死体損壊と、犯罪の損壊
というようなものもあったりしたくらいだ。
逆にいえば、それだけ日本の勢いがすごかったということであり、今の時代からすれば、
「ありえない」
ともいえるかも知れない。
ただ、逆にその頃を知っている人は、今の時代を憂いているか、逆に、
「また日本は、超大国を脅かすだけの国になれる」
という、
「お花畑的発想」
を抱いている人もいるだろう。
それができるかどうかは、指導者次第。
今の日本に、それだけの指導者的政治家がいるとは思えない。それこそ、
「アリジゴクに嵌らないようにできるだろうか?」
というのを低い可能性で見るしかないということであろう。
その頃は、街中の集合住宅には、団地と呼ばれるものが、あちこちにあり、そうかと思えば、まだまだ田んぼも、大都市にも、まだ見られるような、そんな光景であった。
かと思えば、山間部は、森林伐採が行われ、新興住宅地ができてきて、
「サラリーマンの夢」
といわれる、一軒家が、できてきていたのであった。
だが、一軒家に住むというと、なかなか難しかった。
「月々の支払い」
というのは当たり前のことで、中には、
「マンションで家賃を払っていくことを考えれば、働いている間に、返していくと考えれば、そこまで高いことはない」
という人もいただろう。
しかし、
「一軒家というのは、持てる人はそんなにいない」
ということだったりもする。
というのは、
「一度買ってしまうと、簡単に手放せない」
ということだ。
賃貸マンションであれば、気に入らなかったり、何かあれば、半年くらいで引っ越すということも不可能ではない。
例えば、
「ご近所トラブル」
などということがあれば、それは、
「部屋が気に入らない」
というわけではなく、近所の住人が、
「何か嫌がらせをしてくる」
であったり、
「隣の部屋が煩くて、苦情を出しても、まったく何も変わらない」
ということもあるだろう。
そんな状態で、ストレスだけが溜まっていき、家族に八つ当たりなどをしてしまうなどということになれば、
「これほど理不尽なことはない」
ということになるのではないだろうか。
それを考えると、
「引っ越せばいい」
ということになるだろう。
八つ当たりをする前に、そう具申するかも知れない。そう思えば、団地やマンションなどという集合住宅での近所付き合いは大変だろう。
だが、それは、一軒家になったからといって、変わりはない。
「庭つき一戸建て」
というのは、サラリーマンの夢であることは、今も昔も変わりない。
戦後の致命的な住宅難でもなければ、団地がその状況を救い、急速に住宅が建設されていった時期から、サラリーマンは、きっと皆同じ夢を見ていたことであろう。
戦後、30年近くも経てば、住宅難ということもなくなり、国民の生活も、
「最高水準」
といってもいいくらいになっていた。
ただ、これは、前述のように、
「個人差」
というものがあり、時代とともに、世の中が豊かになれば、上を見れば、どんどん上に伸びていて、
「底辺の引き上げ」
というものは、そうもうまくいっていないということで、結果、
「貧富の差が激しくなっただけのことだ」
ということになるであろう。
それを考えると、
「世の中が豊かになったからといって。手放しに、国が豊かになったとはいえない」
という実情があるということであろう。
そんな時代において、中間層の人たちくらいは、経済成長の恩恵を受けていたかも知れない。
その、
「せめてもの楽しみ」
というか、
「ささやかな目標」
というのが、
「庭つき一軒家」
というものであっただろう。
しかし、それも、いろいろな条件が重なることで、簡単に購入できるわけでもないということであった。
特にその時代あたりから、勤務する会社が大きければ大きいほど、社員の中での、
「出世競争」
というのは、大きなものとなるだろう。
会社の中で、
「出世コース」
というものに乗ろうとすると、
「転勤」
というものから逃れられないというのが、サラリーマンというものの、宿命ということでもあった。
それも、もちろん、業種によって違いはあるだろうが、
「銀行などの金融機関であれば、3年くらいのペースで、どこに転勤させられるか分からない」
ということが当たり前のようになっていた。
また、海外にも事業所があるところなどは、
「出世コース」
というものに乗ると、
「海外勤務は必須」
ということであり、
「もし、一軒家を買ったとしても、簡単に引っ越すこともできないということで、旦那さんだけが、単身赴任」
ということになるのだ。
だから、会社では、単身者用に社宅を用意していたり、転勤の際に、
「数年で呼び戻す」
というような条件をつけるところもある。
ただ、そのようなことは、会社の優遇であり、会社の提示した転勤を断れば、
「会社を首になる」
ということが当たり前だということになるわけだ。
もちろん、
「転勤できないようなやむを得ない事情」
というものがあれば別だが、もし、これが、裁判沙汰にでもなると、会社の規定した、
「就業規則」
というものへの、
「やむを得ない理由」
というものの解釈が難しくなるということだ。
しかし、結構、会社員の方に厳しい裁定が下るというのも、普通にあるだろう。
たとえば、
「子供の学校の問題」
というのは、基本的には、問題とならないレベルであろう。
「だから、皆単身赴任しているではないか?」
と言われればそれまでで、では、
「家族に病人がいる」
ということであればどうであろうか?
この場合も、同じことで、そう考えれば、ほとんどの場合は、
「家族の事情が、転勤命令を断るだけの、やむを得ない事情」
ということにはならないということになるであろう。
それを考えると、
「転勤がある人は、転勤命令が出た時、単身赴任もやむなしでなければ、一軒家を持つことはできない」
ということになるだろう。
さらに、転勤のないと言われている家庭でも、前述のような、
「ご近所トラブル」
などということを考えると、こちらは、そう簡単に、引っ越すということもできないので、どうしても、お金が計算できるとしても、
「本当にずっと住み続けることができるのか?」
ということになると、難しい問題だということになる。
ただ、それでも、新興住宅というのは、どんどんできていき、分譲住宅としての土台ができてきたところで、学校や、病院、そして、当時から、徐々にみられるようになった、
「郊外型の大型商業施設」
というものもどんどんできてきて、
「街自体の様相が変わってくる」
ということになり、
「生活分布図が、それまでと大幅に変わりつつあったのだ」
といえるだろう。
それまでは、電車やバスなどでの、
「公共機関による通勤」
というのが主だった。
もちろん、都心部からの、
「通勤圏内」
ということで、都心の駅から、30分以内でいける駅近くというのが、ほぼほぼ、通勤圏内と呼ばれるものとなっていただろう。
作品名:死体損壊と、犯罪の損壊 作家名:森本晃次