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必要悪の正体

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 といってもいいわけで、
「本当の復活になるわけもない」
 ということであった。
 しかし、このペンションの経営方針には、
「この時代だからこそ、冷静に見れば、これほど当然のことをしている」
 ということはないと言われるのであろう。
「だから、このやり方が、経営方針として素晴らしい」
 ということを、他の会社の誰も気づくわけもない。
 だから、
「まるで、特許を取ってもいいくらいだ」
 と言われるほどの斬新なやり方で、本部の方も、他の会社に比べて、いち早く立ち直れたのだった。
 もちろん、
「ほとんど、リストラ」
 というものも行わず、
「企業合併」
 ということもしなかった。
 だから、逆に、
「吸収合併」
 ということもしなかった。
 中には、
「助けを求めて、傘下に入りたい」
 というところもあったが、それこそ、
「泣いて馬謖を斬る」
 という裁断をしたというのは、
「英断だった」
 といってもいいだろう。
 この場所は、本来なら赤字路線で、第三セクターになりかかっている鉄道が終着駅になるので、そこから先は、臨海工業地帯であった。
 その場所は、ちょうど半島の先端になっているのだが、その半島の中心部は、山というか、小高い丘になっている。
 昔は、城がそびえていたということだが、その城址が公園になっていて、その手前が、大きな森になっている。
 国道というわけでもないのに、それなりに道が広いのは、このあたりの街の特徴なのかも知れない。
 森に見えるところは、道が一直線ということもあり、結構スピードが出せることもあtって、知らない人は、まったく意識することもないだろう。
 そもそも、その森に入っていく場合であっても、どこから入ればいいのか、普通であれば分からない。
 道の入り口に、標識は一切なく、その森の中に、車で入れるところがあるということを知っている人は、実に少ないことだろう。
 中に入ると、迷ってしまいそうに思える新緑の森は、まるで、樹海を思わせるほどだったのだ。
「こんなところに何があるというのか?」
 ということで、実際にあるペンションは、あくまでも、
「隠れ家か、秘密基地を思わせる」
 という場所になるだろう。
 この分かりにくい入口から中に入ると、表の道が広いだけに、途中は、暗くて狭い道が通っている。昼間でも、ヘッドライトを付けなければ暗いといってもいいくらいで、そのしばらく、暗闇を走って、しばらく行くと、やっと、開けた場所にくるのだった。
 昔であれば、この宿に臨海工業地帯に来る人が宿泊した時期もあったが、今はほとんどいない。
 そもそも、臨海工業地帯自体が、昔ほどの勢力もなく、しかも、近くにビジネスホテルができた関係から、このペンションの存在も忘れ去られているといってもいいくらいになっていた。
 だから、さらに、秘密基地の様相を呈していて、本当に知っている客だけの場所になったのだ。
 そういう意味で、連泊の宿泊客が多い。
 それこそ、ペンションをまるで、
「別荘」
 として使っている人も多かったりする。
 そういう意味で、値段的には良心的で、それが、
「常連の常連たるゆえんだ」
 といっていいに違いない。
 最近では、
「子供の病気療養」
 ということで使っている人も結構いる。
 というよりも、
「病気療養施設として使う人の宿」
 というウワサが一部では流れているようだ。
 そもそも、ここには、その昔、それこそ戦前であるが、サナトリウムが存在していたという。コンクリートでできたその施設は、ある意味、
「隔離病棟」
 であり、特に結核などの伝染病患者が多かった。
 だからこそ、
「サナトリウム」
 という言葉になるのだろうが、隔離されてはいたが、
「この中では自由だった」
 といってもいい。
 当時は、
「不治の病」
 ということで、今でいえば、
「ホスピス:
 といってもいい。
 つまり、
「黙って死を待つ」
 というよりも、
「同じ苦しみを感じている人たちが、静かに死を迎えるために、人生の最後に花を咲かせる」
 とでもいえばいいのか、それでも、今の時代から見れば、信じられないといってもいい状態だったようだ。
 さらに、このあたりは、サナトリウムができる前、時代的には、明治時代の頃だったというが、その場所には、
「細菌研究所」
 というものがあったという。
 それは、
「医学発展のため」
 という大義名分はあったが、実は、
「細菌兵器の開発」
 というのに従事する建物で、実際に、
「関係者以外の立ち入り」
 というのは、固く禁じられていたということである。
 実際にここに入ってくる一般人というのは、ほとんどいなかったという。
 国立の研究所であったが、実際にニュースになることもまったくなく、出入りしているのは、ほとんどが、
「軍関係の人たちばかりだ」
 ということであった。
 昔の日本は、
「政府よりも軍の方が力が強かった」
 といってもいいので、政府の中にも、ここの存在を知っていたのは、
「上層部のごく一部」
 ということで、それだけ、極秘だったのだ。
 当然、研究も極秘で、それを考えれば、当然のごとく、研究内容は、
「国家機密だ」
 といってもいいだろう。
 研究されていたのは、
「細菌兵器だけではなかった」
 とも言われている。
 これは今の時代はは、
「都市伝説」
 の一種であったが、昔の小説に遭った架空の話を、真剣に現実的に考えた研究もなされていたということであった。
 もっといえば、
「海外で小説になったものも、元々、この研究室で研究されていたことが、架空の物語として逆輸入され、海外でSF小説として発表された」
 というものであった。
 実はこれにはウラがあり、
「ここでの研究を悟られないように、わざと海外で、架空の話として人気を博し、それを隠れ蓑としていた」
 ということで、
「実際に海外で発表された小説は、すでに日本で、実用化しようとして研究されていたことも多かった」
 ということである、
 日本という国は、それだけ、
「実際には頭にいい国」
 ということで、特に諜報活動に掛けては、第一人者の多い国だったといえるだろう。
 もちろん、諜報活動なのだから、そんなことが大っぴらに言われるわけでもない。つまり、
「大っぴらに目立たないだけに、実際には裏で、何が画策されていたというのか、分かったものではない」
 ともいえるだろう。
 国家としての日本を牛耳っていた、かつての英字の元勲たち。時代をかなり先取りしていたといってもいいだろう。
 この研究室のような施設は、大日本帝国が、外国との戦争を重ねていくことで、他の場所にもいくつもつくられるようになり、最盛期には、
「国立大学の数だけ建設された」
 という時代があった。
 それこそ、研究室を、
「大学の施設」
 として運営することになり、時代が進むと、その研究所が、
「大学病院」
 ということで生まれ変わることになった。
 ただ、その場合は、
「辺鄙すぎる場所に設置されたとところでは、さすがに病院として普通に運営することもできず、ここのように、
「サナトリウム」
 ということになったり、または、
作品名:必要悪の正体 作家名:森本晃次