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洗脳の果てに

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 ということだけ書かれていて、もちろん、
「警察に通報すれば、息子の命はない」
 という言葉はしっかりと書かれていた。
 だが、それはあくまでも、
「形式的なことだ」
 というのはよくわかった。
 ただ、警察に通報したのは父親だったのだが、警察とすれば、
「通報してくれてありがたい」
 とは、思ったが、
「この状態で、よく警察に通報できたな?」
 というのも本音であり、相手が何もしない人間たちだったので、事なきを得たが、
「もし、犯人を怒らせて、人質を殺してしまったら、どうするつもりだったのだろう」
 とも考えられた。
 だが、実際には、犯人が怒るどころか、人質は無傷で返ってきた。
 ここで、
「帰ってきた」
 と書かずに、敢えて、
「返ってきた」
 と書いたのは、誘拐されたのは、まだ歩くこともできない、
「生まれたての子供」
 だったからだ。
 もちろん、本人には意識はなかっただろう。
 それでも、短い間だったとしても、誘拐をしながら、乳児の面倒を見るのは大変だったに違いない。
 そう思えば、犯人は単独犯ではなく、
「乳児の面倒を見る」
 という専属の人間がいたはずである。
 そう考えると、
「もし、身代金要求の誘拐に、乳児を使うというのは、もしこれが計画性のある普通の営利誘拐であれば、考えにくいことであろう」
 といえる。
 だとすれば、犯人は、
「被害者に恨みを持っている人間」
 ということになるだろう。
 だが、正直、そういう様子もないようであった。
 というのは、何といっても、無傷で、しかも、警察に通報した翌日には、犯人は子供を返してきたのだ。
 それもやり方として、養護施設の前に手紙を添えて、まるで、一時期流行った、
「赤ちゃんポスト」
 のようなやり方だった。
 ただ、その手紙には、その子の名前と親の名前、そして、
「誘拐犯が、人質を返す」
 という旨の内容が書かれていたのだ。
 だから、すぐに施設は警察に連絡し、人質が無事に戻ったということも分かった。
 医者にも見せられたが、その内容は、
「健康そのもの」
 ということで、何も別状はないということであったのだ。
 それを思えば、この事件は、
「狐につままれた」
 という感じであろうか。
 警察は、
「犯人がどうして、誘拐しただけで、それ以降何もしなかったのか?」
 ということを考えた。
 一番信憑性があるのは、
「警察が動いているのを確認したからだ」
 ということにあるのではないだろうか?
 しかし、前述の話として、
「乳児の誘拐」
 という面倒くさいことを、今のタイミングで行うというのは、
「犯人にとっては、お金目的というのもなきにしもあらずであろうが、それよりも、本当の目的は、復讐にある」
 と考えると、いくら警察が動いているからといって、その作戦を急にやめてしまうというのは、どうにも腑に落ちないといえる。
 ただ、そのおかげで、人質は無事に返ってきたが、ただ、警察の権威は失墜した。
 せめてもの救いは、
「誰も死んだり、ケガをしたりしていない」
 ということだけであった。
 誘拐というのは、された方には、最終的に何もなかったとはいえ。大きなトラウマを残すことになるであろう。
 それを思えば、
「この事件は、何がどうなったというのか?」
 というような不思議な事件で、もちろん、人質が返ってきても、しばらく捜査は行われたが、まったく徒労に終わった。
 それもそうであろう。
 誘拐したという事実以外は、何も起こっていないのである。
「事件が起こってからの捜査であれば、いろいろ証拠を集めたりのできるのだが、実際には、そこまでの事実はないので、手がかりなど、最初からあるわけではない。
 それに、この事件に下手に執着してしまうと、
「何も起こらなかったのに、それを必死で捜査していると、それは警察の威信だけの問題だ」
 ということになるのではないか?
 と、世間やマスゴミから言われるだけである。
 それを考えると、警察も、
「他に事件も抱えているわけなので、すぐに捜査を中止するしかなかった」
 ということである。
 事件はその後、風化されることになり、被害者たちも次第に、
「誘拐などあったのか?」
 と思うほど、すっかり忘れてしまっていた。
 それだけ子供成長というのは早いもので、
「幼稚園から小学校、中学。高校、そして大学」
 と、すでに二十歳になっていたのである。
 そもそも、
「母子のどちらかが危ない」
 と言われ、一度は断念した子供だったのだ。記憶としては、誘拐された事実よりも、そっちの方が大きかった。
 父親もその事実を分かっていた。
 だから、子供も、奥さんも、どちらも大切だと思っている。
 そんな中で、子供が二十歳になったその時、完全といってもいいほど、記憶というものは、
「忘却の彼方」
 に持ち去れていたはずなのに、それを掘り起こすようなことが起こったのだ。
 それが、
「脅迫文というか、誹謗中傷のような手紙が、舞い込んだ」
 ということであった。
 そこには一言、
「誘拐事件を、お前たちは忘れてしまったのか?」
 ということが書かれていて、そこには、
「また、追って連絡する」
 と追記されていたのであった。

                 伊集院グループ

 伊集院グループというと、
「戦後最後の財閥」
 とも言われる巨大会社であった。
 この会社は、
「戦後最大の経済危機」
 と言われた、
「バブル崩壊」
 においても、他の財閥系の会社のように、
「企業合併」
 などによって生き残りをかけるなどということはなかった。
 ほとんどの財閥系のグループは、
「巨大コンツェルン同士の合併」
 を繰り返してきて、何とか生き残り、さらに、そこに、中小企業を吸収合併することで、大きくなってきたというのが現状だった。
 しかし、伊集院グループは、
「吸収合併はするが、他の財閥系と合併ということもなく、しっかりと、昔の地位を保ったまま、バブルの崩壊時期を乗り越えた」
 その理由として、
「番頭クラスに優秀な人材がいて、その人が、戦後の混乱、さらには、その息子が、今度は、バブルの崩壊という危機を乗り越えさせた」
 というのが、もっぱらの通説になっていた。
 伊集院グループには、いつも、きな臭いウワサガ絶えなかった。しかし、それも、執事が一つ一つ処理してきて、警察が捜査に乗り出すというようなこともなく、うまく時代を乗り切ってきたといってもいいだろう。
 ただ、伊集院グループは、きな臭いウワサがある中で、慈善行為にも、必ず顔を出している。
 結構たくさんの病院や、養護施設。さらには、障害者施設という、福祉関係の事業には積極的だった。
 だから、きな臭いウワサガありながら、世間では、伊集院グループに対して、反対勢力もなければ、変なウワサが立つということも少なかった。
 もっとも、それも、執事がうまく処理しているからだとも言われていて、それだけ、伊集院グループは、
「参謀クラスに優秀な人材がいる」
 ということが大きな強みだったのだ。
作品名:洗脳の果てに 作家名:森本晃次