無限であるがゆえの可能性
「怨恨による復讐」
ということも考えられる。
たまたま、相手が金持ちだったというだけでの営利誘拐。その場合は、罪の重さはかなりのものであろう。
ただの復讐だというだけであれば、誘拐さえしなければ、殺人でもなければ、情状酌量ということもありえるであろうが、殺人であったり、営利誘拐などが絡んでしまうと、情状酌量というものは、ないに等しいと思われたとしても、無理もないことであろう。
それを思うと、
「誘拐というものは、割に合わない」
といってもいいだろう。
これは詐欺でも、同じことが言えるかも知れない。
最初はただの詐欺だとしても、相手の財産を根こそぎ奪うのだから、罪が軽いわけはない。
しかも、刑事においても、民事においても、罪に問われるだろう。
ただ、成功した時の報酬はかなりのものだ。
しかも、本人が死んでから奪うものなので、犯人側とすれば、それほど罪の意識もないに違いない。
しかも、被害者は、
「家族が構ってくれないから、詐欺師に頼ってしまう」
という精神状態になったのだ。
遺産をもらうくらいは当たり前のことだと思うだろう。
何しろ、家族は、寂しい老人を一人残すことになったのだ。それを思うと、詐欺にあっても、無理もないことで、この際、家族に対しての罪の意識など、かけらもないといってもいいだろう。
そんな詐欺事件において、さすがに何件も似たような手口で犯罪を犯していれば、気づく人も多いであろう。
それをマスゴミが嗅ぎつけて。事件を週刊誌やテレビのワイドショーで書きたて、社会問題として浮き彫りにしたのだった。
そんな時、事件が起こった。
詐欺集団というのは、会社組織になっていた。そこの社長というのが、実際に犯行の指示をしていて、被害者の被害状況であったり、実際の手口などが明らかになってくると、世間では、
「そんなひどいやつらがいるんだ」
と、一斉に騒ぎ立てた。
実際に、国会でも問題になったくらいだったが、問題になっただけで、何もできないのが、政府や国会議員というものだ。
せめて、犯罪内容を研究し、
「今後そんな犯罪が起きないようにする」
という程度のことで、
「やっとこれから、法整備を行う」
という程度のものだった。
しかし、法整備ができるようになるまで、相当な時間が掛かる。まずは、警察の捜査から、逮捕、起訴、そして、裁判へと進んでいくしかないということであろう。
その時はまだ、警察も裏付け捜査という程度の問題で、それ以上に、世論やマスゴミが騒いでいるところが、警察としてはやりにくいところであろう。
しかし、そんなことをしていると、思わぬところで事件は急展開したりするというもので、この事件もそうだった。
警察が何もできない間に、マスゴミが殺到し、社長のマンションに、まるで囲み取材であるかのように、押し寄せていた。
口々に、いろいろなことを叫びながら、もみくちゃになっていたが、そんな雑踏の中に、一人の怪しい男が紛れ込んでいたのだ。
その男は、いつやってきたのか、誰もその男を怪しいとは思わなかっただろう。そんな状態の中、男はおもむろに懐からナイフを取り出し、いきなり、社長に切りつけたのだった。
その時、何が起こったのか、一瞬では誰も分からなかった。社長が言葉を発せず、苦悶の表情を浮かべていたが、それすら気づかない状況だった。
しかし、一人が気づいて、
「うわっ」
と叫んだことで、まわりの人もその場の異常さにやっと気づいたのだ。
まわりを囲んでいた記者たちは、一斉に、その場から数歩後ろに後ずさった。その時、支えを失った社長は、その場に倒れこむ。それまで、倒れなかったのは支えがあったからで、決して自分の力で立っていたわけではなかった。
それだけ、
「一瞬のことが、スローモーションのように、かなりの時間が掛かってしまった」
ということなのかも知れないし、
「まわりを囲んでいた雑踏は、まるで狂喜乱舞の状況だった」
ということになるのかも知れない。
記者はその場の出来事をどう感じたのだろう。
「恐ろしい場面を見てしまった」
という印象なのか、
それは、最初こそ、皆の共通の気持ちであろうが、そこから先は、次第に違ってくることだろう。
特ダネ目的でしか行動しない人は、この場面を写真に収めるのに、必死な人もいるだろう。
「いずれ、こんな取材をしていると、殺人とまではいかないまでも、ショッキングな出来事に遭遇するかも知れない」
と、日々、びくびくしていた人もいるだろう。
そんな人からすれば、
「想像していたことが起こってしまった」
ということで、自分では、どうすることもできない。
と感じているかも知れない。
ただ、実際に、テレビの生放送で流れてしまったという事実は間違いない。いわゆる、
「放送事故」
というわけである。
これが、
「防ぐことができたのか?」
ということになれば、微妙なところであろう。
マスゴミは、
「ひどい取材」
ということであったが、彼らとしても、仕事なのだ。
「だったら、詐欺グループも仕事だといえるのではないか?」
という人もいるかも知れないが、最初から狙って行っていることと、倫理を一応は考えながら、ギリギリのところで葛藤しているマスゴミとでは、天と地の違いがあるといえるだろう。
しかし、あまり変わりがないと思っている人は、仕事というものを第一に考えている人であり、天と地の差があると思っている人は、
「人情を先に考えて、そこからすべてが成り立つのだ」
と考えている人に違いない。
どちらがいい悪いという問題ではない。
それらの考え方が、人間としての資質だと考える人もいるだろう。
だが、あまり、
「人間としての資質」
ということにこだわってしまうと、
「自分の意見や考え方を、他人に押し付ける」
ということになり、難しい考えになる。
この犯人がどういう意志で犯行に及んだのか、そして警察に捕まった後、どのような供述をしたのか、それも、どこまで信じていいのか分からない。
とにかく、マスゴミの前で、つまりは、全国のテレビを見ていた人の前で、公然と殺人を犯すということを行った男なのだから、少なくとも、その時の精神状態が異常だったのではないかといっても過言ではないだろう。
交換殺人
この事件が起こってから、世間の犯罪形態というものは、微妙に変わってきたような気がする。
時代としても、会社や家族で、かなり変わってきたというのも当たり前のことであった。
というのも、事件として、
「バブル崩壊」
というものが起こったからであった。
「事業を拡大すればするほど儲かる」
とおうことで、当時神話として言われていた。
「銀行は絶対に潰れない」
ということで、その銀行が、
「融資しましょう」
ということであれば、企業の方も、安心して事業を拡大する。
しかも、銀行営業マンから、
「少し増額しましょう」
などといわれると、
「うちの企業はそれだけ銀行からも期待されているのだ」
と思うと、銀行の申し出を何が断れるというのだろうか。
実際に、
作品名:無限であるがゆえの可能性 作家名:森本晃次