限りなく完全に近い都合のいい犯罪
彼は、まだ25歳と若い刑事で、昨年まで、交番勤務に勤しんでいたので、本人としては、
「交通課赴任というのはありがたい」
と思っていた。
別に、
「刑事課が嫌だ」
というわけではないが、彼の中で、
「交通事故というものを少しでも減らしたい」
という意識と、最近では少し減ってはきているように見える、
「違法駐車というものを撲滅したい」
と思っている。
もちろん、目の前にある自分が管轄する警察署管内だけのことであるが、そこからが、
「自分の進む道が見えてくる」
ということで、
「今がその発展途上だ」
と思っているのであった。
かといって、河合刑事には、
「必要以上の正義感」
というものがあるわけではない。
「勧善懲悪」
という考え方があるからこそ、警察に入ったのだが、だからと言って、正義感を振りかざすことはしない。
あくまでも、
「無理をすると、道理が引っ込む」
ということで、倫理であったり、道理、道徳というものを、頭の中に入れて勤務するということが彼のポリシーということで、
「交通課が、一番いい」
と思うのであった。
他の同僚がどう思っているのか分からないが。あくまでも、河合刑事独断の考えであった。
交通課の河合刑事が、その事故と遭遇することになったのは、今から三日前のことだった。
いつものように、交通課の事務仕事を終えて、表の警戒に当たっていたのだが、それもまだ新人研修の一環という感じであった。
ベテラン刑事とコンビを組み感じだが、先輩からは、
「一つのことだけに集中しているのではなく、まわりもしっかfり気にするようにならないといけない」
と言われていた。
最初こそ、
「一つのことに集中することができていないと、まわりを気にしても、気が散って何もできないのではないか?」
と考えていたが、よく考えてみると、
「先輩の言っていることは、もっともなことであった」
というのも、
「まわりまわれば、同じことを言っている」
ということになると思ったのだ。
要するに、
「180度違うところを見ていても、もう一度同じように回ってくれば、同じところに帰ってくる」
という発想であった。
要するに、
「敵の敵は味方」
とでもいえばいいのか、我ながら、面白い表現をするものだと感じたのだった。
河合刑事は、学生時代から、
「天邪鬼」
と呼ばれることが多かった。
「皆と同じでは面白くない」
という考えで、人と考えかたが違うことが、
「自分のポリシーだ」
とすら思っていた。
だから。
「人の真似をするのが嫌いで、自分で創意工夫をして、新しく作り上げる」
ということに燃えていたのであった。
彼は、警察に入ったが、別に、
「勧善懲悪」
ということからではない。
「市民の役に立てればいい」
ということで、何も、
「刑事になって犯人を逮捕したい」
などという正義感に燃えていたわけではない。
しいていえば、
「人があまりやりたくない仕事だから」
という意味が大きかったのかも知れない。
だから、刑事になるといっても、刑事課や大変なところに自ら飛び込もうという気はなかったのだ。
「交通課であれば、そこまで厳しきはないだろう」
という思いであったが、実際には、本当に楽ができるわけではなかったが、自分が想定していたくらいの仕事だったことはありがたかった。
もっとも、今はまだ新人なので分かっていないだけかも知れないが、今の間は、まだ、
「自分がやりたい」
と思っていたことができるというものだった。
河合刑事は、大学時代には、
「文芸サークル」
というところに所属していた。
その理由というのは、彼がまだ高校時代に、友達に連れられて、近隣の大学の、大学祭に出かけた時のことだった。
いろいろなサークルがあり、そこを訪れることで、
「大学というところは自由に楽しめる」
ということが分かったのだが、その時感じたのが、
「何か創作をする」
ということが、自分は好きなんだということであった。
中学時代から、そのことはウスウスは感じていたのだが、実際に、どういうものなのか具体的には分からなかった。
だが、大学祭において、文芸サークルを覗いた時、そこには、雑誌が山積みされていたのだ。
その雑誌は、無料だったが、そのそばでは、文庫本くらいの察しが、販売されていたのだ。
「これは?」
と聞いてみると、
「この雑誌は機関誌ということで、サークルの伝統として、ずっとやってきたので、皆の作品が、少しずつ載っているんですよ。だけど、熱心な部員の中には、自分の本を出したいということで自費出版している人もいるんですよ。それを、この大学祭の場で、販売しようという試みなんですよね」
ということであった。
「なるほど、フリーマーケットのような感じですね?」
と聞くと、
「ええ、そうです」
と答えてくれた。
「フリーマーケット」
というのは、以前から知っていて、
「自分で創作したものを、それぞれのブースを作って販売するという、そういう、
「創作物のマーケット」
というものである。
もちろん、作品を作るのも、製本などの手配をするのも、そして、営業、販売も自分で行うというもので、やりがいがあるそうであった。
特に、
「自分でものを作ることが好きだ」
という意識は何となくではあったが、自分の作ったものが、フリーマーケットで自分で売るということを考えると、実際にゾクゾクするものだった。
敵の敵は味方
ただ、文章を作るということは、小学生の作文くらいしかなかったので、できるかどうか不安であったが、ネットで勉強したり、本を読んでみたりすることで、次第に慣れていくものであった。
実際にやってみて、
「ある程度までは、やればやるほど上達する」
ということを感じた。
それは、
「絵を描く」
ということおも同じらしく。友達に、
「漫画家目指している」
というやつと話をした時、
「最初は、書いて書いて書きまくればいいよ」
と言われた。
それが、上達の秘訣ということで、
「だからといって、途中で、その上達が止まることがあるので、その時に、自分の実力を過小評価しないようにしないと」
といっていたが、すぐに、
「いや、それまでが過大評価していただけであって、それは、過小評価ということではなく、自惚れというものがなくなるというだけのことなので、要するに、気にしすぎなければいいということだ」
といってくれたのだ。
その言葉が頭の中に残っていてくれたおかげで、実際に、途中で、
「何か思ったように書けない」
ということになったところでも、それが、
「ただの誰もが通る道」
ということで、それを、
「スランプというのだ」
というものだと、自分で感じたのだった。
どんなに人にいわれたとしても、それは、人がいうことであり、それを信用するというのは、
「ただの思い込みでしかない」
ということになるのだ。
そもそも、
「思い込みで勝手な判断をできるというのは、それだけ自信過剰でうぬぼれが激しい」
作品名:限りなく完全に近い都合のいい犯罪 作家名:森本晃次