死体損壊と、犯罪の損壊
ということを示そうなどという意識はなかったが、だからと言って、
「口をまったく出せる雰囲気にもいない」
というのも寂しいものだ。
何といっても、
「何を考えているのか分からない」
という状態が寂しかった。
確かに、何を考えているのか分からないという状況は見てとれたが、一度奥さんが言っていた言葉を思い出して、ドキッとしたのだが、それは、
「あなたが一番何を考えているか分からない」
ということであった。
確かに、家族が何を考えているかということを、まるで顔色を窺ったり、見据えてしまうようなそんな素振りをしていれば、見られた方もいい気分はしないだろう。
それを思うと、
「せっかくの一軒家、こんなものない方がよかったのかも知れないな」
と感じた。
しかし、購入してしまったものを、いまさら、
「じゃあ、いりません」
というわけにもいかない。
そうなると、自分は自分で楽しむということを考えないといけないのだろう。
そういうことから、このくらいの時期から、
「家族の離散」
というものが出てくる時代となってきたのだろう。
もちろん、家族の離散というと、決定的なのは、
「バブル崩壊」
くらいであろうか、
「奥さんも働きに出る」
という、共稼ぎであったり、
「リストラの嵐」
によって、労働形態が、正社員中心から、派遣社員中心という、
「非正規雇用」
というものが増えてきたということが言えるであろう。
会社もそれにより、
「終身雇用」
など崩れ去り、結局、安定性のない雇用形態となったことだろう。
会社も、傾きかけると、大きな企業に、
「吸収合併される」
ということが横行してきて、特に、
「潰れることなどない」
といわれた神話があった銀行がどんどん破綻していき、
「前はどこの銀行だったのか?」
というほど、たくさんの会社を吸収し、大きな銀行が数社生き残ることになったのだ。
かつての都市銀行が、すべて合併ということになり、
「時代はどこに向かっているのか?」
ということになるのである。
そんな夜景をその日は、中途半端な気分で見ていた。
やはりどうしても、
「消えた男」
というのが気になってしょうがないということなのか、その男が消えたところがハッキリしないだけに、気になるのも仕方がなかった。
いつもに比べて、家に曲がるあたりまで、思ったよりも距離があると思っていると、急に、何かの振動を感じ、まるで、辛いものでも食べた時のように、鼻がツンとしてしまい、まるで、
「石をかじった時」
のような臭いがした。
今まで、子供の頃に、
「石をかじった」
というような経験があったような思いがあったが、それは、
「同じようなシチュエーションがあり、鼻がその時の感覚と酷似していた」
ということから感じたことに相違ないだろう。
それがいつだったのか、記憶が薄れていく中で、門脇は思い出そうとするのだが、どうやら、記憶をたどるよりも、意識がなくなる方が早かったようで、気が付いた時は、病院のベッドの上にいたのだった。
気が付けば、目の前に医者がいて、そのそばに、妻と子供が心配そうに、こちらを覗き込んでいる。
看護婦が、そばにいて、奥さんが、門脇が気が付いたことで、
「あなた」
といって、門脇の身体をゆすろうとしたのを制して、
「気が付かれましたね?」
と落ち着いて門脇に話しかけたところを見ると、その冷静さから、
「そんなにひどいけがではなかったのだろう」
ということであった。
実際に、看護婦が医者にコールをすると、少しして医者がやってきた。一通りの診察をしてから、
「これで、一安心ですね。とりあえずは、今日はこのままぐっすりお休みください」
ということであった。
門脇としては、
「何かの事故にあったんだろうか?」
と考えたが、そのことを考えようとすると、頭痛が激しくなることで、それ以上何も考えられなくなったのだ。
それを思うと、
「医者のいうとおり、今日は何も考えずにゆっくり休もう」
と考えた。
家族も不安そうな顔をしているが、目が覚めたことで一安心したのか、とりあえず、
「今日は引き揚げます」
ということだったので、ベッドの中から、二人を見送ったのだ。
すでに、時計を見れば深夜になっていて、バスも通っていないだろうことから、二人は、タクシーで帰宅したということは分かったのだ。
あまり、前のことを思い出そうとすると頭が痛くなるので、他のことを考えようと思った。
家を買った時くらいのことを思い出す分には、さほど頭痛がしてくることはない。どうやら、気を失った時のことであったり、それに関連したことを思い出そうとすると、ひどい状態になるのだった。
それを考えると、
「眠ってしまった方がいい」
と思い、半分、
「眠れない」
という思いがありながら、それでも、何とか眠ることができたのだった。
というのは、
「昔から、眠れないということがあると、あることを思い出すと急に眠ってしまう」
ということがあった。
その夢は、楽しい夢でもあるのだが、子供の頃の切ない思い出というのも含まれていて、
「一概に、楽しい夢」
とばかり言えないところがあるのだが、それだけに、
「眠ってしまえば、楽になる」
という意識が働いて、眠ってしまうということになるのだろう。
それを思うと、
「早く眠らないといけない」
というのに、
「眠れない」
と思った時は、そのことを考えるようにしている。
それこそまるで、
「眠れない時に、羊を数える」
という迷信のような都市伝説なのかも知れない。
実際に、
「皆がいうから」
ということで、羊を数えてみたこともあったが、
「一向に効果がない」
ということであった。
小学生の頃に友達に、
「羊を数えてみたけど眠れなかったんだよな。皆。羊を数えて眠れるかい?」
と聞いてみたが、確かに、
「眠れた」
という人もいたが、大多数は、
「いやいや、あんなことで眠れるわけはない」
ということになるではないか。
それを思えば、
「迷信というのは、本当に迷信なのかも知れない」
と感じたのだ。
少なくとも、一度でも、
「迷信だ」
と思ってしまえば、それは、
「都市伝説から迷信に変わる」
ということであった。
だから、もう、迷信を信じることなく、自分の中にある都市伝説を信じるようにすると、自分の中の都市伝説の力は増大するようで、
「迷信とは言わせない」
と自分の中で感じるのだった。
都市伝説というものを感じなくなると、ゆっくり眠れたのか、何か夢を見たという感覚があった。
しかし、それがどんな夢だったのか、覚えているわけもなく。眠っている時間の夢はかなり長かったような気がしたが、目が覚めるにしたがって、
「あまり眠っていないのではないか?」
と感じたのだ。
それは、
「目覚めの悪さ」
というものが影響しているような気もしたが、それだけではなかった。
どちらかというと、
「夢を見たから、実はそんなに長くなかった」
と思うようになった。
それは、覚えていないまでも、
作品名:死体損壊と、犯罪の損壊 作家名:森本晃次