無限であるがゆえの可能性
というものをすれば、大体合格発表までに、合否の検討はつくというものだが、入学試験、入社試験というものは、そもそもの合格点が分からない。
だから、合格発表までに自己採点はできるだろうが、それが合格点なのかどうかは分かりっこないというものだ。
しかも、入学できないと、
「浪人」
ということになったり、
「希望した学校に入れない」
ということで、
「滑り止め」
として受験した、自分が行きたいと希望していない学校に行かなければいけないのかということになるであろう、
それを考えると、
「受験戦争の時代に、プレッシャーに押しつぶされそうになっていたのだろう」
と思えた。
だから、高校時代などは、皆が皆、まわりを敵認識していたことだろう。そんな精神状態の中で、
「明るく接することができる」
というような精神状態が、鋼のような人はどれだけいたということであろうか?
受験戦争という時代が終わり、自由な発想ができるようになり、サークルに入って、いろいろ考えることができるようになると、
「納得いくというのは、他力ではなく、最後には自分が納得したことでないといけないのだ」
ということになる。
「完全犯罪がいかにすれば、成功するようになるのか?」
という発想はそれまでにはなかった。
「本や皆が、不可能だといっていて、自分がそれを納得できるのだから、それ以上考えても無駄なことだ」
と思っていた。
だから、完全犯罪というものは、サークルで考えるに値しないものだと思っていて、ジャンルとしてはありだろうが、
「自分が考えるということはない」
と思うのだった。
だが、自分が、犯行を犯すことになるとは思わないまま、完全犯罪という言葉に引き寄せられるかのように、
「いかにすれば、成功するかもしれない」
と思うのか、それを、サークルでは、誰にも相談することなく考えていた。
もし、
「自分がこんなことを考えているということを知っているとするならば、中学時代に分かれたその友達だったのだろう」
犯行実践
まさか、大学を卒業して、自分が交換殺人を実践しようと思うとは思わなかった。
サークル時代に考えたこととして、
「問題は、共犯者というか、自分と一緒に犯行に及ぶ片割れの選定が一番大切で、難しいことだ」
ということであった。
自分がいくらしっかりしていても、その相手が精神的に脆かったり、
「いくら途中までうまくいっていたとしても、急に我に返り、おじけづいてしまうというような気弱な人間」
ということであれば、その時点で、
「犯行は瓦解している」
といってもいいだろう。
そこで考えたのが、
「その人にとって、殺したい相手がどういう人なのか?」
ということである。
というのは、動機という意味で、
「復讐」
などという、自分の精神的に相手を殺さないと我慢できないということになるのか、あるいは、
「借金などで首が回らない」
ということで、精神的に参ってしまうのは、実際に、自分がにっちもさっちもいかないという、
「どうしようもない立場に追い込まれている」
ということで、
「絶対にその災難を除かなければ、自分が生きていくということが不可能だ」
という、切羽詰まった事情の場合かによって、かなり変わってくるというものだ。
「どちらが、辛いのかというと、もちろん、感じ方は人それぞれ、その人でなければ分かるはずがない」
ということで、何とも言えない状況ではないだろうか。
それを考えると、彼が考えた結論としては、
「復讐などというものが犯行の動機」
という人を選べばいいと思ったのだ。
少なくとも、
「相手を殺さないと、自分が生きていくうえでどうしようもない」
というような、
「切羽詰まった状況ではない」
といえるのではないかと考えたからであった。
特に、
「復讐」
というものは、
「負の連鎖」
というものを招くことになり、本来であれば、
「復讐もやむなし」
と精神的に考えれば、
「それもありだ」
と考えるが、これは、裏を返して冷静に、そして客観的に考えれば、
「必ずどこかで終わらせないといけない」
ということになるのだ。
これは、前述の、
「復讐の連鎖」
というもので、
「復讐したい」
と思っている相手にも。家族があったり、その人を、
「大切な人」
と思っている人がいるだろう。
もし、その人を殺してしまうと、今度は、その大切に思っている相手から恨まれないとも限らない。
なぜなら、
「自分だって、同じようにい復讐しているではないか?」
ということになるのだ。
それは分かり切っていることのはずなのに、
「どうしても、殺さなければならないという精神状態に陥るというのは、どういう心境なのだろうか?」
ということになる。
もっとも、
「これが人間の心理」
ということで、他の動物のように、
「生きるために、相手を殺す」
という、
「食物連鎖」
というものが、普通に自然界の中にあり、それが、
「自然界の摂理」
ということになるのだから、それを、本能だということになれば、
「人間と動物の違い」
というのは、
「人間は、生きるため以外でも、人を殺す」
ということになるのだろう。
それを考えれば、
だから、彼は、入念に、
「復讐を企てている人を探した」
これは、その人が、
「絶対に隠しておきたい」
と思うことであり、普通であれば、なかなか見つかるという相手ではない。
それでも、彼には、そんなに苦労なく見つけられた。
それは、
「自分が、復讐を企てている人を重点的に探した」
ということで、相手を見る時、最初に、
「この人は復讐を企てている人間だ」
と最初から思い込んでいたからであった。
「この人は、復讐などする人ではない」
ということを感じることはない。普通であれば、
「復讐自体がありえない」
といったような、まわりを見る目が、
「平和ボケ」
というか、そんなことを考えるだけ無駄だという考えは、ちょうど受験をした時に感じた。
「必要以上のことを考えて、神経をすり減らすことをしない」
というのが、その人の生き方だと思うようになると、自然と、
「損得勘定」
というものを抱くようになるのであった。
それを思うと、
「負の連鎖に繋がるようなことは、なるべく考えない」
と思うようになるのが人間というものだ。
だから、最初から、
「負の連鎖を相手に課した形で見れば、減算法として、途中でゼロになる前にたどり着けば、そこがゴールだ」
ということになるであろう。
実際に、思っていた以上に、簡単に見つかった。
しかも、相手も、
「交換殺人というものを持ち掛けると、簡単に乗ってくる」
というではないか。
「復讐をしたい」
という思いも強く、人を殺すというところまでは頭にはあったが、実際に行動するということは、躊躇があるというか、あり得ないと思っていたのだ。
しかし、実際にその考えがあるわけなので、
「少しゆすってみれば、相手はコロッとこっちの術中にはまってしまう」
作品名:無限であるがゆえの可能性 作家名:森本晃次