限りなく完全に近い都合のいい犯罪
と河合刑事は感じたが、相手は、キョトンとするどころか、平然としていながら、
「何ですかい、その質問は?」
ということで、わざと目を大きく開けて、驚いたようなふりをしているように思えたのであった。
そんな風に、河合刑事には映ったので、
「この目撃者。まるで、満を持して出てきたかのように思えるが」
と感じた。
なるほど、彼が言った証言は、
「今の時期に言ってくる内容としては、犯人を特定することになるようだが、その間に、犯人をでっちあげるとすれば、ちょうどいい期間だったのかも知れない」
と感じた。
しかし、
「それにしても長かったな」
と感じた。
もし、これが、
「相手を殺すのが目的で、事故に見せかけ、あとで犯人をでっちあげる」
というような、組織的な犯罪であれば、一か月も空けるというのは、実に不自然といえるのではないだろうか。
しかし、相手は、
「一か月も掛けて、犯人を捏造した」
ということであれば、
「組織としては、それほど強力なものではなく、ただ、時間稼ぎをしたのではないか?」
とも考えられる。
ということになると、今度の事件の被害者が、
「詐欺グループにかかわっていた」
ということであれば、その詐欺グループに消されたと考えれば、確かに辻褄が合うのではないかと思えるが、それにしては、
「あまりにもできすぎている」
とも考えられる。
「殺された男は、本当は、詐欺グループの首謀者なんかではなく、何かの秘密を握ったことでけされた」
と考えられないだろうか?
それを思えば、
「なるほど、一か月の間に、何かやるべきことがあったからなのか、それとも、これだけの期間開けるだけの何かの秘密があるのか?」
ということを、河合刑事は考えるのであった。
警察としての捜査であれば、
「証拠のないのに、何を勝手な推理しやがって」
ということになるだろう。
しかも、彼は、しょせんは、交通課の刑事、
「お前は、刑事課でもなんでもないんだ」
と言われて終わりである。
だが、警察の
「通り一遍の捜査」
というものでは解決できないものがたくさんあるのも事実で、だからこそ、
「警察は、公務員仕事で、何かないと動かない」
などと言われたりするのだ。
この目撃者というものを、河合刑事は気にしながら見ていた。それでも、犯人を、
「この証言をもとに探す」
ということをとりあえずはしていた。
警察としても、
「目撃情報があった以上、それに沿った捜査をしないわけにはいかない」
ということで、捜査を行っていたのだが、実際に、そのネタから出てくるものは、何もなかったのである。
他の捜査員は、
「一か月も経ってから出てきても、いまさら覚えている人もいないので、捜査になんかならないよな」
と言っていた。
それを聴いた河合刑事は、最初は、
「これが狙いか?」
とは思ったが、そのわりには、何かの思惑がなければ、一か月も経ってからの情報、訴える方も、
「よほど気になっていた」
ということでもない限りは、不自然であると言って過言ではない。
だが、その情報が思わぬ形で実を結ぶことになったのは、それから、一週間後であった。
実際に、目撃情報を元に、最初は捜査員も、
「これで事件が解決か?」
と思っていたところで、ウラを取ろうと捜査をしている捜査員が皆、
「おいおい、何も出てこないじゃないか?」
という、下手をすれば、
「ガセネタを掴まされた」
と考えてしまうような話に乗ってしまったということに、憤りを感じていたその頃、
「ひき逃げ事件発生」
という通報があったのだ。
場所は、
「久保田信二がひき逃げされたところとは全然違うところで、あの時のような、
「夜になると、寂しい」
というところではなかった。
時間的には、夜のとばりが降りている時間ということであったが、場所としてはm比較的人通りが多いところであった、
とはいっても、人通りが多いというのは、
「駅に近い」
ということで、電車を降りて、帰宅する人が歩いている当たりということだからであった。
その場所から、踏切は近く、その踏切から、駅のホームも確認できるくらいであるので、人通りという意味では確かに、好き内とは言えないところであった。
電車は、私鉄ではなく、旧国鉄、つまり、
「JR」
ということであった。
「JRの踏切」
というのは、
「私鉄の踏切」
と違って、
「距離で、遮断機が下りることになっている」
ということだ。
だから、駅に近づいてくる電車が、まだ駅に到着していなくても、距離が範囲内に入ってしまえば、遮断機が下りる。その電車が停車駅ということであれば、
「ホームに入るまで、ホームでの停車時間。そして、発車してから、すべての車両が通り過ぎるまで」
というだけの時間で、最低でも。2、3分近くは遮断機が下りていることになる。
私鉄であれば、もし、
「1分ということが決まっていれば、通り過ぎるまでの1分を逆算すると、停車駅に停車していても、まだ遮断機が下りていない」
ということになるのである。
JRのように待たされると分かっていれば、歩行者であれば
「我慢できない」
ということで踏切を乗り越えるくらいはするであろう。
だから、踏切事故は、
「旧国鉄」
に多い、最近では、私鉄側でも多いのだが、踏切事故もさることながら、最近多いのは、
「不良整備による、車両故障」
であった。
これは、旧国鉄に限らず、私鉄でもあることだ。
しかし、これは、
「不良整備」
ということだけが問題だと思ったら大間違いである。
なぜなら、特に、
「旧国鉄」
などは分かりやすいのだが、あれは、ちょうど、今から40年近く前だっただろうか、時代は、昭和末期と言われた頃であった。
その頃になると、電電公社。専売公社と、いわゆる、
「三公社」
と言われるものが、民営化したのだ。
特に国鉄などは、その経営の怠慢さが、累積赤字を作ってしまい、これまでの国営ではやっていけないということで、国が見放したのだ。
それによって、国鉄は民営化されることになり、各地域で、
「株式会社」
ということで生まれ変わった。
今までには、あまり関係のなかった
「営利」
というものを追求するようになり、本来の株式会社であれば、その営利を追求する場合、その見返りという形で、客にサービスと、運行による安全を保障するのが、当たり前のはずであろう。
しかし、
「旧国鉄」
というものは、営利を追求しながら、やっていることは、
「国鉄時代」
となんら変わりない。
完全に、
「親方日の丸」
そのもので、最初の頃は、頻発した人身事故の時、駅員によっては、客が文句を言っている時、
「人身事故なんで。どうしようもないですよ。ははは」
と、何と、客の前で笑ってごまかそうとするような態度を見せていた。
当然客は怒り心頭で、相手の胸倉をつかむ勢いで文句を言った。ここに至っては、それまで傍観していた客も、怒りをあらわにし、一気に駅員を責め立てる。
それでも、駅員は、
「何が起こったんだ?」
作品名:限りなく完全に近い都合のいい犯罪 作家名:森本晃次