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必要悪の正体

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 という問題は度返しにして、特徴として、それを生かすことができるはずということでの、暗躍だったのだ。
 ただ、暗躍の結果がどうなったのか、結局、
「表に出ることもなく、消滅した」
 といってもいいくらいになったのだ。
 それを思えば、
「自衛隊の存在自体、奇跡のようなものではないか?」
 と考える人がいるというのは、無理もないことに思えるのだ。
 詳しいことは分からないが、暗躍組織が消えてなくなったのは事実であり、その存在が今や伝説としても残っていないということで、逆に、
「近年の歴史において、不思議に思うことを、不思議だと感じることがないのは、その伝説を知らない」
 ということからであろう。
 組織の暗躍というものが、まったく消え去ってから、しばらくして、どこから湧いてきたのか、
「暗躍のウワサ」
 というのが出てきた。
「何か、どこかで暗躍をしている組織があるらしいぞ」
 ということで、
「出所も、実際の事実関係も、一切が事実無根」
 と言わんばかりである。
 つまり、
「根拠のないウワサが、実際に根拠のないもの」
 ということで、まことしやかにささやかれているということになるわけだが、逆に、
「まったく根拠がないものを、ウソかも知れない」
 と流すことは、まるで、
「マイナスにマイナスを掛け合わせるかのような、まったく正反対のことを、相乗効果にする」
 ということで、これこそ暗躍といってもいいだろう
 実際に、マイナスにマイナスを掛け合わせるということがどういう効果を生むというのか?」
 今回の場合は、
「その事実が、どこからも出てこなかったことから、いきなり出たウワサだと考えれば、そこに、何の根拠があるということになるのだろう」
 そのうちに、
「ウワサの出所は、あの森の中だ」
 という話が持ち上がり、一時期、
「急に客がペンションに殺到した時があった」
 その時期は、ちょうどバブルの時期だった。
 そもそも、
「そんな根も葉もないうわさが出る」
 というのは、
「なるほど、少々何かが起こっても世間的には一切、痛くもかゆくもない時期だ」
 ということで、バ
「バブルの時期だ」
 というのも当然のことだといってもいいだろう。
 実際に、
「人のやらない奇抜なことをすれば、うまくいく」
 と言われた時代だ。
 もっといえば、
「何をやっても、成功する。他の時代だったら、絶対に失敗すると思うように時期にでもである」
 ということである。
 このペンションも、最初は、
「本当に採算がとれるのか?」
 と言われていたが、二代目オーナーは、
「根拠のないことほど、うまくいくもの」
 といって、最初の頃の臆病さが、まったくなくなっていた。
 それは、あとから思えば、
「バブルという時期に踊らされていた」
 といってもいい。
 実際に、バブル景気に踊らされ、他の会社にはないような利益を叩き出した。
 ただ、そんな実績があるのに、彼を、社長である長男は迎え入れはしなかった。
 社長がいうには、
「あいつは、あそこだから輝くのさ。人には、分相応というものがあって、俺が社長尾をしているのも、あいつが、ペンションで成功しているのも、その相応な分をわきまえているからだということだ」
 といっていた。
 それは間違いのないことで、実績が証明していたといってもいいだろう。
 ペンションのオーナーは、名前を、
「白石和弘」
 という。
 彼は、本社社長の、
「飛鳥正弘」
 とは、子供の頃から一緒に育ったといってもいい。
 番頭は、そもそも、先代社長の家に一緒に住んでいた。
 それが、戦前くらいからの、
「財閥や、社長にはよくある」
 ということで、二人の子供も、一緒に育ったのだった。
 そういう意味で、
「子供としての制裁教育」
 というものは受けてきた。
 だから、子供の頃であれば、
「大人になってから、どの業界でも通用するような、帝王学」
 というものを身に着けるだけの素質は身に着けていたといってもいい。
 だから、白石は、
「他の会社で、丁稚奉公のようなことをしないでも、ペンション経営ができる」
 ということであった。
 飛鳥の場合は、そうはいかない。
 何といっても、
「いろいろな業種を手がけている大手コンツェルンといってもいいような総合商社の社長である」
 ということから、
「子供の頃の英才教育だけではダメだ」
 ということで、結局。
「帝王学の勉強が必要になるのだった」
 特に、
「二代目社長」
 というのは、どうしても、
「先代の偉大な背中に臆してしまう」
 ということがあり、
「甘え」
 というものがあるのは仕方がなく、それだけに、
「なんでもできる」
 と思いこんでいながら、結局は、
「自分の中で消化することができず、不安だけが募ってくることになる」
 その不安を自分で感じているというのは、実際には、
「変なウワサや、エゴサーチなるものを、素直に受けとめてしまう」
 ということで、
「素直に受け止める」
 というのは確かに悪いことではないのだが、
「それを受け入れるだけの力があるのであればいいが、なければ、結局は、どうにもならない」
 ということになるのだ。
 実際に、
「受け入れる」
 というのは難しいことで、それができることで、自分には何でもできると考える、それは、
「堂々巡り」
 ということであり、
「いたちごっこ」
 ということでもあるのだ。
 どこかで聞いたことのある、
「血を吐きながら続けるマラソン」
 という言葉を思い出し、まさに、その通りだと思うのは、
「子供の頃を思い出すからなのかも知れない」
 といえるだろう。
 その言葉の根拠というのは、
「昔、子供の頃に見た特撮映像」
 を思い起こさせる。
 そこには、
「三つ巴」
 であったり、
「三すくみ」
 という、
「永遠に繰り返すことではあるが、終着点が、永遠に見えてこない」
 ということを意味しているのであり、もっといえば、
「着地点は、誤差が絶対にゼロ」
 ということではなく。
「限りなくゼロに近い」
 ということで、それは、
「無限」
 ということを意味している。
 つまり、
「無限」
 であったり、
「永遠」
 という言葉には、
「その終着点が見えてこない」
 ということから。
「絶対ということはないのだ」
 ということになるのであろう。
 それを考えると、
「俺はこのペンションから、永遠に抜け出せないような気がする」
 と、白石は考えていたのだが、それは、別に嫌だとは思っていなかった。
 しかし、いつまでも消えない不安があるのは、
「抜け出せない」
 ということに対してではなく、
「永遠」
 ということにであった。
「永遠という言葉をどこまで信じるか?」
 ということを思えば、
「信じることが逆に不安の払拭になる」
 ということであれば、そもそも、
「永遠というのはありえない」
 ということであり、
「ないならないで、それでいい」
 と考える。
 いつの間にか、安全策にばかり流れている自分を感じると、
「ペンション経営がこれでいいのか?」
 と思うようになった。
 だが、そう思えば思うほど、失敗がないのだ。
作品名:必要悪の正体 作家名:森本晃次