死体損壊と、犯罪の損壊
よくミステリー小説や、サスペンスドラマなどで、時効があった頃の話として、
「時効まであと数日」
ということで、そんな指紋が見つかり、
「何としてでも、時効までに犯人を検挙する」
などというストーリーは、結構あったような気がする。
その時に、
「顔のない死体のトリックだったのでは?」
ということになるだろう。
何といっても、今見つかった指紋は、捜査本部があった時、
「被害者だ」
ということで特定されたものだっただけに、警察としては、大きなミスを犯したということになり、その事実が分かった時点で、上層部は、
「検挙は至上命令」
ということになるに違いない。
そういう意味で、
「顔のない死体」
というのは、
「トリックとして考えるのであれば、それは、公式が存在する」
ということで、他のトリックとは、一線を画したもおのだといってもいいかも知れない。
ただ、時代が進んでくると、
「顔のない死体のトリック」
や、
「アリバイトリック」
などというのは、
「時代にそぐわない」
といわれるものとなってくるだろう。
というのは、
「科学捜査の発達」
というものが大きいのではないだろうか。
指紋の照合や身元確認などというのも、今では警察内部、警察以外の医療機関でも、コンピュータ管理されていて、それらが、早急に照合できるようになったことで、さらに、精度の高い、身元確認ということになり、犯人も、
「顔のない死体のトリック」
というものを使えなくなったことだろう。
さらに、
「アリバイトリック」
というのも、やりにくくなっているだろう。
今の時代は、いたるところに、防犯カメラが設置してあったり、車の中には、ドライブレコーダーが積んであったりする。
つまりは、
「自分が見える範囲で誰も見ていないと思っても、防犯カメラや、その時たまたま走っている車のドライブレコーダーに映っている可能性もある」
ということで、警察は、防犯カメラと一緒に、
「その時通っていた車を探す」
ということもしているだろう。
中には、定期配送の車などで、
「毎日同じ時間に、ほぼ同じ場所を走っている」
という車だってあるだろう。
中には、
「エンジンをかけたまま、休憩している」
というようなドライバーもいないとも限らない。
それを考えると、
「アリバイ工作など不可能だ」
といわれる時代になってきたといってもいいだろう。
ただ、今の時代は、いろいろ難しいところもある。
確かに、防犯という意味で、防犯カメラの設置は、
「不可欠だ」
ということになるのだろうが、実際には、
「個人情報」
つまり、
「プライバシー」
というものの保護というものが重要になってくるというものである。
特に、
「個人情報保護」
というものは、これも、問題が
「コンピュータ普及」
というところにかかわってくるということで、話がややこしくなる。
今の時代は、
「便利になればなるほど、それを利用しての犯罪も多発する」
ということになるのだ。
その一つが、
「ハイパー詐欺」
のようなものであり、その最初の手口として、
「相手のコンピュータから、個人情報を盗む」
ということである。
コンピュータウイルスなるものを相手のパソコンに侵入させ、そこから、個人情報を抜き取ったりして、さらに、そこで、相手の電話番号や家族構成などを盗み取ると、何か、公共施設の職員を装って、金を送金させるなどというやり口だったりするのだ。
相手が、こちらの個人情報を知っていた李すると、
「ああ、やっぱり、公共施設の職員なんだ」
ということで安心して、相手の言いなりになってしまうのである。
最近ではよくあるのは、
「還付金詐欺」
というものだったりする。
ただ、昔の探偵小説の時代は、
「パソコン」
などというものはなく、
せめて警察の捜査のために、大型コンピュータによって、情報を管理するということもあっただろう。
膨大な数の指紋などは、そこで管理して、照合するというのは、技術は進化はしただろうが、昔と変わらないといってもいいだろう。
それを考えると、
「犯罪形態やトリックなどというのは、今ではなかなかできなくなったものも出てきたが、今の時代ならではの、多種多様な犯罪が生まれてきた」
というのも事実である。
それだけ、
「犯罪というものは、どんどん変化していくということで、いくら、科学が発展し、昔の犯罪ができなくなったとはいえ、今度は、そのコンピュータなどを駆使した捜査の逆手を取る形で、ウイルスを送り込むなどして、犯罪を多角化させるということで、実際に犯罪はなくなるということはない」
といえるだろう。
それこそ、
「いたちごっこ」
というもので、
「ウイルス駆除ソフトを作って対応しても、今度は向こうも、さらに他のウイルスを開発してくる。そして、そこにまた駆除ソフトを開発すると、相手はそれ以上のウイルスを作ってくる」
という形での、
「いたちごっこ」
になるということである。
ただ、戦後からの探偵小説などにおいて、確かに、
「顔のない死体のトリック」
というものが、多く使われたという事実は紛れもないことであり、今でも、ドラマ化されたものとして、当時を思わせる、、ある意味、
「新鮮な作品だ」
というのは、不謹慎なことであろうか?
今度の事件は、ちょうど、そんな探偵小説がブームを迎えた、1970年代に発生した、いわゆる、
「顔のない死体」
から端を発するのであった。
新興住宅地
当時は、まだ、昭和と呼ばれる時代で、世の中は、ちょうどそれまでどんどん新しいものが開発されていき、家電や日常必需品と呼ばれるものが、飽和状態になりかかっている時期であった。
日本という国が、
「一番輝いていた時代」
といってもいいかも知れない。
その後には、確かに、
「バブル景気」
などというものもあり、
「何をやってもうまくいく」
といわれた時代だった。
ただ、それは表面上のことで、相変わらず、貧富の差は激しく、景気に浮かれているのは、
「一定水準以上の人たち」
ということで、世の中には、それ以下の人もかなりたくさんいるわけで、その人たちは、決して生活水準が上がるというわけではなかった。
つまり、
「金持ちだけが得をする」
ということであり、ただこれは、
「その時代だけにいえる」
ということではなく、他の時代にも言えたことだったのだ。
それを思えば。
「バブル景気」
というものが崩壊したというのも、
「必然だった」
ということではないだろうか?
ただ一つ言えることは、
「世界大国の中に日本がいて、企業単位のランキングでいえば、ベストテンの中に、日本企業が、半分以上いた」
という時代もあったのだ。
「ジャパンアズナンバーワン」
などといわれた時代もあり、アメリカなどの超大国からすれば、
「おもしろくなかった」
といってもいいだろう。
「経済摩擦」
などと呼ばれるものが、
「自動車産業」
というものが代表例として、アメリカでは、
「不買運動」
作品名:死体損壊と、犯罪の損壊 作家名:森本晃次