数学博士の失踪(前編)
「自分も行ってみたい」
という気持ちになり、遠藤探偵に連れて行ってもらうという気持ちになったのであった。
遠藤探偵も、最初は渋っていたが、
「そういうことなら、一緒に行こう」
と言ってくれた。
実際に、翌日の夜に行くことにした。母親には、
「予備校に行く」
としか言わなかったのは、心配させたくないという思いと、自分の将来への道筋を自分で確かめることを、誰にも邪魔されたくないという思いとが交錯しているからであった。
実際に、遠藤探偵と一緒に、バー「メビウス」に行くことにしたが、その時間が近づくにしたがって、まどかは何か胸騒ぎのようなものがした。
それは、
「大人の世界に入り込む」
という思いとは違った別のもので、
「そんなところに行ってもいいのだろうか?」
という思いだけではない。本当の意味での胸騒ぎを感じているように思うのだった。
それこそ、
「倫理学を志す自分の真骨頂ではないか?」
と思ったが、意外と自分のことになると、皆目わからないというのも、無理もないということを感じていた。
「なるほど、確かに自分ほど見えないものはない」
ということで、それこそ、鏡のような媒体を使わないと、自分というものを見ることができないという発想であった。
そんなことを考えていると、
「そろそろ見えてくるよ」
といって、指さしたあたりがあった。
しかし、次の瞬間、それまで余裕で、
「大人の対応」
というものをしていた遠藤探偵の顔が、あからさまに歪んだのだ。
それは、恐怖に震える表情ということで、昨日初めて会ったばかりの遠藤探偵ではあるが、
「まさか、この人がこんな表情をするなんて」
と思うと、急にまどかも恐怖がこみあげてくるのを感じたのだ。
そして、遠藤探偵は、
「そんなバカな、ここにあったはずなのに」
というのであった。
鏡の魔力
その日、遠藤探偵とまどかは、バー「メビウス」のある街に行くために、まどかの最寄り駅の喫茶店で待ち合わせた。
昔は、普通に、
「待ち合わせの喫茶店」
というのが結構あったのに、今では、
「チェーン店のカフェ」
というものしかなくなってしまい、
「実に残念なことだ」」
と父親が言っていたのを思いだした。
すでに、昔の喫茶店というものを、あまり知らない世代だったまどかとすれば、そんな父親の憂いた気持ちなど分かるはずもなかったので、その時は何も感じなかったが、いざ自分が、誰かと待ち合わせをするということになると、その時の父親の気持ちが分かる気がしたのであった。
その思いは、
「付き合っている人と待ち合わせるという感情に似ているのではないか?」
とおもったりしたが、今まで男性とお付き合いなどしたことのないまどかとすれば、そんな感情が分かるわけもなかった。
だが、今回は、その思いも分かってきた気がしたのは、どんな思いからだったのだろうか?
それを思えば、まどかは、
「これって、恋愛感情というものなのかしら」
と思うようになった。
心理学者を志すといっても、まだまだ高校生ということで、大人の世界というものを知らない。
興味がないというわけではないが、その扉をこじ開けることに、怖くないわけはない。
特に、
「一人でこじ開けるというのは、ハードルが高すぎる」
と考えていた。
もし、一緒にこじ開けてくれる人がいるとすれば、彼氏ということになると思っているのであった。
同性の女の子であれば、きっと、
「親友」
ということになるだろう。
しかし、まどかとすれば、同性の親友というのは、本来であれば、もっと前に、それこそ、小学生の頃からの幼馴染というくらいでないと務まらないと思っていた。
それは、
「相手の技量にもよるが、ツーカーの仲でないとうまくいかない」
ということが根底にあるといってもいい。
だから、
「今の時点で、親友と呼べる友達が一人もいない」
ということは、
「これからできる親友と呼べる人がいるとしても、その人は、自分が求めている本当の親友ではない」
と思っている。
また、親友というのは、同性でなければいけないとも思っている。これが男性であれば、どちらかに、少なからずの恋愛感情というものが浮かんできて、親友に対しては、恋愛感情が浮かんだ時点で、その関係は壊れてしまうと思っている。
そんな考えを、
「古臭い考えではないか?」
と思っていた。
今の時代は、
「男女平等」
という観点から、
「男も女もないというのは、親友という関係にも言える」
と考える人が多いかも知れない。
しかし、それはあくまでも、理屈の問題ということであり、そこに、感情であったり、意識というものが介在することになれば、理屈に優先するということになるだろう。
だから、まどかには、
「親友はいない」
とハッキリと言えるのだった。
となると、
「この遠藤探偵に対しては、恋愛感情が浮かんでくるのだろうか?」
ということになる。
確かに、今は、
「父親の捜索」
ということで、共通の認識と意識、さらに感情とが一致していることから、少なくとも、
「父親の発見」
ということになるまでは、分かるということはないだろう。
まどかは、喫茶店に到着し、遠藤探偵を待った。約束の時間より、30分も前についていた。それは、
「約束の時間に遅れる」
ということは、自分の中ではありえないというほどに、時間には厳格な性格だったということと、
「やはり、彼と会うことに対して、わくわくした気持ちがある」
ということになるのだろう。
実際に、
「ドキドキという気持ちと、わくわくのどちらが強いかといえば、比較にならないと答えることだろう」
と思うのだが、言葉で表現するとすれば、
「わくわくの方だ」
ということになる。
その感情が、
「心理学なのだろう」
と思った。
そもそも、意識の方が、感情よりも強くなければいけないとまどかは感じていた。
それは、あくまでも、
「冷静沈着というのが、自分の性格だ」
と思っていたからで、そのためには、
「感情を押し殺すということが必要なことだ」
と考えていたからであった。
まどかにとって、冷静沈着という思いが変わっていくのは、
「自分を否定することになる」
と考えることから、
「冷静沈着が最優先」
と思って今まで生きてきた。
しかも、今は、
「父親捜索」
という絶対的な優先順位があるので、それ以外の感情というのは、
「不謹慎な感情だ」
と自分で自分を戒めていたのだ。
もし、これは他の人であれば、
「それとこれとは別問題」
と考える人もいるだろう。
まどかとすれば、それすら否定するというか、
「人は人、自分は自分」
と考えることで、それを理由として、自分の考えを保っているのであった。
まどかの中には、
「私が遠藤探偵を慕っているかどうか」
ということが次第に大きくなっているのが分かった。
それは、
「意識というものが感情に変われば、間違いなくそう言えるだろう」
と思ったからだ。
作品名:数学博士の失踪(前編) 作家名:森本晃次