死体損壊と、犯罪の損壊
何やら、被害は大したことがなかったのだが、逃走経路はしっかりしていたようで、まるで神隠しにあったように、犯人は消えてしまったのだ。
捜査員の中には、
「銀行強盗自体が、フェイクではないか?」
と思っている人もいた。
それは、
「探偵小説のファン」
のような人で、
「目的は他にあったのではないか?」
と思っていたが、それを公然としていえるわけもなく、それを言ってしまうと、それこそ、
「警察官として、恥ずかしくはないのか?」
といわれることであろう。
何しろ、
「警察の捜査は、理屈ではなく、足で地道に稼いだ証拠を組み立てるkとが、警察の仕事であり、一番美しい」
という、一種の、
「耽美主義的な考え方」
があるというものではないだろうか。
そういう意味で、
「銀行強盗事件」
というのは、発生してから数日くらいは、
「センセーショナルな事件」
ということで、皆の記憶にはあったが、警察もそれなりに捜査もしていた。
しかし、どうしても、大げさなわりには、誰も殺されたり、ケガすらさせられていない状態で、しかも、
「被害額も大したことはない」
ということになると、誰もがそして、警察までもが、事件を次第に風化させていくのだった。
それこそ、
「人のうわさも七十五日」
といわれるが、それどころか、
「数日だった」
ということだ。
それを考えると、誰も、この事件を連想しなかったのも当たり前というものだが、
「探偵小説のファン」
ということで、銀行強盗自体を、
「フェイクだ」
と思っていた捜査員は、すぐに、今回の腐乱死体事件と、その時の、
「銀行強盗事件」
を結び付けて考えていた。
しかし、それを上司に具申するようなことは、できる状況ではなかった。
その刑事は、最近、派出所勤務から、刑事課に上がってきたばかりの、いわゆる、
「ぺいぺい」
といってもいいくらいで、
「警察の上下関係から考えると、どうせ、まともに相手になんかしてもらえない」
と思うと、
「誰が教えてやるか」
というくらいにしか思っていないのだ。
「最後に真相が分かって、その時初めて、自分たちの愚かさに気づけばいいんだ」
と思っていたことだろう。
ただ、その刑事は、ちょうどその時、伊集院刑事と組んで、
「腐乱死体も身元を捜査する」
という任務に就いたのだ。
本当は、他の人が捜査の任務に就いていたが、その人が、今度は別の事件で他の課の応援ということになったので、繰り上がりのような形で、その刑事が、伊集院刑事と一緒に捜査をすることになったのであった。
彼は名前を。
「佐久本刑事」
という。
まだ、二十代前半という若い刑事で、今度の捜査には、ある程度張り切っていたのだ。
そこで、
「差し出がましいようですが」
ということで、自分の考えを伊集院刑事に打ち明けた。
それを聞いた伊集院刑事は、
「ほう、それはなかなか面白い発想だな」
ということで乗り気になってくれた。
佐久本刑事は、半分有頂天になり、まるで、
「探偵小説を読んでいる」
というような内容を、伊集院刑事に、話したのであった。
冤罪
事件の真相というのは、意外と簡単なところから、あるいは、意表を突くところから出てくるというもので、今回の事件もそうだった。
腐乱死体の身元というのが、分かってくると、結構いろいろ出てくることから、
「最初はまったく繋がっていた」
と思えるようなところであっても、気が付けば、どんどん明るみに出ているということもあるというものだ。
それが、実際に、
「犯人がもくろんだことなのかどうなのか?」
ということは、ハッキリといえることではないので、事件が分かっていくうちに、自然と分かることも出てくるというものであった。
なるほど、考えすぎと思えるほどに、事件を側面から見ていると、そこからは、何も出てこなかったが、実際に誰もが考えるような、正攻法で捜査してみると、それらしいものも浮かんできて。
「そんな単純な」
と思えるようなところから、事件は進展していくというものだったのだ。
それが、前述の銀行強盗事件であり、その事件が、次第に、
「事件として、フェードアウトしてくる」
ということから、すぐに見つからなかっただけだ。
それは、
「この事件があまりにも曖昧で、そのくせ、何か仕組まれた感というものが漂っていることで、簡単には考えられない」
ということから、どうしても、余計なことを考えて、平行線であるかのように、
「この事件とが交わることはない」
と皆が勝手に、そう思っていたのだろう。
ただ、それは、警察脳といえばいいのか、
「警察官としての最低限の発想」
ということを考えると、そこを見逃したとしても、
「言い訳ができる」
というレベルのものだといってもいいだろう。
それを考えると、
「警察というものを考えた時、最低限の、一般市民との発想の違いというのはあるもので、それが、警察として当たり前のことであればこそ、事件に携わるだけの力がある」
ということであり、逆に、犯人の中には、
「それを逆手にとって、自分たちの犯罪計画にかぶせてこよう」
と考える連中もいるだろう。
そんなやつらは、
「犯罪計画」
というものを練るに際して、
「犯罪学というものを熟知して、それを使っての考え方で、警察に挑戦してくる」
ともいえるだろう。
だが、逆に、あまりにも当たり前のことであれば、警察からすれば、
「裏を掛かれた」
とまで思うほどの、茶番だってあるかも知れない。
要するに、
「そんな当たり前のことを、犯人が考えるわけはない」
ということである。
リスクを犯して犯罪を行うのだから、
「衝動的な犯罪」
でもない限りは、事件を自分の中で整理して、入念な計画を、犯罪者は立てるはずだからである。
そうしないと、簡単に捕まってしまう。
犯罪者が、事件というものを実行して、
「罪に問われるのが怖い」
というのは、ある意味、二次的感覚ではないかと思えるのだ。
犯罪を計画するということは、何かの動機があって、
「犯罪を犯さなければ、いけないという自分の中での何かがある」
ということである。
だから、最大の覚悟の下に、計画し、計画に対しての、一寸の狂いもなく遂行するというのが、当たり前のことだ。
だとすると、遂行というものと、その完遂が最優先であり、その後の、
「罪に問われる」
ということは二の次だと考えると、
「捕まらないための計画」
ではなく、
「犯罪を完遂させる」
ということへの計画が大切であり、こちらの方が、簡単難しいということは抜きにすると、よほど、しっかりと計画を立てないといけないということになる。
そう思えば、
「犯人の計画は、警察も犯人の気持ちになって考えないと、どうすることもできないのだろう」
ということになる。
だから、ちゃんとした計画を立てておかないと、うまくいかないのである。警察が単純に考えられないというのは、そういうところを、
「犯罪者と逆の立場」
作品名:死体損壊と、犯罪の損壊 作家名:森本晃次