解決しよう」
という発想になるのだろう。
それが、解決できるかできないかということであり、
「夢というものが、都合のいいものだ」
と考えるのも、そういうところからなのではないだろうか?
そんな
「数学と心理学の関係」
というものを考えてみると、結構それっぞれが、浅くも深くもあると言えるかも知れない。
作品名:数学博士の失踪(後編) 作家名:森本晃次