無限であるがゆえの可能性
「ありがとうございます」
ということでお金を借りて、事業を拡大すれば、それだけの成果が数字となって表れて、まさか、それが、
「虚空で、実態のないものだ」
という意識が、誰にあったであろうか?
そもそも、
「バブル経済」
というのは、泡であり、実態のないものだ。
当時は、
「土地ころがし」
などという言葉もあり、
「土地を右から左に転がすだけで、大きな富が得られる」
という時代だった。
だからこそ、
「投資は正義」
といわれていたりして、
「お金を回すことが、経済を豊かにすることで、皆が幸せになれることだ」
と信じて疑わなかったのだ。
それは確かに間違いではない。
歯車が一つかみ合えば、すべてがうまくいくからで、逆に一つでも狂えば、すべてが瓦解するといってもいいだろう。
それくらいの理屈は分かっていた人もいるだろう。
しかし、それを口にしてしまい、そのために、もしうまくいっていることが、いつの間にかうまくいかなくなり、結果、
「自分の一言が、世間の歯車を狂わし、どうにもならない状況にしてしまったら」
ということを考えると、何もできなくなってしまう。
特に、
「うまくいっている」
ということであればあるほど、
「自分の一言が余計な波紋を呼んだり、想定していないことが起こってしまったりすると、その責務は、すべて自分に来る」
というものである。
精神的にも、罪の意識にさいなまれ、それが自分を苦しめることになるのだ。
そんな状況を自らが作り出すというリスクは、世の中がうまく回っているだけに、何もできないのである。
「世の中というものが、どうなればいいのか?」
そんなことが分かっていれば、誰も苦労はしない。
「評論家」
などという人もいらない。
もっといえば、
「これだけ毎日事件があり、新聞が溢れんばかりの記事で埋まるのだから、何を持って平和というのか、分からない状況だ」
というカオスな状況になっていることであろう。
犯罪の中には、人間の心理を巧みに操るやつらもいる。いや、
「心理を巧みに使えるだけのやつでなければ、
「犯罪というものを企むというのは、ある意味おこがましい」
といってもいいだろう。
今はどうかは知らないが、昔であれば、
「日本の警察は優秀で、東京は、世界先進国の首都の中でも一番安全だ」
といわれていた。
実際に、本当に治安がいいのかも知れないが、実際にはよく分からない。犯罪を犯すには、そんな警察を欺かなければならず、
「捕まるかも知れない」
というリスクを犯すわけなので、犯罪計画は、少なくとも入念に練る必要があるということである。
確かに、犯罪は、
「入念に啓作されたものだけではない」
といえるだろう。
衝動的に相手を殺してしまう場合もあれば、本当なら、事故で済まされることが、放置してしまったために、殺人事件になってしまったりすることだってある。それも、衝動的な犯罪と同じで、入念な計画などない。
そもそも、
「犯罪を犯す意思があったのかどうか?」
それが問題である。
人殺しをしたとしても、
「もみ合っていて、突き飛ばしたことで、相手が頭を打ち、その打ち所が悪く、死んでしまった」
ということもあるだろう。
気が動転していれば、その場から立ち去ってしまうことも普通にある。半日、あるいは、一日経ったところで、思い直して自首しに行こうとしても、今の時代は、防犯カメラなどもあり、最初から犯行の意志がないのであれば、手袋をしていなかったりして、指紋が残っていることもあるだろう。
特に、着衣であったり、カバンなどに、指紋が残っていれば、基本的に近親者以外の指紋があれば、怪しいと思われて仕方がない。それと防犯カメラから、人物の特定だってすることもできるのだし、もし、警察の中に知っている人がいるなどということになれば、本人が考えているうちに、警察が任意同行を求めてくるということくらいあり得るだろう。
さすがに、1日くらいでは、指紋から本人にたどり着くのは難しいかも知れないが、何か他のことで警察に指紋が残っていないとも限らない。
空き巣被害などに遭うと、指紋を取られることは当たり前だ。そこから、
「足がつく」
ということも普通にあるだろう。
「刑事ドラマの見過ぎ」
といわれるかも知れないが、それくらいのことは、普通に知っている人も多いことだろう。
刑事ドラマなどを見ていると、
「昭和時代のアナログの捜査」
などという言葉がよく出てくる。
「捜査というのは、足で稼ぐものだ。刑事の靴がいつも新品だなどというのは、仕事をしていない証拠だ」
などといわれていたのが、昭和時代であろう。
これが、コンピュータの普及などによって、
「犯人のイメージを分析する」
ということで、プロファイリングというもので捜査をするということもあった。
これに必要なものとして、膨大な量の報告書であったり、調書のようなものを、コンピュータに入力する必要がある。
「知りたい情報を、知りたい角度で分析したり、検索を行ったりするには、もちろん、検索ソフトも必要だが、統計として割り出すために、データ入力が必須である」
ということは分かり切っているということである。
今の時代であれば、パソコンやスマホなどの、
「検索エンジン」
などというものは、当たり前のように使っている。
当然、開発され始めてから、かなりの時間が経っているのだから、入力にしても、ソフト開発にしても、かなり進んでいることであろう。
ただ、事件というのは、日ごろ毎日のように起こっている。前述のように、
「今日、100件事件があったから、明日は0ではないか?」
ということはありえない。
「今日100あったのなら、誤差の範囲くらいで、犯罪は起こるものだ」
ということなのだ。
考えてみれば、実に不思議なもので、
「まったく知らない同士の、まったく別の犯人が、今日は俺が犯罪をするから、お前は明日」
というようなことをするわけもないのだ。
そういう意味で、まんべんなく犯行が行われるというのは、不思議なことだといえるだろう。
もし、
「示し合わせた犯罪」
というものがあるとすれば、一つ思い浮かぶものとして、
「交換殺人」
というものがある。
交換殺人というのは、
「成功すれば、完全犯罪であるが、その可能性は低く、まずありえない」
というのが、ちまたの考えではないだろうか?
あるとすれば、
「探偵小説などでなければありえない」
ということである。
なぜなら、
「交換殺人というのは、ハードルが高い」
といえるからである。
つまり、交換殺人というものは、
「メリットとデメリットが多すぎる」
ということである。
これは、
「ハイリスクハイリターン」
だということで、まるで、博打のようなものだといえるのではないだろうか?
パチンコなどであれば、
「荒い台」
ということで、
「勝つ時は大勝するが、負ける時も、一気に負ける」
というものだ。
それでも、トータルすれば、負けてはいるだろうが、それほど本人は、負けているという意識がないのかも知れない。
作品名:無限であるがゆえの可能性 作家名:森本晃次