死体損壊と、犯罪の損壊
というものを、そのまま信じる人はいないだろうが、だからと言って、どこに逃げるというわけにもいかない。
日本のほとんどの場所は、どこに逃げても、空襲にさらされるわけで、疎開でもしないと、どうしようもないだろう。
しかし、自分だけ逃げるわけにもいかないし、差別もひどいはずなので、結局は、政府や、大本営のいうことを聞くしかないのだろう。
さすがに、原爆投下、ソ連の参戦などが重なって、政府が無条件降伏をしたことで、いわゆる、
「終戦」
ということになったのだ。
実際には、
「無条件降伏という敗戦」
であり、そこから、
「占領統治」
というのが行われ、
「死なずに済んだ」
というだけで、ここから実際に
「戦後の混乱」
というものが起こってくる。
確かに、
「空から爆弾や焼夷弾が降ってくる」
ということはなくなったが、食糧難であったり、住む家がないということはどうしようもないこととなり、
「栄養失調」
などで餓死をしたり、住む家がないことで、
「凍死する」
という人も少なくはなかっただろう。
何といっても、致命的に物資がない。いわゆる、
「ハイパーインフレ」
である。
お金を持っていても、
「紙きれ同然」
ということで、肝心の食糧は配給制。それも、いつ配給があるか分からないというものであった。
だから、次第に、
「闇市」
というものが流行ってくる。それが、さらに戦後の混乱に拍車をかけるというもので、治安など、あってないようなものだといえるかも知れない。
それを考えると、
「闇市というものは、必要悪の一種だったのだろうか?」
とも考えられる。
しかし、それがなければ、生き抜くことはできなかった人もかなりいるだろう。実際に、
「闇市などは使わない」
といって、栄養失調でなくなったという人もいたくらいなので、その判断も難しいところであっただろう。
そんな時代を何とか乗り越え、
「もはや戦後ではない」
という時代に入ってくると、探偵小説も、また読まれるようになってきたのだ。
中には、
「戦後の混乱」
を探偵小説として描いた作家もいれば、
「人間の性格や、歪んだ時代を背景に、動機も歪んだ犯罪が多く描かれる」
ということもあったりしたのだ。
もちろん、その頃も映画化などされたりした作品もあったが、実際に爆発的な人気となったのは、
「戦後、30年近く経った頃だった」
というのは、ちょうど、その時代にブームが訪れたということになるのであろうか。
それが、横溝正史の作品であり、空前の、
「金田一耕助ブーム」
だったというわけである。
横溝正史は、自分なりの、トリックに対しての考え方があり、それを小説の中で書いていた。
「密室トリック」
「顔のない死体のトリック」
「一人二役トリック」
「アリバイトリック」
などなどである。
この中には、
「最初からトリックを読者に示すもの」
もあれば、
「トリックが分かってしまうと、そこで犯人までも分かってしまう」
というものもある。
密室トリックのように、
「密室トリックなということは分かるが、その謎をいかにして解くか?」
ということがあるという。
そんな中で、
「顔のない死体のトリック」
というものがあるが、これは、当時の探偵小説では、結構使われたトリックだったといってもいいだろう。
「顔のない」
というのは、いわゆる、
「死体損壊トリック」
とも言い換えることができる。
いわゆる、
「首なし死体」
であったり、
「顔をめちゃくちゃに傷つけられていて、さらには、身体の特徴のある部分を分からなくする」
ということで、簡単にいえば、
「被害者が誰なのか?」
ということを分からなくする
というものである。
そこにどのようなメリットがあるのかというと、
犯罪というのは、
「被害者と加害者」
というものが存在する。
被害者がいるから、加害者を捕まえて、処罰するというのが犯罪であり、見つかった死体の身元が分からないということになると、おのずと、
「犯人も分からない」
ということだ。
被害者が誰だか分かったことを前提に、被害者の身辺調査が行われ、現場近くでの、目撃者捜しなどと並行して、
「犯罪動機」
という観点から、犯人を捜すということである。
さらにもう一つ言えることとして、
「そこで見つかった死体が誰かは証明できないが、まわりの状況であったり、証言などから、ひょっとしてという人物が浮かべば、その時の状況が、分かってくる」
ということであれば、
「何も故意に死体を損壊させる必要がない」
という状態で、犯人がわざとそんなことをしているのであるとすれば、一つの疑念が浮かんでくるというわけで、それが、
「探偵小説のトリック」
として考えられるようになった。
つまり、
「顔のない死体のトリック」
というものには、公式のようなものがあり、それが、
「被害者と加害者が入れ替わる」
というものであった。
その場合のメリットとしては、
「犯人は、殺されたということになり、身を隠すことで、指名手配されることはない」
つまり、警察が、犯人を、
「被害者だ」
と認定すれば、指名手配は、被害者を探すことになる。
何しろ、指名手配の相手は死んでいるのだから、手配をしても、見つかるはずもない。
しかも、犯人は死んだことになっているので、手配されることはないというわけなので、この事件は、迷宮入りということになるであろう。
当時の殺人には、
「時効」
というものがあり、
「15年間捕まらなければ、それ以降、犯人だと認定されても、逮捕されることはない」
ということになるのだ。
問題は、時効が成立するまでの15年間というものを、いかに犯人が逃げおおせるかということになるのだ。
基本的に、15年間もずっと、
「捜査本部が開かれたまま」
ということはないだろう。
事件は、他にも山ほどあるわけで、一つの事件に、捜査員をかなりの数動員して捜査に当たるというのも、限度があり、その間に犯人が捕まらないと、
「未解決事件」
ということになるのだ。
以前は、その未解決事件も、
「時効成立前」
「時効成立後」
ということで別れて捜査資料などは保管されていたであろうが、時効が撤廃された今では、
「すべてが、ただの未解決人」
ということになるであろう。
だから、未解決事件というのは、ひとくくりにすると、相当な数であることに間違いないだろう。
さすがに警察も、捜査本部が解散してしまえば、その後で、何かの決定的な証拠というものが出てこない以上、捜査をすることもない。
その決定的な証拠というのも、
「何か他の事件で捜査を行った時に、その決定的な証拠が出てくるというようなことでもない限り、ありえないことだ」
といえるのではないだろうか、
例えば、空き巣や、万引きなどという事件があった時に採取した指紋を照合する中で、指紋が見つかったなどという場合である。
もし、その指紋が、他の事件の前科者であったりして、その事件が、殺人事件の前であれば、見つからないわけでもないだろう。
作品名:死体損壊と、犯罪の損壊 作家名:森本晃次