無限であるがゆえの可能性
「苦しかっただろうに、もっと生きていたいと思っていただろうに」
ということを思うと、
「志半ばで死んでいった人のことを考えると、どうしようもなくなるという場合だってあるであろう」
それが、親子や兄弟。そして、これから一緒に家族になると誓った、恋人であったり、婚約者であれば、その気持ちは強烈なものであろう。
「これから、自分は、あの人のいないこの世界で、どうやって生きていけばいいんだろう?」
ということを思い悩んでの犯行ということになるだろう。
それを考えると、
「警察や裁判というのは、生ぬるい」
と思っても仕方がない。
「警察や司法ができないのであれば、自分がするしかない」
ということで覚悟を決めての犯罪というのも、実に多いことだろう。
世の中で、
「犯罪がなくならない」
というのは、
「復讐された相手にも家族がいる」
ということで、そこから、
「いたちごっこのような、負の連鎖」
というものが、無限に続いていくことになる。
ということであろう。
司法が復讐を認めないのは、本当のところは、そういう
「負の連鎖」
というものが、どれほど犯罪を増長させるかということを分かっているからなのかも知れない。
そんな交換殺人であるが、やはり、
「もろ刃の剣」
といってもいいのではないだろうか。
そういう意味で、
「ハイリスクハイリターン」
というものであって、
「ばくち的」
だということになると、誰もやらないということのなるであろう。
しかし、そこに挑戦するのが、
「探偵小説作家」
というものである。
奇抜な発想がなければ売れないわけで、かといって、
「小説のタブーというものを破る」
ということはやってはいけないということになるだろう。
その一つとしていえることは、
「ノックスの十戒」
であったり、
「バンダインの二十則」
と呼ばれるものであった。
例えば、
「犯人を最後の最後に登場させる」
というのは反則である。
また、
「犯罪のトリックに、霊能力などの、超常現象で簡単に片づけてはいけないだろう」
とは言っても、
「絶対にダメだ」
ということはない。
読者の想像内であったり、ストーリーの展開として、舞台などが、
「超常現象がテーマとなっている」
とことであれば、
「何とかありだ」
といえるだろう。
つまり、
「小説を書くうえで、作者が、読者が、謎解きできるだけのヒントを与えていれば、それは十分に許容範囲である」
といえる。
それどころか、
「探偵小説の醍醐味は、作者が読者に挑戦し、謎を解いてみろということで、その謎解きの材料を、ちゃんと作者が示していれば、問題ない」
ということである。
読者が看破できれば、読者の勝ち。最後に、読者に、
「おお、そう来たか?」
ということで、分からなくても、納得いける内容であれば、
「お金を出して買った甲斐があった」
ということになるのだ。
それが、どんなにベストセラーであっても、その読者に、
「なんだ、評判ほどではないな」
と思われれば、作者の負けである。
「小説というのは、勝ち負けではない」
という人もいるかも知れないが、それだけではない。
確かに勝ち負けではないが、
「金を出して買った以上、ミステリーというと、謎解きの醍醐味を味わうものだ」
と読者が考えれば、少なくとも、読者に対して、作者が、
「挑戦状をたたきつけている」
ということでなければ、読者は納得しないだろう。
どんなにベストセラーであろうがなかろうが、
「小説というのは、そのジャンルの中で、最低限の小説としての体裁以外に、買う価値というものがあるとすれば、読者が、読んで、納得のいく小説」
ということになるであろう。
その中でミステリーというのは、その謎解きに対しての、
「トリック」
であったり
「読者への挑戦」
であったり、
話の進め方として、
「犯人が最初から分かっていて、犯人を追い詰めていくというような作風もある」
というものだ。
それが、
「謎解きの醍醐味に繋がってくるというもので、そして、作者とすれば、自分の作風であり、それが、作者の特徴」
ということであり。それが、
「個性だ」
ということになるであろう。
それを考えると、
「交換殺人」
などの殺害方法は、
「トリックを絡めるところ」
ということで、殺害方法や、トリックの種類によっては、
「読者に、最初から分かっていないといけない」
というものもあれば、
「読者に看破された時点で、作者の負け」
というものもある。
前者であれば、
「アリバイトリック」
であったり、
「密室殺人」
であったり、
「死体損壊トリック」
などは、殺害現場を見たり、捜査が進むにつれて分かってくるというもので、探偵小説としては、ここを読者に隠しておくというのは、ルール違反だということになるであろう。
逆に後者とすれば、前述の、
「交換殺人」
であったり、
「一人二役トリック」
などは、作者に分かってしまうと、その時点でアウトだということであろう。
前者の場合は、アリバイトリックだということは分かっても、問題は、そのアリバイトリックの解くということが醍醐味であり、一言でトリックといってしまったとしても、そこから謎解きがその後にあるということであれば、いかに、謎解きと読者がするかということになるのだが、作者としては、読者に対して、
「出せるだけの情報は絶対に出しておかないといけない」
ということになるのだ。
それも、たとえば、アリバイトリックなどで、
「電車を使えば、アリバイトリックとしては完璧だが、飛行機を使うということを読者が最終的なトリックとすれば、それを卑怯だ」
といえるだろうか。
この場合は、
確かに提示はしていないが、
「飛行機を使う」
ということくらいは、読者にも容易に判断できる。それを作者が提示しなかったからといって、
「卑怯だということになるのは、おかしなものである」
というのは、
「読者としては、言わないことで、読者に、飛行機を使うなどありえない。あるいは、飛行場が近くにあるともないとも言っていないから、飛行機はありえないと考えたとすれば、読者はブービートラップに引っかかった」
ということになるであろう。
それを考えると、
「情報を出さないのもわざとということであり。それこそ、トリックの中の一つとして、
叙述トリックというものだ」
といえるであろう。
完全犯罪の神髄
犯罪として、確かに交換殺人は成り立たないだろう。
何といっても、
「肝心なことを忘れている」
ということである。
何といっても、交換殺人というものは、誰がなんと言おうとも、殺人という犯罪なのであり。これが、最初に誰かが殺されたとして、その人が殺されたことで、初めて、犯罪が露呈し、
「被害者と加害者」
そして、犯人に対して、
「逮捕されれば、それに似合うだけの刑事罰」
というものが、裁判によって決まるということになる。
交換殺人においても、それは代わりのないことであり、ただ。
作品名:無限であるがゆえの可能性 作家名:森本晃次