限りなく完全に近い都合のいい犯罪
それなのに、目撃者が現れたが、その人物は、ただの状況説明だけを行ったのに、それが今度は、自分がその証言通りに殺されることになった。
もっとも、この事故が、
「証言とまったく一緒だ」
ということがどうしてわかったのかといえば、
「この事件に対して、目撃者が現れた」
ということからであった。
今度の事件は、比較的、交通量も、人も多いところであったので、目撃者は、前の事件に比べれば、容易に見つかると思っていたが、実際にそうだった。
今回も、実際に、聞き込みをしている間、なぜか、目撃情報は得られなかったのだが、前と同じように、出頭してくる人がいた。
今回は、前のように、
「一か月後」
などということはなく、三日後という、
「タイムリーな時期だった」
といってもいいだろう。
その時、その目撃者の男の証言はなければ、
「今回の被害者が、前のひき逃げの目撃者と同一人物だった」
ということに気づかなかっただろう。
もちろん、被害者の身元も、目撃者の名前も、分かっているのだが、そもそも、
「ひき逃げの目撃者が、数日後、ひき逃げの被害者になる」
などということがあり得るのか?
と普通は思うだろう。
だから、誰もそこまで頭が回るわけもなく、それが、人間のいいところでもあり、欠点なのかも知れないと思うのだった。
人間というのは、他の生物にはない感覚がある。その感覚というのは、
「世の中にあるすべての可能性から、関係のあるものだけを切り取って解釈することができる」
というもので、本来ロボットに人工知能を植え付けて、人間の都合がいいように、動かそうとしても、人間のような、
「まったく関係のないものを排除して考える」
ということができないことで、
「ロボット開発はとん挫する」
ということになっているが、逆に、人間は、
「関係のあることだけを判断し行動する」
ということができるだけに、本来であれば、
「無限に広がる可能性」
というものを、頭に思い浮かべることもできず、
「関係のあることだけがすべてだ」
と考えることだろう。
そういえば、超能力という発想の中で、
「人間は、脳みその一部だけしか使いこなせていない」
ということで、
「それを使える人がいれば、超能力者がその人だといってもいいだろう」
といえる、
だから、超能力者でなければ、
「無限に広がる可能性」
というものを、頭に思い浮かべることはできない。
ということになる。
それでも、目の前に、
「それが事実」
という形で紛れもないこととして起こったとすれば、人間はそれをいかに理解しようとするのかというと、
「偶然だ」
ということで片付けようとするだろう。
だから、逆にいえば、人間が、
「偶然だ」
という言葉の裏には、
「理解できないことが、現実として起こった場合、まわりだけでなく、何よりも自分を納得させるということで、都合よく使われるのは、この偶然という言葉になるのだろう」
ということであった。
だが、今回のことも、
「偶然だ」
として片付けることは簡単であるが、よく考えれば、偶然という言葉、人間が理解できないだけで、実は必然の可能性がある。
人間はそのことを分かっているので、
「偶然という言葉だけではなく、必然という言葉も、巧みに使い分けることができるということなのかも知れない」
と考えられるのではないだろうか?
偶然の必然
今回のひき逃げ事件、目撃者が現れたことで、これまでは、
「自然な事件経過」
といっていいものが、目撃者が現れ、その目撃者が、
「自分が目撃したのと同じような内容で、ひき逃げされる」
というのは、誰が見ても、
「こんな偶然あるんだな」
ということになるだろう。
実際に、被害者と何ら関係のない人であれば、何といっても、
「他人事」
ということになるので、もし、疑問を抱いたとしても、
「まるで、推理小説のようではないか?
という程度で、
「だからと言って、自分が探偵の真似事のようなことができるわけはない」
と思うのだ。
何といっても、自分たちには、推理を固めるだけの手段がない。
事実関係というものは、新聞やネットに乗る程度の情報しか得られないわけだ。
「報道というのは、知り合えた事実を忠実に伝える」
ということであり、
「まあ、中には、ゴシックの好きな読者向けの、
「スキャンダル」
であったり、
「奇抜な事件」
というものを待ち望む読者のために書いている記事に、どこまでの信憑性があるかということで、どこまで信じられるか分からないというのが実情といってもいいだろう。
今回の事件で、
「偶然が重なった」
と思えるのは、二人目の被害者が、目撃と同じ内容で、ひき逃げされたということからだったのだ。
そもそも、この事実がなければ、この二つのひき逃げ事件を、くっつけて考えることはないだろう。
まさか、
「連続ひき逃げ事件」
というものがあるというのは考えにくい。
「連続殺人」
「連続強盗」
「連続放火」
などというのは、普通にあるが、
「ひき逃げ」
というのは、殺人の手段として使う場合であれば、それはもはや、
「連続ひき逃げ」
ではなく、
「連続殺人」
ということになるだろう。
最初の目撃者は、名前を、
「塩崎豊」
という。
彼は、今回の事件で、信二の詐欺事件とは直接かかわりはないようだった。
それは、詐欺専門の課で調べたところで出てこなかったというのは分かった。
それにより、目撃者がなぜ、いまさら出てきて、しかも、目新しい情報でもないものを出してきたというのか、それがよく分からなかったのだ。
だが、今度は、その男が同じような形でひき逃げされた。
それに関して、
「ただの偶然」
ということで片付けていいのだろうか?
ただ、そう考えれば考えるほど、
「事件というものを、どこかまちがった方向に誘導されているのではないだろうか?」
と考えさせられるような気がして、特に、河合刑事は、気になってしょうがなかったのだ。
特に、
「ミステリーというものを、自分でも書いている」
という河合刑事としては、
「ひょっとすると、他人事のような気持ちになれば、見えなかったものが見えてくるような気がするな」
と考えた。
そもそも、今度の事件は、
「ただのひき逃げ」
ということで実際にはケリがついていた。
だから、これ以上の捜査をしてはいけないということで、情報は限られたものとなっていた。
しかし、推理をするという上であれば、
「これくらいの情報、何とかなるかも?」
と考えた。
もはや、事実がどうであっても、事件解決をしたとしても、それが何になるか?
ということを考えれば、
「いずれは、自分が書く小説のネタになればいいや」
というくらいにまで、考え方を自分から落としたのだった。
そうすれば、
「自分がまるで探偵になったかのようで、自由な発想ができる」
というもので、いろいろと頭の中で考えてみるのだった。
彼が考えたのは、いろいろな犯罪形態というものだった。
もちろん、
作品名:限りなく完全に近い都合のいい犯罪 作家名:森本晃次