洗脳の果てに
ということに掛かってくるということになるだろう。
伊集院グループが、実際に表舞台に出てきたのは、
「第一次世界大戦」
というものにおける、
「軍需特需」
から恥じ合っているというのが、通説であった、
実際のところは分からない。
ただ、伊集院一族というのは、
「江戸時代から続いている武家の一族である」
ということに間違いはないということであった。
ただ、これは、
「少なくとも」
ということであり、
「もっと昔からあった」
とも言われている。
ただ、そこから先は、伝説的な話もあり、諸説あるといってもいいだろう。
その中で、一つ大きな話として、
「伊集院一族か、それとも、手島一族かは、江戸時代以前の天皇のご落胤ではなかったか?」
というウワサである。
あくまでも、かなり誇張しているウワサといえばそうなのだが、それも、
「伊集院グループを安泰にするため」
ということで
「作られた伝説」
ということだったのではないだろうか?
それを考えると、
「伊集院一族であっても、手島一族であっても、一歩間違えれば、立場が逆になっていたのかも知れない」
と言われるであろう。
「伊集院と手島が、二人三脚でずっと来ていたということに裏付けになるのではないだろうか?」
ということになるが、
江戸時代までの間に、彼らが生き残るために、実際には、
「かなりの人間を殺してきている」
ということが書物として残っていることで、明治時代になってから、時代も政府もまったく違うものになったことで、伊集院グループの家訓のようなものが、
「なるべく殺生をしない」
ということであった。
これは、人間にかかわらずということであり、確かに動物を殺すのもよくはないが、
「動物を殺す」
ということは、
「自然界の摂理」
というものは、仕方がないものということで、それまで否定してしまえば、少なくとも、
「人間は生存できない」
ということになる。
生命がある程度存在してこそ、人間は生きられるというもので、それが、
「自然の摂理」
ということで、
「循環を意味している」
ということになるのだ。
それを考えると、
「伊集院一族」
そして、
「手島一族」
そして、それ以外の人類。
という形で分類することで、手島一族の場合は、
「自分たちも自然の摂理の一角を担っているというもので、この理論は我々か、その共存共栄で生き残ることができている伊集院一族にしか、その理屈は分からないののだ」
ということになっているのだった。
だから、
「伊集院一族と、手島一族」
というものは、
「できるだけ殺生をしない」
ということをスローガンとしているが、
「自然の摂理」
のような存在は、仕方がないということであり、
その自然の摂理を、
「いかに考えるかということが、その力となるのではないか?」
ということであった。
だから、手島一族は、
「元服してから最初に行う参謀としての儀式は、詐欺行為だ」
ということに決まっているのであった。
ある意味、これが、
「登竜門」
というもので、
「詐欺ができてこその、一人前」
ということで、
「手島一族で、一人前ということになる」
というものであった。
ただ、そのためには、幼少期からの英才教育は、結構厳しいものであった。
手島一族だけでなく、伊集院一族も、一緒になって、
「手島一族の若き首領をいかに育てるか?」
ということが、最大の課題となるのだ。
そもそも、手島一族の問題に、伊集院一族が介入するというのは、この時だけであった。
伊集院一族に対して、手島一族が介入することはなかった。
というのは、
「伊集院一族にとって、普通の帝王学だけで十分だ」
ということになるからだ。
手島一族とは、そもそも、道が違っているのであって、
「果たしてどっちが、他の人たちと近いのだろう?」
と考えても、簡単に答えが出るということはないのだった。
手島一族が行う詐欺というのは、そんなに大変なことではなかった。詐欺事件を起こすということは、彼らにとって、
「大したことではない」
ということであって、実際には、そんな単純なことではなかった。
これは、
「政治家は、育った環境が違う」
などという理由によって、
「どうしても、政治家と国民の法律に対しての温度差がある」
ということに似ているのかも知れない。
もちろん、政治家の中には、
「苦労人」
というのもたくさんいるだろう。
しかし、戦後すぐなどといえば、たたき上げも多かったことだろうが、今の時代は、そのほとんどが、
「世襲議員」
というもので、今の時代は、それこそ、手島一族と同じではないか。
政治家であったり、医者などの一種の、
「先生」
と呼ばれる人たちは、高等な教育を受け、難関と呼ばれる試験をパスすることで、医者や法職に当たる人たちは、医者の免許取得であったり、司法試験をパスすることで、医者や法職につけるのだ。
政治家は、さらにそこから、
「選挙」
というものを経て、その選挙に勝つことで、やっとそこからがスタートラインとなるわけだ。
そういう意味で、一般人から、政治家になるためには、
「先生」
と呼ばれるような肩書を得て、そこで成功し、金を貯め、そこから選挙に出るといういくつもの難関が控えている。
しかし、親が政治家ということであれば、もちろん、政治家になるための、
「英才教育」
というものを、子供の頃から受けてきて、その時に、
「自分が政治家になる」
という確固たる意識を持つことと、逆に、
「それ以外に道はない」
ということでの、ジレンマに陥るかも知れない。
しかし、結局は、その道にしか進むことができないことが分かると、しっかり勉強し、
「帝王学」
というものによる洗脳で、次第に、同年代の他の友達との間に、
「温度差」
という溝ができてくるのだった。
もちろん、政治家の息子が皆同じだとは言えないが、そうやって政治家を目指すようになると、大学を卒業すると、
「一般の会社で一時期働くことになるのか?」
それとも、
「父親の事務所で、私設秘書のような形で働くことになるのか」
どちらにしても、ここからが、
「政治家としてデビューするための、研修期間のようなものである」
そして、一般社会で一通りを学んでも、政治家になることを約束された息子は、ある程度のところで、父親のそばに来て、そこで、政治家のタマゴとしてスタートすることになる」
そうなると、まわりの父親の支援者たちは、息子に対しても、
「いずれは、父親の地盤を引き継いで、政界に名乗りを挙げる人だ」
という目で見ることになる。
本人もそのつもりでいると、父親も引退を考えるようになり、
「政権地盤を息子に譲る」
ということで、世代交代が行われ、
「新たな政治家の登場」
ということになるのだ。
「本人の努力」
というのもさることながら、何といっても、父親の地盤をそのまま受け継ぐというのは、
「これ以上力強いことはない」
といえるだろう。