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無限であるがゆえの可能性

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 というものがあるからだ。
 達成感は、それまで
「死んでもらわないと、どうしようもない」
 という後ろ向きだったからこそ、
「前を向くしかない」
 という考えに至ったことで、
「犯行を決意することができた」
 ということになるのだ。
 そして、
「完遂までに、この前向きな気持ちが少しでも緩んでしまうと、達成には及ばない」
 ということになるのだ。
 しかし、完遂してしまうと、本来であれば、
「達成感とは別の何かが溢れてきて、達成感が満足感に変わってくる」
 ということを実感できるはずである。
 だが、今回の犯罪に関しては、
「達成感は確かに感じることができるのに、それ以上のプラスアルファのようなものを感じることができない」
 という思いがあり、
「それが、自分の中で、何か中途半端な気持ちになる」
 ということを感じさせるのであった。
 そういう意味で、
「殺人という犯罪は、昔であれば、時効が成立するまでは安心できない」
 といえるのだ。
 しかし、実際に言えば、
「今の時代、殺人に時効というものはなくなった」
 ということで、本当の意味で、犯人が安心できるのは、
「死んでからでないとありえない」
 ということになるのだ。
 正直、
「昔の15年」
 というのも、かなりの年月だ。
 犯罪を犯した年齢が、例えば35歳だということになれば、最短で
「50歳になるまで、安心はできない」
 ということになる。
 しかも、その間、警察に捕まるわけにはいかない。だから、逃亡犯として、
「整形したり、指紋が残らないように、焼き切ってしまったり」
 などという、
「涙ぐましい努力」
 をしないといけないのだ。
 もちろん、病気になっても、医者にも罹れないなどということもありだろう。
「普通の人が普通に生活できるということができない」
 ということになる。
 それを考えると、
「自分にとって、言葉通り、自分を殺して生きなければいけない」
 ということになる。
 それを本来であれば、いい悪いは別にして、
「人生の醍醐味」
 である年齢の間、
「明らかに棒に振る」
 ということになるわけである。
「人を殺す」
 ということが、自分にとって、
「それしかない」
 と思えたことであっても、その代償というのが、あまりにもひどいことになるということを思い知らされるだろう。
 確かに、犯罪を計画した時というのは、
「どうなってもいい」
 という思いの下、
「殺さないと、自分にとって、ろくなことにならない」
 と思い、殺すことにしたのだろうが、
「殺してしまった後」
 ということに対して、
「どこまで考えていたのか?」
 ということである。
 それまでは、
「殺人を犯したわけではないので、他の人と同じ一般市民だった」
 ということであるので、一般市民という目から見ると、
「殺人は、最悪のシナリオではない」
 と思っていたが、
「人を殺してしまった」
 というその後のことになると、立場が完全に変わってしまい、
「捕まるわけにはいかない」
 ということから、
「必死の逃避行」
 というものが付きまとう。
 しかも、寝ても覚めても、安心できる瞬間はどこにもないということを考えると、
「殺人を犯してしまったことが、取り返しのつかない」
 ということであることに気づくのだ。
「計画している時というのは、前を向くしかない」
 と思っていたが、計画して、実行してしまうと、
「もう、後ろにあった結果というのは、自分に何ももたらさない」
 ということで、
「もう、どうしようもないことだ」
 としか言えないということになるのだった。
 それが、
「殺人という罪を犯してしまったことに対しての、代償だ」
 ということになるのであれば、
「これほどひどいものはない」
 と思い知ることになるのだ。
 交換殺人を計画する時は、まず、
「交換殺人という殺害手段を思いついたことで、同時に考えるのが、その、完全犯罪性というものである」
 つまり、最初に、
「テンプレートといっていいような殺害手段が頭に浮かぶということであり、それが、犯罪というものをどのようなものとするのか」
 ということを考えると、その骨格が現れてくると、今度はすぐに細部の計画に目が行くことになるといってもいいだろう。
 というのは、
「他の計画とは、だいぶその様相が違っていることで、全体構造は見えても、その細部の違いまでが見えてこない」
 ということで、
「どのように計画すればいいのか?」
 というものが、
「順序だてないと計画できない」
 と思うのである。
 だから、その細部というのが、細かければ細かいほど、種類も多いということである。
 それだけ時間が掛かるということで、その細かいところを最後は一本の線にしなければいけないということになると、
「忘れっぽい」
 と思っている人には、
「致命的な計画だ」
 と考えるようになるのではないだろうか?
 それを考えると、
「一気に組み立てなければいけない」
 ということになり、その考えのデメリットとして、
「目先のことしか見えてこない」
 ということに気づいてくるのであった。
 それを考えると、
「犯罪計画というものを練る場合、Wすれっぽい性格というのは、致命的ではないか?」
 と考えられる。
 しかし、それでもしなければいけないのであれば、
「早く計画を立てる」
 ということになるだろう。
 その間に、
「辻褄の合わないこと」
 であったり、
「矛盾を生じさせる」
 というようなことは、なるべく最初に克服させる必要があるだろう。
 そうしておかないと、どうしても、計画が一点に集中し、それ以外のことが分からないということになると、
「一点にしか目がいかない」
 ということになるので、その結果として、
「想定外のことが起こった時、対応することができない」
 ということになるだろう。
「百戦錬磨」
 というような人であっても、何も、
「最初から、百戦錬磨だった」
 というわけではないだろう。
 いろいろな経験をすることで、その時々にどのように対応すればいいのかということを、自分なりに勉強し、習得していくということになるのであろう。
 そうでなければ、
「自分がどのような計画を立てなければいけないのかということを、想定外のことを考えたうえで練ることができれば、想定外のさらに想定外のことが起こったとしても、まったく何もできない」
 ということにならないのではないだろうか?
 そう考えると、
「交換殺人」
 という計画は、
「計画を立てる段階で、雁字搦めの計画なのではないか?」
 ということであった。
 つまり、
「入口と出口が決まっているのが犯罪だ」
 ということになれば、その過程においては、
「どのような計画を立てるか?」
 というのは、それこそ無限にあり、
「その方法の中から、最良の方法」
 と考えると、
「完全犯罪というのは存在するのだろうが、それを見つけ出すのは、まるで、砂漠の中から砂金を見つけ出すに等しいくらいではないか?」
 といえるだろう。
 しかし、交換殺人というのは、
「うまくいけば、完全犯罪になる」
 といわれるほど、