限りなく完全に近い都合のいい犯罪
ということになるのではないだろうか?
「あくまでも、自由にできればいい」
と思っていた。
何も、
「プロになろう」
などと思っているわけではない。
「もし、プロになったとしても、人生終生勉強で、苦しみも、仕事の中で感じなければいけない」
ということで、本来であれば、気分転換であるはずの、趣味が仕事になってしまうと、
「人生を楽しめない」
と感じたのだ。
だから、
「趣味と実益を兼ねるなんて、まっぴらごめんだ」
と思ったのだった。
だから、
「仕事は仕事、趣味は趣味」
ということで、自由な時間を楽しむということに使おうと考えたのだった。
だから、
「交通課というところに行けたのは、自分ではありがたいことであった」
といえるだろう。
もちろん、
「仕事が楽しい」
というのは、一番いいことなのだろうが、
「拘束時間を趣味に充てる」
というわけにはいかないのであれば、
「仕事は仕事、趣味は趣味」
と割り切ろうと思った。
しかし、警察で仕事をしていることで、小説を書くことが趣味である自分としては、
「せっかく警察にいるのだから、ミステリーを書きたいな」
と思うようになったのだった。
「ミステリーを書くのに、警察組織を知りたいと思えば、本来であれば、刑事課にいないといけないんだろうな」
と思ったが、自分の中で、
「書くための時間」
を得ることと、
「その材料を得るために、書く時間」
というものを犠牲にするというのでは、
「接待に書く時間を犠牲にはしたくない」
ということで、できるだけ、自分で情報を得るように動いた。
もちろん、捜査上のことは教えられるわけはないが、
「捜査のやり方くらいであれば、刑事課に赴任した人に、忙しくない時であれば、少しくらいは聴ける」
というものだ。
しかも、相手に考えさせるようなことはせず、最初から、答えを用意しておいて、
「相手に選ばせる」
というような。まるで、
「取材形式」
という形で話を聞く分には、相手にも負担を掛けないし、自分も問題を考えるということで、勉強にもなるというものだ。
その勉強は、
「執筆のための取材」
ということでの勉強にもなるし、物語を作っていくうえでの、
「骨組み」
ということにもなるだろう。
「そのまま、プロットとしても使える」
というくらいのもので、交通課にいても、いくらでもやりようがあるというものだ。
そんな小説の恰好のネタになりそうなことが、ちょうど三日前に起こったのであるが、それは、ある交通事故というものからであった。
これは、
「被害者がひき殺されたのだが、加害者はその場にいない」
という、いわゆる、
「ひき逃げ事件」
ということであった。
時間とすれば、夜の九時過ぎというくらいで、まだまだ人通りも少ない時間ではないので、
「目撃者を見つけるのに、そんなに苦労はしないだろう」
ということであったが、実際には甘かった。
発見され、警察に通報されたのは、深夜だった。
ちょうど、午後一時を回った頃だっただろうか、当直の刑事課に、県警から通報があったのだ。
刑事課の刑事が鑑識を連れていくと、ちょうど、神社があるところの、石段の前に、赤い鳥居が立っているのだが、その正面で、男が仰向けになって倒れていた。
そのあたりは、昼間でも、あまり人通りが多くないところで、しかも、神社の前ということで、帰宅する人も、夜が更けてしまうと、さすがに気持ち悪いと思うのか、誰もが足早に過ぎていくところであった。
今では住宅街になっているが、午後十時近くまでは、結構明かりがついているようだが、午後十時を過ぎると、ほとんどの家から電気が消えるようであった。
ついているとしても、一部屋くらいで、あとの部屋は全部消すという、省エネの家が多いのか、一気に、気持ち悪い時間となってくるのだった。
しかし、一部屋だけがついているところというのは、
「深夜まで電気が消えていない」
というところも少なくなく、どうやら、深夜、作業をしている家が多いようであった。
中には、
「受験を控えた子供もいて、受験勉強を夜なべでやっている」
と考えれば、
「それも致し方がない」
といえるのではないだろうか。
ただ、受験生だけではなく、
「この辺りには昔からの祝人さんがいる」
という話も聞いた。
そもそも、この神社にかかわりのある職人の家が、近くにあったということで、それが残っているのではないかともいわれている。
そういえば、
「この辺りは、新しい家のところも多いが、昔からの家が残っていたり、納屋がある家もある」
ということで、その話も信憑性を感じるのであった。
ただ、この辺りは、深夜になると、
「違法駐車の問題がある」
と言われていたようだ。
道交法の改正で、
「道路での違法駐車は禁止」
ということになり、一時期取り締まりが多かったが、最近では、それも形ばかりということになり、それほど駐禁というものを気にしないようになった。
もちろん、
「歳末取り締まり週間」
などということでの、
「定期的な取り締まり」
というのは存在するが、逆にいえば、
「その期間だけはずせば、駐車違反などいくらでもできる」
ということになる。
確かに、極端な取り締まりというのは行き過ぎなのかも知れないが、元々の理由は、
「何かがあった時に緊急自動車が入ってこれない」
ということが問題だったはずではないか。
だから、
「急病人」
というものがいたり、
「火事というものが起こった」
その時、
「緊急自動車が入れない」
ということになれば、
「市民の命も財産も守れない」
ということになるのだ。
当然、救急車や消防車だけに限らず、緊急自動車として、パトカーもあるわけでm
「凶悪犯が逃げ込んだ時、人質を取っていたりして。間に合わなかった」
などということであれば、
「誰が責任を折る」
というのであろうか?
そもそも、起こってしまったことを元に戻すわけにもいかず、責任を取るといっても、「その責任を、一体どのように取るというのか?」
ということになるのである。
だから、違法駐車の処置というのは、
「警察の大切な仕事だ」
といってもいいだろう。
しかし、
「それも、都心部などのことだけだ」
などというのは間違いで、
「本来道というのは、違法駐車を考えて作られていない」
といってもいいだろう。
車が通れるギリギリのところと、
「住宅であったり、建物の必要数を考えたうえで、いかに区画整理を考えるか?」
というのが、行政の役目ということであろう。
それを考えると、
「最近は、違法駐車も減ってきた」
とは言っているが、実際に、取り締まっている時に、街を回っていると、
「何かあった時、大丈夫だろうか?」
と考えると、
「とてもではないが?」
と考えてしまうのだった。
そもそも、今まで、車に興味を持ったという時期がなかったので、車の車種を見ても、実際にはピンとこない。
特に、
「車というのは、何年かに一度くらいのわりで、チェンジするものだ」
ということである。
大きく
作品名:限りなく完全に近い都合のいい犯罪 作家名:森本晃次