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無限であるがゆえの可能性

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「学校に行くことができない」
 という状態になることから、
「広義の意味の登校拒否」
 ということで、
「不登校」
 といわれるようになったのであろう。
 それが、次第に低年齢化していき、
「不登校問題」
 というのは、どこの家でも見られるようになった。
 最近まで、優等生だった子が、
「急に不登校になった」
 というのも、日常茶飯事ということである。
 親とすれば、この間まで、奥さんたちとの井戸端会議で、
「うちの子は優秀だから」
 ということで、マウントを取っていたものが、今度は、
「恥ずかしくて、お母さん、他のお母さんたちと顔も合わせられないわ」
 ということになるのであろう。
 昔であれば、
「お父さんの顔に泥を塗らないでね」
 というような、
「父親の絶対権力が家庭にはあった」
 ということであるが、その頃になれば、
「家に帰ってこずに、会社で働き詰め」
 という父親の気持ちを知ることもなく、母親は、家族というものを、
「自分がマウントを取るだけの道具」
 としか思っていなかったりする。
 だから、子供には、
「お父さんの顔に泥を塗らないように」
 といい、亭主には、
「子供が頑張ってるんだから、あなたも、早く出世してね」
 といって、うまく狸のように使い分けている人も多いことであろう。
 それを考えると、
「大家族という幻の時代が、かなり昔にはあった」
 といってもいいだろう。
 大家族が幻となり、次第に家族が離散してくるようになると、時代は大きな転機となり、いよいよ、
「バブル崩壊」
 といわれる時代になってくるのだった。
 だが、昭和の詐欺事件というのは、まだバブル経済というものが起こってくる前だったのではないだろうか。
 その時代というのは、
「仕事をすればするだけ、金になる」
 という時代であり、しかも、
「仕事をしているのだから、お金を使う暇がない」
 ということで、
「定年を迎えた人は、年金と貯蓄で、悠々自適の老後が楽しめる」
 というものだった。
 何しろ、今の時代と違って、年金の額も高く、銀行の利子も、けた違いによかった。
 つまり、
「銀行に預金しておけば、利子だけでも食っていける」
 というくらいの人がいたことだろう。
 しかも、
「定年退職をすれば、すぐに年金がもらえる」
 という、本当であれば、当たり前のことが、今の時代ではありえないことになり、
「定年退職もどんどん高齢化していき、さらに、年金がもらえるまで、定年退職してから、5年という歳月を要する」
 ということで、
「定年退職後も、5年間は働かなければいけない」
 ということになる。
 さらに、年金生活になると、ずっと働いてきた給料、つまり、年金として納めてきたはずなのに、その額は、半分以下ということになっているのである。
 これほど理不尽なことはないだろう。
 特に、それを政府が、
「ずさんな管理」
 で、訳が分からない状態にしてしまったということがあった。
 しかも、その事実が、十数年さかのぼるということであった。
 つまり、
「分からずにいた」
 という、最低の仕事しかしてこなかったということなのか、それとも、
「知っていて、わざと世間にバレないようにしていた」
 ということであれば、これこそ、
「国民に対しての背信行為」
 もっといえば、
「政府や国家を転覆させようとしている」
 といわれても仕方がないくらいの隠蔽工作、これこそ、かつての、
「国家反逆罪」
 といってもいいだろう。
 不注意であろうがなかろうが、その罪の重さは、実際に、今の社会の根底を覆すものだったのだ。
「年金制度の崩壊」
 というものを、事もあろうに、政府の役人が行っていて、それを隠蔽していた可能性があるというのは、簡単に許されることではない。
 彼らにどのような罰があったのか分からない。
「まさか、無罪放免」
 はないだろうが、それでも、結局は、一番の悪が処罰されることがないという、いわゆる、
「トカゲの尻尾斬り」
 といってもいいのではないだろうか?
 そんな時代がいずれは来ることになるのだが、当時の老人は、
「お金はあるが、孤独」
 というのが、その代表的なものだった。
 といっても、その定義は、
「すべての人に当てはまる」
 というわけではない。
 確かに今の時代から考えれば、ほとんどの人が、今の時代の老人たちよりも、降伏だった」
 といってもいいだろう。
 今の時代でも、金持ちは金持ちで、昔であっても、貧しい人は貧しかったということである。
 つまり、
「貧富の差の激しさ」
 というのは、今も昔も変わりないということである。
 しかし、その水準は、明らかで、バブル期をピークに、どんどん下がってしまい、どうすることもできないという時代になってきたということだ。
「歯止めがかかる」
 という兆しもなければ、
「それをなしとげられる」
 という人材がいるわけでもない。
 特に、ソーリともなれば、
「今以上の最低なソーリは出てこないだろうな」
 ということで、
「誰がやっても同じだ」
 という諦めで済めばいいが、何と、それ以上に最悪なソーリが出るわ出るわ。
 これも、政治や経済が、奈落の底に落ちていくのと並行して、政治家までもが、奈落の底ということで、
「これでは、元に戻るわけなどない」
 といえるであろう。
 かつての詐欺の時代に、
「寂しい」
 というのは、それまでの、
「大家族」
 であったり、
「父親の絶対的な威厳」
 というものを誇りとしてきた人にとっては、地獄のような思いだったということであろう。
 今の時代のように、
「家族の離散が当たり前」
 という時代に、いまだに、
「かつての、大家族という夢を見ている人もいるくらいなのだから、当時としては、差?しいという思いを持っていた人は、そのほとんどだった」
 ということになるであろう。
 それを思うと、
「お金があって、寂しい」
 という、そんな老人をターゲットに詐欺集団が暗躍するという作戦は、
「さすがといえる」
 と、悪党であっても、その考えに頷かずにはいられないという人もいたことであろう。
 しかも、そのやり口が実に汚い。
 まるで、子供のように寄り添って、相手の気持ちをくすぐるのだ。
 中には、女性では、
「色仕掛け」
 という人もいただろう。
 もちろん、老人に、性的な目的があるわけではないので、気持ちの上でということであろうが、それだけに、卑劣といってもいいだろう。
 だから、中には、遺言書を書かせて、
「遺産のすべてを、世話をしてくれた人に」
 ということになる。
 当時は、介護の仕事などほとんどない時代だっただけに、少しでも面倒を見てもらっただけで、簡単に気を許すという時代だったのであろう。
 そんな時代だったからこそ、
「老人は優しくされると、コロッと騙される」
 と詐欺グループは考えたのであろう。
 詐欺というのは、いろいろある。
 会社を相手取って行うものもあれば、個人を狙うものもある。しかし、狙う相手が、
「金持ち」
 であることに変わりはない。
 これが誘拐ということになると、目的がお金だとしても、本当の動機ということになると、