数学博士の失踪(前編)
母親が、娘の帰ってくる時間を把握していて、しかも、それは自分たちの食事が終わり、娘の食事の準備を始めると、ちょうどいい時間になるということからであった。
その時間には、もう筒井博士は、風呂も済ませて、後は寝るだけということであった。
博士は、テレビをほとんど見ることはない。その日のニュースくらいは確認するが、ダラダラとテレビを見ることはなかった。報道番組などといっても、しょせんは、芸人のコメンテーターが出てきたりして、
「正直、うざい」
と思っていたのだ。
そんな時間があるのなら、一人でゆっくりと本を読んでいる方がマシだと思っていた。
実際に、最近は、本というと、
「電子書籍」
ということになるのだろうが、博士は、いまだに、
「印刷物の本」
というものを読んでいる。
「その方が記憶に残るし、また読みたいという時も、簡単だ」
と思っていたのだ。
実際に、寝る前の一時間近くが、彼の読書時間ということで、その時間こそが、
「博士にとっての、一日で一番の楽しみだ」
ということであった。
読む本というのは、別に研究に関係のあるものではない。ほとんどが小説で、ミステリーやSF系の小説が好きだったのだ。
もっとも、研究を好きになったのも、SF小説のおかげだといってもいいだろう。
「それなら、物理学か、化学という分野ではないか?」
と思われるが、なぜか数学だったのだ。
それだけ、学生時代に、算数、数学というものが好きだったということの裏返しだと言えるのかも知れない。
博士のよく読んだSF小説では、
「タイムトラベル」
というものに関したものが多かった。
タイムスリップであったり、タイムリープなどのものであった。実に興味深いことだと思っていて、タイムマシンというものの開発に関しても、数学者という立場から、協力できることはないかとも思っていた。
しかし、実際には難しい。
実際にいわれている、
「タイムパラドックス」
というものは、あくまでも、
「空想の世界」
ということで、その内容がいかに熟知されるべきことなのかということが難しいと言えるだろう。
それを考えると、
「ロボット開発も難しいな」
とも思っていた。
SF小説界において、
「タイムマシン」
と、
「ロボット開発」
というものが、それぞれに難しいものだということは分かっている。
特に、ロボット開発においては、
「ロボット工学三原則」
という問題、さらには、
「フレーム問題」
というのが絡んでいるということである。
「ロボット工学三原則」
というのは、かつて、半世紀ほど前に、あるSF作家が提唱したものであった。
それを提唱したのが、物理学者ではないというところが注目だと言えるだろう。
これは、かつての、
「フランケンシュタイン症候群」
と呼ばれるもので、そもそも、
「こちらも、SF小説が絡んでいる」
という意味で、面白いと言えるだろう。
フランケンシュタインという話があり、そこでは、
「理想の人間を作ろうとして、怪物を作ってしまった」
という話である。
結構昔は、似たような話が多い。
例えば、
「自分の中にいるもう一人の自分というものの存在を感じた博士が、薬を使って、そのもう一人の自分を表に引っ張り出すと、それは、実に邪悪な人間だった」
という、
「ジキルとハイド」
という話と同じである。
この話は、
「自分が表に出ている時は、ハイド氏は出てこない」
さらには、
「ハイド氏が表に出ている時は、、自分の意識がない」
ということであった。
だから、それぞれがまるで、
「昼と夜の世界だけでしか表に出られない」
とでもいうような感じで、あくまでも、ウワサとしてしか知ることができないということであった。
だから、
「どんなにハイド氏が悪さをしても、自分にはどうすることもできないのか?」
ということで、悩んだジキル博士は、結局、自分事葬るという決断をしたということであった。
それが、
「ジキルとハイド」
という話であるが、この話をどのように理解すればいいのかというのは、難しいところであろう。
あくまでも、
「ホラー的要素」
というものを踏まえたうえでの、
「エンターテイメント」
ということになるであろう。
そんなことを考えてみると、
「ジキルとハイド」
という話と、
「フランケンシュタイン」
という話には共通点が多く、それが、そもそもの、
「SF小説」
であったり、
「ホラー小説」
というものの、黎明期だといってもいいだろう。
そんなホラー色豊かな話が最初に出てきたことで、
「ロボット開発」
というものには、これらのことが起こらないようにしないといけないということであった。
つまり、
「ロボットが暴走して、人間を殺していく」
ということで、それが、
「自然的なものによる偶発的なもの」
ということなのか、
「悪の秘密結社のようなものがそこに絡んでいる」
ということでの問題ということになるのかということであった。
この世において、ロボット工学というものの開発は、
「科学の発展において、避けて通ることのできないもの」
として考えられていることだろう。
それが、
「タイムマシン開発」
というものと重なって、こちらも、
「避けて通ることのできない道」
である。
しかも、この二つの開発は、
「近未来」
ということである。
実際に、これが、
「20世紀半ばに書かれたもの」
ということであれば、その近未来というと、いつくらいになるのだろうか?
少なくとも、
「半世紀以内」
ということではないだろうか?
ということになると、その開発は、
「20世紀の間」
ということになるが、そうなると、今の時代は、
「すでに通り越した時代だ」
ということになるだろう。
そんな時代というものが、まったく開発されていない。
そのかわり、
「コンピュータや通信」
というものに関しては、
「ネットの普及」
であったり、
「スマホの出現」
などということで、進化は着実に進んでいる。
しかも、今の時代であれば、
「テレビなども不要」
と呼ばれる時代で、何が変わったのかといえば、テレビなどは、
「製作者からの一方的な映像」
ということであるが、今の時代は、
「誰もが配信者になれる」
ということで、
「個人が、配信番組を作れる」
というようなアプリが開発されたことで、個人が配信番組を作り、そこで、世間にいろいろな発想から配信しているということで、明らかに、
「21世紀の特徴」
といってもいいのではないだろうか?
そんな時代なのに、まだまだ開発されないロボットやタイムマシン。特に、ロボットなどは、前述の二つの問題があるということで、
「ロボット工学三原則」
というのは、
「ロボットは人間を傷つけてはいけない」
「ロボットは人間のいうことを聞かなければいけない」
「ロボットは自分の身は自分で守らなければいけない」
という三原則になるのだ。
しかも、この三原則というのは、優先順位というものが、重要な意味を成しているということである。
作品名:数学博士の失踪(前編) 作家名:森本晃次