数学博士の失踪(前編)
そんな遠藤探偵ではあるが、今回の、今だ事件といってもいいのか分からない
「筒井氏の失踪」
というものが、どうしてわかったのかということに関しては、今だ明らかにしていなかった。
それが、結局、まどかの質問に対しての決定的な返答をなくすることで、まどかに対して、自分がマウントを取っていると感じさせたのは、それこそ、
「幸か不幸か」
ということである。
実際には、
「少し不幸よりなのかも知れないな」
という程度で、まどかには、悪い印象ではなかったようだ。
ただ、
「これが大人というものか?」
ということで、大人のいい部分と、悪い部分の両方を見ているかのように感じられるというのも、おかしなことだといってもいいだろう。
遠藤探偵としても、
「筒井氏が、何かの事件に巻き込まれているのではないか?」
ということを、確信をもっていうことができないということになり、それが結果的な、
「相手へのマウント」
というものを感じさせることになったのではないだろうか?
遠藤探偵が、
「筒井教授の危機」
というものを感じたというのは、
「胸騒ぎレベル」
のことであった。
もちろん、確証など全くない。当然事件性のないものということで、今の段階で、警察に言っても、まともに捜査もされないだろう。
しかも、もし、これが事件性のあることだということを、家族には分かったとしても、一度捜索願が出され、それに対して、
「事件性がない」
ということになったとすれば、警察は決して動こうとはしないだろう。
そういえば、昔読んだミステリー小説において、
「一番安全な隠し場所というのは、どこになるのか?」
という、まるで、
「読者への挑戦なるもの」
というのがあった。
それに対しての答えとして、
「それは、一度警察が探した場所だ」
ということだ。
つまりは、
「警察は一度探してなかったのなら、そこは二度と探さない。探すことが無駄な努力だと思うからではないだろうか?」
ということである。
しかも、警察というのは、自分たちのプライドを大切にするという風潮があるだろう。それだけ、自信があるのか、警察組織の特別なものが、そのように感じさせることになるのかも知れないということであろう。
遠藤探偵が、この、
「皆騒ぎ」
というものを感じたというのが、
「夢に見たから」
ということであった。
その夢というのは、舞台がこの、バー「メビウス」というものであったのだ。
この店で、最初に一緒に二人きりで飲んだ時のことを思いだしていた。
その時の様子を、遠藤探偵は、
「二人の様子を、自分は目だけになって後ろから見ている」
という感覚で見ていたのだ。
それで、
「これは最初から夢の中にいるんだ」
ということを分かっていたということであろう。
最初は、
「夢だとはまったく思っていなかった」
ということで比較して考えると、かなりの違いがある。
想像している以上の違いというものを感じるということで、遠藤探偵は、少し気持ちが落ち着いて見られるのであった。
「そもそも、どうしてこんな夢を見せるというのだろう?」
と考えていた。
夢というものは、無意識に見るものであるが、そこには、潜在意識というものがあり、その中には、
「予知夢」
であったり、
「正夢」
と呼ばれるようなものが潜んでいと考えると、夢というものが、決して一面だけのものではないということが分かってくる。
要するに、
「二面性がある」
というもので、へたをすれば、
「多面性」
といってもいいだろう。
人間の中には、
「二重人格」
という人もいれば、
「多重人格」
というものを持っているという人もいる。
さらには、
「両極端な性格を併せ持っている」
という人もいるわけで、それが、
「両極端な性格」
というものを作るものであり、それが、
「定期的に、しかも、順番に移り変わる」
ということから、
「双極性障害」
と呼ばれる精神疾患が、深刻な問題を引き起こしているといっても過言ではないだろう。
今の時代は、
「4人に1人は、精神疾患を持っている」
と言われている時代である。
それこそ、昭和の頃には、あからさまな差別があり、学校では、
「差別はいけないこと」
と道徳の授業で習うが、家に帰ってから、親などから、
「あの子は精神病だから、近づいちゃだめよ」
などと言われるのだ。
子供とすれば、
「どっちが正しいんだ」
ということで、戸惑いを持つことになる。
そんな状態が、教育というものをゆがめさせ、今の教育上であったり、家庭内における大きな問題というものを育むことになっているのではないだろうか?
そんな人格を、誰もが
「裏返しで持っている」
というのが今の時代。
だから、夢というものも、多種多様になってきていて、自分で、
「どうしてこんな夢を見ることになるのだろjか?」
ということを感じさせられるに違いない。
そういえば、最近まどかが考えていることがあった。
それが夢に対してであるが、まどかには、あまり自分のまわりに、いろいろな話ができる人はいなかった。ちょっとした話ができるくらいの友達はいるが、親友と言える人はあまりおらず。特に、自分から人に話しかけるのが苦手なまどかにとって、友達を作るということに対してのハードルは高いのであった。
だから、自分の考えていることなどを人に話すということもあまりなく、学校には行っているが、どこか引きこもり的なところがあり、本人はそんな思いはないのだが、知らない人が見れば、まわりから無視されているかのように見られるに違いない。
だから、心に思っていたり、感じたりしたことを人と話し合うということが欠けていた。
そのおかげなのか、まどかには、他の人にない想像力というものが結構強かったりする。しかし、そのせいか、思い込みのようなものが激しいと言えばいいのか、人に受け入れてもらえないような思いもあったりするのだ。
まどかは、最近、夢について考えるようになった。
元々は、
「夢というものは、一度目が覚めてしまうと、みることができない」
と思っていた。
その他には、
「夢というものは、目が覚める寸前の数秒に見るものである」
ということであったり、
「夢は潜在意識のなせるわざだ」
と思っていたりした。
これに関しては間違っているわけではないようだが、最近、疑問に思っているのが、
「夢というのは、同じものを二度と見ることができない」
という思いであった。
というのは、
「夢は、自分の意識ではどうにもならないものであり、さらに、自分に対して悪い方に、都合よくできている」
と考えていた。
だから、
「続きを見たい」
と思うような夢に限らず、
「夢というのは、どんな夢であっても、ちょうどのところで目が覚める」
という考え方であった。
例えば怖い夢を見ていたとしても、最後のクライマックスで、自分が危険に晒されたりした時、必ずその瞬間に目が覚める」
ということである。
そんな時は、
「夢でよかった」
ということで、ホッとした気分になる。
作品名:数学博士の失踪(前編) 作家名:森本晃次