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必要悪の正体

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 というものが、世の中の摂理を動かすうえで大切だといえるのではないだろうか?
 実際に、植物は、人間た動物に食べられても、誰も動物が強者に食われた時のように、
「かわいそうだ」
 と思うことはない。
 それを感じることすらなく、それは、万人にいえることだ。
 しかも、それを、
「誰もおかしい」
 とは思わない。
 さらには、前述の、
「人間は個人まで区別できるのに、動物に関しては、種別までだ」
 ということになる。
 それはきっと、
「鳴き声の段階で、種族が同じであれば、同じものだ」
 という無意識の意識を植え付けられているからではないだろうか?
 それを考えると、
「人間というのは、結局が自分のことしか考えないという動物ではないか?」
 といえる。
 だから、
「動物をかわいい」
 とは思っても、実際に、
「動物愛護」
 などという問題が起こり、
「人間のためのわがままがまかり通ることになるのであり、社会問題になったとしても、最終的には、何があっても、人間が大切」
 ということで、
「動物愛護」
 という言葉をどこまで、信じればいいのか?
 と考えられるのだ。
 しかも、
「動物にまでは、感情が行き届くが、それが植物であったり、生物ではない」
 といえるものに関して、
「まったく感情というものを持つ必要はない」
 と言われるが、本当にそうであろうか?
 ということは、これも、
「すべての可能性に介して感情を向けようとするから判断ができない」
 ということから、
「ロボットは何もできなくなってしまう」
 という、
「フレーム問題」
 というのが生まれるのではないだろうか?
 このままでいけば、
「ロボットというものは、
「人間はもちろん、動物にも劣る、植物以下のものだ」
 といえるのではないだろうか?
 つまり、
「植物にも劣ると思われるものに、本能はおとか、知能を植え付けようというのだから、そこがおこがましい」
 といえるのではないだろうか?
 もっといえば、
「ロボットが組み込まれるべきものは、
「人工知能」
 というものではなく、まずは、
「人口本能」
 というものではないだろうか?
 しかし、
「どうしてこれくらいのことを科学者は思いつかないのだろうか?」
 と考えてしまう。
 そこで生まれてきた結論というのは、
「本当に難しいのは、知能を作るということではなく、本能なのではないか?」
 ということである。
 つまり、
「本能というものの中には、知能というものを凌駕できるだけの力が潜んでいるはずである」
 なぜなら、
「本能というものを、大なり小なり人間は持っていることから、さらに知能を働かせることで、
「人間にしかできない」
 という大きな能力を発揮できるということではないだろうか?
 それが、
「人間が、自分たちだけで手に入れたものだ」
 と考えるのは、
「おこがましい」
 ということになるのだろうか?
 そう考えてくると、
「本能に勝る知能はない」
 といってもいいのではないか?
 と考えるのであった。
「自然界の摂理」
 というものをゆっくり考えていけば、おのずと見えてくるという結論がそこには潜んでいるといえるのではないだろうか?
 そんな樹海には、人が間違って入りこまないように、細工はしてあった。だから、
「間違って入りこむ」
 という人はいないだろうが、逆に、
「わざと入りこむという人は結構いることだろう」
 というのは、
「実際に自殺を企んでいる」
 という人で、特に、
「時代的に自殺が流行る時期」
 というのは多かったことだろう。
 しかし、普通にまんべんなく多かったというのもこの場所であり、だから、ここの人は、
「自殺が流行り出したからといって、急に自殺者が増える」
 という意識はなかった。
 だが、自殺というのが増えたとしても、
「他の自殺方法が増えるということになるだけではないか?」
 と考えられるほどだった。
 やはり、
「様追い込んでから、いつ死ぬか分からない状態というほど、恐ろしいのはない」
 ということであろうが、きっと、睡眠薬を服用することで、怖さがないのは分かるのだが、それであれば、
「自分の部屋でも同じではないか?」
 と思う。
 もし、自殺した場合に、樹海にいるとすれば、
「死体が発見される可能性は極端に低くなる」
 ということであり、後に残される人のことを考えて、遺産相続の問題などがあるのであれば、
「死体が発見される方の自殺を選ぶ」
 ということになるだろう、
 そうなると、
「樹海での自殺」
 というのは、
「死体を発見されたくない」
 という思いが、
「自殺者に含まれている」
 ということになるのだろうが、それよりも、
「早く発見されては困る」
 ということで、
「殺された被害者の死体発見を遅らせる」
 ということであったり、
「アリバイ工作であったり、死亡推定時刻をごまかす」
 ということからの問題であろう。
 ただ、
「アリバイ工作」
 ということであれば、逆に、死亡推定時刻がハッキリしている方がいい。
 だから逆に、死体発見を遅らせたいというのは、
「アリバイがない状態を作り、でっちあげた犯人にアリバイがハッキリしない」
 と思わせるという考えがあるのではないかということであった。
 それを考えると、
「樹海での自殺」
 というのは、その中には、
「殺人」
 ということも可能性としてはあるのではないか?
 ということになるといえるであろう。
 ただ、今回発見された死体は、明らかに自殺ではなかった。
 事件が発覚したのは、樹海の比較的入り口に近いところで、
「野犬が死体を掘り起こした」
 ということであった。
 一時期、
「世界的なパンデミック」
 というものが流行った時、どこの国もその正体というものが分からなかったということで、いろいろなデマが飛び交ったのだった。
 その時に言われたこととして、
「ペットから移ることが多い」
 と言われた。
 そこで、飼い主が、
「樹海に放置する」
 ということが、流行ったのだった。
 確かに犬には、
「帰巣本能」
 というのがあるが、この場所は、
「場所によっては、コンパスも利かない」
 と言われたところであったので、さすがに犬も無理だったのだ。
 犬を眠らせておいて、樹海に入りこみ、犬を放置してから、自分は、入口に紐をつけて入ってくることで、表に出るということに成功すれば、
「完全な放置になる」
 というものであった。
 これは、
「動物愛護」
 という観点からは許されるものではないのだろうが、しかし、
「背に腹は代えられない」
 しかも、ペットを飼っていることで、まわりから、白い目で見られ、家族全員が、ひどい目に遭うということになれば、この処置も致し方がないということであった。
 実際に、樹海に放置された犬や猫は、結構いるようで、
「野犬化してしまった」
 ということで、野生の本能から、凶暴になっているということであった。
 実際に、保健所から対策隊が組織され、対応されたが、そもそも、全部の数を把握できているわけもないので、
「対策を終わった」
 と思っても、実際には、それからすぐ、
作品名:必要悪の正体 作家名:森本晃次