必要悪の正体
ということであった。
もちろん、捜索願の候補は全国に広げてのものであったが、そう簡単に見つかるわけもなく、
「むやみやたらに探している」
という状態で、簡単に結びつくものではないということであった。
しかも、一度は、
「無事だ」
ということで連絡があったわけで、捜索願が出るまで、実際には、被害者が殺されてから、かなり経ってのことではなかったか。
この街で、以前、
「似たようなことがあった」
ということを樋口刑事は、認識していたが、実際には、
「かけ離れた事件」
ということで、それを結び付けることはできなかった。
それだけ、事件全体が曖昧で、見方によっては、
「壮大と思える事件だ」
ということだったのだ。
それを考えると、
「今回の事件における被害者は、蜘蛛を掴むようなもので、犯人も同じことから、どこから手を付けていいのか分からない」
といえる。
しかし、逆に言えば、
「手を付けられるところまで行けば、意外と、とんとん拍子に事件は解決するのかも知れない」
といえるのではないだろうか?
つまり、
「事件というものは、見る方向によって、裏にも表にもなる」
ということで、
「犯人が、何かを隠そうという意志が働いているということであれば、そこには、付け込むことができるものがある」
ということで、
「その隙というものをいかに逃さずに見ることができるのか?」
ということであった。
今回の事件が、
「一色課長の推測通りだ」
ということであれば、どういうことになるのだろう?
被害者は、頭と胸に致命的と思える傷を負っていることになる、
「ちなみに、頭の傷も、胸の傷も、それぞれ単独だとすれば、どちらも、致命傷になったといってもいいんですよね?」
ということを、樋口刑事は、捜査会議で聞いていた。
「ええ、私はそう思っています。だから、頭の傷を、交通事故によるものではないかと考えたんです。しかも、その場合がひき逃げだったとも考えられるわけで、ただ、そうなると、惹かれた後で、誰かに胸を刺されたことになる。不自然ですよね」
というので、
「でも、その両方を一人の犯人が行ったということになれば、納得がいくことになるんじゃないか?」
と聞くと。
「それはそうですね。この事件は何も分かっていないだけに、一つ何かが出てくると、一つ一つできるだけの検証が必要になるかも知れないですね」
と一色がいうと、
「もちろん、そうさ。だから、私は時間が掛かるのではないかと思っているんだよ。そう考えれば、若干の焦りというものを感じないわけにはいかないだろうね」
と、樋口刑事は言った。
それを聞いて桜井警部補は頷いていたが、彼が何を考えていたのか、そこにいた人には、どこまで分かったということだろう。
今のところ分かっているのは、それだけだった。
とにかく一番も問題は、
「被害者の特定」
であった。
被害者が分からないと、犯人も、その動機も分からない。被害者は分からないが、殺人が行われたことは事実なので、それを隠蔽するわけにもいかない。
何といっても、
「ホトケさんが誰であったとしても、その人の無念を晴らしてあげなければいけない。本当は今も元気に生きているはずのその人が、志半ばで死ななければならず、しかも、死体を遺棄されて、いまだに、
「行方不明者」
ということになっているであろう。
いや、場合によっては、失踪して、7年以上の経過ということで、
「死亡」
ということになっているかも知れない。
あまりにも、むごいことである。
しかし、それは、
「まわりの都合」
ということであり、残された家族にとってはどうなのであろう?
確かに、事実としては、
「殺害されて、死体を遺棄されて、今になって発見された」
ということになるのだろうが、実際には、家族としては、
「その人は失踪して、皆探す努力をして、例えば、写真から、チラシを作り、街頭などで、チラシを配って、目撃者捜しを行うなどの努力をしていたかも知れない」
しかし。年月が経つと、疲れと、年月が経ってしまったことの事実から、次第にあきらめの境地に至ることで、
「もう、あの人は帰ってくることはない」
と思い、
「死亡」
ということになると、
「もう、一つの時代が終わった」
と、諦めが、新たな人生を歩むことに繋がっているのだとすれば、もし、
「被害者が特定された」
ということになり、
「あなたのご家族は殺害されていました。今から我々が、殺人事件として捜査します。胸縁は我々が」
などと言ったところでどうなるというのか?
家族としては、一応は、
「そうですか。お願いします」
というかも知れないが、すでに、
「失踪後死亡」
ということで、家族の中で、
「完結している」
ということを、いまさらほじくり返すということになるのである。
もし、その中で新たに出てきたこととして、
「被害者の名誉にかかわることであったりすると、ややこしいことになる」
といえるだろう。
元々、
「殺害された」
ということは、それなりに、
「殺される理由があった」
ということであろう。
「事故で死んだ」
ということであれば、無念かも知れないが、その無念さは、
「時間が解決してくれる」
ということであり、10年近いこの期間というのは、
「解決してくれるに十分な時間であった」
といえるだろう。
それを考えると、実際に警察が捜査して、見つける事実というものは、
「いまさら大きなお世話」
ということだ。
しかし、警察とすれば、
「死体が発見され、それが殺人事件ということであれば、真実を明らかにし、犯人を逮捕しないといけない」
ということになるだろう。
しかし、
「真実がいつも正しい」
というわけではない、
時として、
「知らなければよかった」
というものや、
「真実は、時として残酷なものだ」
と言われることが多いということで、実際には、被害者家族としては、
「放っておいてほしい」
というのが本音ではないだろうか?
確かに、本人とすれば、
「殺されたことでの無念を晴らしてほしい」
と思うのかも知れないが、残された家族とすれば、
「今頃になって発見されるなんて、警察は何をしていたのか?」
と言いたいだろう。
「私たちが、必死になって探したり、苦しんだりしている時、警察は何もしてくれなかった」
というのが、真実で、
「警察は、何か起こらなければ動いてはくれない」
ということを思い知らされただけで、市民が、必死になって、本来であれば、警察がするべきことをしなかったから、こうなったわけである。
だとすれば、
「警察は、遺族の気持ちを思い図って、いまさら何もしてほしくない」
というのが本音ではないだろうか?
「ひょっとすると、痛くもない腹を探られる」
ということになるかも知れない。
警察としては、
「これは殺人事件なんだ」
ということであろうが、法律的には、
「死亡」
ということになっているとすれば、
「何をいまさら」
ということである。