洗脳の果てに
執事の行動は実に迅速で、特に。日本の天変地異などにおける、災害救援チームの発足は、政府などに比べて、実に行動が早く、物資の供給、救助団体を組織しての現地入りと、素晴らしい活躍を見せた。
もっとも、彼らが動くのは、
「国内の危機」
に対してだけであった。
他の土地の危機には、決して人材や、金を使うことはない。
「ジャパンファースト」
というスローガンを掲げていて、これも、伊集院グループの人気が高い理由だった。
なぜなら、まだパンデミックの後始末もできておらず、パンデミックの影響で、まだまだ国内が混乱していて、さらに、天変地異が相変わらず起こっていて、そこに対しての、救援も、まだまだままならない状態だというのに、
「外国で戦争が起こり、侵略された国がある」
ということで、その国に、ポンと大金を送るなどという暴挙を行っていた。
「名目は、救援金ということであるが、実際に、戦争をしている国に金を送れば、それは、武器弾薬に化ける」
という当たり前のことが分かっていないのだ。
「これが、お金ではなく、救援物資」
ということであれば、まだしも、これでは、
「戦争をしろ」
といっているようなもので、そのせいで、世界各国で物価高騰が世界経済を混乱させるということを、政府は分かっているのだろうか?
確かに侵略された国はかわいそうなのかも知れないが、本当は、外交交渉で、戦争を辞めさせるのが、本当の貢献なのではないだろうか?
しかも、その支援金と称する金は、
「国民の血税」
である。
そんな支援金を送ってしまったことで、物価上昇において、国内の企業や国民を支援しなければいけないのに、その金もなく、挙句の果てに、
「資金がないので、増税する」
などという、本末転倒な状態になれば、さすがに、
「バカな国民」
も、政府のバカさ加減に気づくというものだ。
それまでは、政府が海外に支援金を送っている時は、内閣支持率が下がるわけでもなく、支援金に対しても、文句を言っていなかったが、物価高騰に、何ら政策を打ち出すこともできず、しかも、
「増税する」
などと言い出すと、さすがに国民も、
「やっとそのバカさ加減に気が付き、内閣支持率がみるみるうちに落ち込んでいったのだった。
それでも、内閣は、解散も総辞職もしない。ソーリは、首相の椅子にふんぞり返っているだけだ。
「いったい、いつまで居座って、亡国へと日本を誘おうというのか?」
というものであった。
それに比べて、
「政府がもたもたして、人気を落とせば落とすほど、伊集院グループは株を上げる」
ということになるのであった。
伊集院グループは、それだけ素晴らしい組織であり、
「国民にとって、政府が頼りないだけに、伊集院グループの存在は、今も昔の、政府以上の存在だ」
といっても過言ではないだろう。
「伊集院グループは、政府の反面教師的な存在だ」
とも言われているのであった。
そんな伊集院グループは、番頭と言われる参謀に、手島俊三という人物がいる。
彼が、バブル崩壊時に、何とか、伊集院グループを耐えさせたのだが、その力は、先代譲りのものであった。
先代が、
「戦後の混乱期にも、何とか財閥を解体させず、生き残らせた手腕を、そのまま受け継いだ」
といってもいい。
手島家には、それなりの、
「家訓」
のようなものがあり、それが、伊集院家に対しての忠誠と、奉公の気持ちをしっかり持ったことでの対応だったのだ。
これは、一種の、
「封建制度」
のようなものであるが、それは、伊集院家が、しっかりと、
「封建制度における領主」
という立場をしっかりと示しているからだったのだ。
ただ、手島家は、
「領主に対しての、農民」
という立場ではなく、家老職であり、それこそ、参謀といってもいいだろう。
しかも、これが戦になると、
「軍師」
とも言われる立場にもなる。
これほど頼もしい存在はないというものだ。
この手島家というのは、
「裏表の顔を持っている」
ある意味、
「正対」
あるいは、
「相対的な存在」
といってもいいかも知れない。
表の顔は、
「参謀」
としての活躍であったが、裏の顔は、
「実は、裏から手を回す、フィクサーのような存在」
といってもいいだろう。
ある意味で、国家の体制であったり、世の中の体制に対して、伊集院グループという名前を後ろ盾にして、思う存分、裏稼業を歩いているといってもいい存在だったのだ。
普通、
「裏稼業」
というと、暗いイメージがあるが、手島グループは、それを敢えて行うことで、逆に、
「自分たちが表で、参謀として輝くための、準備工作だ」
ということになるのだった。
それを考えると、
「手島番頭のような参謀の存在を、他の財閥系は、その存在の大きさを知っているから、似たような参謀を持っているのだが、裏の組織とは別のものとして考えていた。それがそもそもの、他のグループが、単独で生き残ることができなかった最大の要因となるのであった」
ということになるのだ。
それを、
「合併して何とか生き残った財閥系の会社が分かっているのかどうか分からない」
と言われる。
しかし、そういう意味でも、
「伊集院グループのような巨大コンツェルンの存在は不可欠である」
ということである。
今の日本が、曲がりなりにも生き残っているのは、決して、
「政府のおかげ」
というわけではない。
「伊集院グループのようなところが、暗躍してくれているおかげなのである」
ということであった。
ただ、そんな手島参謀が、
「伊集院グループを、ずっと、最高の巨大コンツェルンとして君臨させておくためには、きれいごとだけでは済まされない」
ということは、当たり前のことであった。
ただ、これは、国家の最高機密だったが、彼らは、裏で詐欺行為を行い、その体制を維持してきた。
それが、半分は、
「巨大コンツェルンを、巨大なままに保っておく」
ということに繋がるのだったが、このことを、政府はもちろん知らない。
これは、一種の、
「大日本帝国」
に存在していた、
「旧日本軍」
というものの体制に似ていたので、海外に対しても、もちろんその存在を知られないようにしていた。
しかし、その存在は、すでにバレているのかも知れない。
それでも、何事もないということは、
「戦後80年以上も経っていて、その分、日本という国は、民主国家になりすぎていて、しかも、世界情勢も変わってきていることから、外国は日本を変えたい」
と思っているかも知れない。
だから、伊集院グループのような存在を、
「必要な存在だ」
と考えることで、
「見て見ぬふり」
というものに徹しているのかも知れない。
「伊集院グループが、かつての、旧日本軍のようだ」
というのは、あくまでも、国家体制ということであり、それは、
「大日本帝国を、戦争という亡国へと誘った体制」
というものなのであった。
しかし、今の、
「日本国の場合は、そんな伊集院グループのような存在がなければ、それこそ亡国に向かうかも知れない」
ということだったのだ。
そもそも、