限りなく完全に近い都合のいい犯罪
といっても、判断能力が最低となり、逆に、悪だくみの方が先に来ることになるのではないだろうか?
これが刑事ドラマなどでは、
「ひき逃げどころか、実際に運転していたという人を別人にでっちあげる」
ということを平気でしていた。
それこそ、任侠の世界での、
「身代わりに自首する」
という、昭和の時代のやくざ映画を彷彿させられるというものだ。
今の時代では、さすがに、
「バレる可能性は高い」
といえる。
それは、
「ひき逃げにしてもそうなのだが、どこで防犯カメラに映っているか分からない」
ということであった。
昔であれば、
「スピード違反を取り締まるカメラに映らなければ、何とかなった」
ということで、それでも、スピード違反のカメラに映っていたことが、何かの犯罪のアリバイ崩しに役立つということもあったくらいだから、
「ひき逃げする場合も、当然のことながら、犯人としては、ずっとびくびくする時期を過ごさなければいけないというのは、今も昔も変わりはないだろう」
ただ、今は、車の中に、ドライブレコーダーというのが設置されている。
こちらは、数年前から問題になっている、
「煽り運転」
という問題から、設置する人が増えたというものであるが、この、
「煽り運転」
というのは、
「車を運転していると、イライラが募ってくる」
というのは、昔からあることであるが、最近では、
「全体的な運転技術の未熟さというものからなのか?」
それとも、
「人間自体が、気が短くなってきている」
ということからくるものなのか、そのイライラを抑えることができず、相手の運転を妨げるかのような運転をして、相手を怒らせ、車を停車させ、本来であれば、相手が文句を言うべきところを、強引に自分から威圧を与え、自分の中にあるイライラを解消させようというような行為のことである。
相手が、どんな運転をしていたのかというのは、この際あまり関係がない。もちろん、他の人をイライラさせるような運転をしていた場合もあるので、その場合は、
「普通の運転トラブル」
ということになるのだろうが、あくまでも、自分のストレス解消を目的として、
「相手は誰でもいい」
という感覚で、人を煽るという、実に悪質な犯罪が横行しているのだ。
だから、
「相手に煽られた」
という証拠を持っていれば、警察に訴えても、
「脅迫罪」
などで、訴えることもできる。
そのための、
「いつ自分が、煽り運転の被害者になるか分からない」
ということでの、防御方法としての手段が、今の時代、標準で装備されることになるだろう、
「ドライブレコーダー」
というものであった。
「今までにもあったかも知れないことであるが、社会問題となって、やっと政府も法律を作ったり、罰則を強化したり」
ということで、重い腰を上げたということになる。
そういう意味で、
「飲酒運転」
「煽り運転」
などというのは、実際に昔からあったが、社会問題になったことで、やっと、
「本来の罪」
に、そのレベルが近づいたといってもいいだろう。
本当であれば、まだまだ足りないくらいなのだろうが、その効果は本当に出ているといってもいいだろうか?
考えてみれば、
「社会問題になり、罰則が強化されたことでの効果として、一番望まれる」
というのは、
「犯罪の抑止力」
というものではないだろうか?
つまり。
「飲酒運転で人を殺せば、殺人罪と同じ」
ということになる。
あるいは、
「煽り運転をすると、それだけで、社会的に抹殺される」
というような刑罰があるとすれば、本来であれば、
「犯罪が驚異的に減ってもいいはずだ」
もっといえば、
「なくなってもしかるべき」
ということのはずなのに、実際には、減るどころか、飲酒運転など、
「歳末取り締まり」
であったり、
「春の交通安全週間」
などという、決まった期間の取り締まりでも、出るわ出るわ。どんどん、検挙されているではないか。
しかも、
「公務員」
あまつさえ、取り締まるべき人間であるはずの、
「警察官」
が平気で飲酒運転をしているという状況である。
そもそも、報道されるのが、公務員ということなのだが、それも毎日のように名前が挙がっているではないか。
つまり、
「氷山の一角」
ということで、それこそ、
「一匹見れば、十匹がいるのではないか?」
と言われる害虫のようではないか。
つまりは、本当の取り締まりでは、相当数がいるということになるのだ。
もっとも、これはありえないと思うが、
「隠蔽というのもあるのではないか?」
という陰謀論的な発想も出てくるというのは、それだけ、
「法律も、行政も信じられない」
という世の中だといえるのではないだろうか?
確かに、警察組織というのも、
「信じられない」
と思えることが多すぎる。
よく言われることとして、
「警察は、何かが起こらないと動いてくれない」
ということで、特に、ストーカー事件などひどいもので、
「ストーカー殺人」
と言われる犯罪が起こった時、そのほとんどが、
「一年前くらいから警察に訴えていて、形の上では、対策を取ってもらっていた」
というものが多い。
当然、それが分かれば、マスゴミなどが、
「警察のやり方に落ち度はなかったのですか?」
という攻撃を受けるだろうが、
「はい、警察としては、状況を判断したうえで、最善の策を尽くしております」
と堂々と記者会見などで言ってのける。
当然、悪かったということを認めておらず、認めるわけにはいかないということなので、被害者や、その家族に謝罪するということはしない。
「お気の毒なことです」
とはいうものの、決して謝罪はしないだろう。
謝罪をしてしまうと、自分たちの手落ちを認めることになるからだ。
それは警察の立場としても、メンツとしてもできるわけはない。
警察の幹部が考えることというのは、
「警察というのは、威厳があり、その威厳を市民が認める状態でないといけない」
という考え方だ。
だから、検挙率にこだわるのも、
「市民に、警察は頼りになる組織」
ということを思わせるための威厳ということで、力を入れているのである。
しかし、本来であれば、
「犯罪を未然に防ぐ」
という観点から、
「検挙率よりも、犯罪の発生率」
というものを示すのが分かりやすいということになるだろう。
しかし、犯罪の発生率をいかに指標にするかというのは難しい。
「犯罪の発生件数」
というものでの比較はできるかも知れないが、例えば、交通事故など一つをとっても、
「交通事故の件数は減っている」
といって、
「ああ、交通事故に関しては、治安が守られているんだな」
と安易に考えていいものだろうか。
というのも、
「件数は減っているかも知れないが、死亡率は増加している」
ということなのかも知れない。
あるいは、前述の問題となっている、
「ひき逃げが増えている」
というようなことであれば、
「凶悪化している」
ともいえるだろう。
さらに、
「飲酒運転の検挙率が高い」
と言った場合、
作品名:限りなく完全に近い都合のいい犯罪 作家名:森本晃次