天才のベストセラー小説
特に、
「コンピュータウイルス」
というものがその例とすれば、一番適切なものではないだろうか。
「コンピュータウイルス」
というのは、パソコンや、ケイタイ、スマホなどに、ネット回線を利用して、以前であれば、
「メール」
であったり、今だったら、
「ラインや、DM」
などと言った個人に対して、
「直接送り付けるもので、そこから貼られたリンクで、他のサイトに誘うと、それに引っかかった人がクリックしてしまうと、そのサイトからウイルスが侵入し、個人情報などが抜き取られる」
という被害を受けることになる。
しかも、個人情報の中には、他人のIDが含まれていたりして、その人にも、ラインやDMでまるで、
「自分から送り付けられた」
わけなので、
「友達からの連絡」
ということで、クリックしてしまう可能性があるだろう。
そうなってしまうと、
「パソコンであったり、スマホの中にあるいろいろなIDの変更を余儀なくされる」
ということになり、大変な手間もかかるし、
「誰に送られたか分からないDMなので、実際に繋がっている人皆に、注意喚起をするという必要に駆られてしまう」
ということである。
今は、情報が回っているので、
「不審なリンクをクリックしてはいけない」
あるいは、
「送り付けてきた人間に確認する」
ということが必要になるだろう。
これが、企業で起こったことであれば、本人がいくら、
「知らなかった」
といっても、実際に被害が出てしまうと、
「ただでは済まない」
ということになりかねないだろう。
だから、ソフト会社では、
「そんなウイルスの駆除を目的としたソフト開発」
ということを行い、
「そういう不審な連絡を駆除する」
という目的で販売することになる。
しかし、ウイルス開発をしている方は、
「駆除ソフトよりも強力なウイルスソフトを開発し、送り付けてくる」
ということになるだろう。
だとすると、
「こちらは、それ以上の駆除ソフトを作る」
ということで、結局は、
「いたちごっこになる」
ということである。
まるで、
「東西冷戦時代」
における。
「核開発競争」
のようなものではないだろうか?
核開発戦争というのは、一種の、
「抑止力を含んだものだったのだ」
といってもいいだろう。
原爆ができた時、政治家や科学者の間では。
「これで戦争はできなくなった」
と感が合えた人もいるだろう。
「一発の核爆弾が、敵対する相手国の中枢を完全に破壊する」
これは当たり前のことだが、逆にこちらが打ち込めば、相手も打ってくる。というのは当たり前のことであり、それは、
「実に虚しいことではないか?」
と感じるのだ。
というのも、
「どちらかが先制攻撃のボタンを押せば、相手も、ミサイルの発射ボタンを押す」
この瞬間に、この二つの国は、世界から消えてしまうといってもいいかも知れない。
だから、
「戦争はできなくなった」
といえるわけで、この力が先制攻撃というものができない。つまり、完璧な防御を敷いているので、手出しができないというわけだ。
しかし、それは、表面上のことであり、実際には何が起こるか分からない。
もっとも、核の発射ボタンは、例えば、大統領の一存ではどうすることもできなかったり、ボタンを大統領が推したとしても、他の議員など数人が推さない限り、
「核ミサイルは発射しない」
ということになっているはずである。
しかし、実際には、戦争状態にでもなると、何が起こるか分からない。ちょっとした偶発的な事故で、戦争が一気に緊張状態をはらんでしまうと、本当に書くが発射されかねない。
そんな状況が生まれるのが、戦争というもので、誰が、それを予期できるかということになるだろう。
それを考えると、
「核の抑止力」
というものが、
「紙よりも薄いものではないか?」
ということを感じるようになる。
つまりは、
「核の抑止力」
というものが、本当の平和をもたらすというのは、迷信でしかないのではないかということであろう。
それを思い知ると、
「戦争はできなくなった」
という言葉があったが、それが、迷信であるとも思えてきた。実際に、
「直接、超大国が対峙してしまうと、本当に核戦争になる」
ということで、地域紛争であれば、超大国が出ていくことはないのが本当なのだろうが、なぜかアメリカは絡むのだ。
やはり、
「世界の警察を自認しているからなのか?」
とも思えるが、戦争の形態も変わってきているというところもあるのだろう。
「超大国同士の戦争」
というよりも、
「テロ活動」
などというものが多く、それだけに、とらえどころのないということで、却って、
「難しい戦争」
にもなってきたのだろう。
さらに、
「サイバーテロ」
というのも大きい。
コンピュータによる情報戦であったり、本当の戦闘になったとしても、相手のホストコンピュータに潜入したりして、機能を混乱させてしまえば、戦闘能力があってないようなものにされてしまう。
さらには、
「情報戦」
となると、あることないことを情報として流すと、疑心暗鬼になり、戦争どころか、国内での混乱が起こってしまうこともある。
これは、今も昔も同じで、
「諜報活動」
と呼ばれるものだろうが、諜報活動というものは、相手を混乱させて、こちらに寝返らせたり、プロパガンダのような、相手国に対して、不安な状況を作り出したり、こちらの国がどれほど豊かな国かということを国民に植え付けたりして、
「相手を内部崩壊させよう」
という方法がとられたりする。
だから、今では、主義の違う国の情報を流さないようにしたり、国内のネットを完全に政府が掌握し、自由に閲覧ができないように統制するということもされている。
つまりは、
「一口に戦争」
といっても、いろいろなやり方がある。
軍が兵器を持って対峙するというやり方。
これも、今は昔で、どんどん変わっていく。
「石斧などで戦った太古の昔の戦争に、いずれは、戻ってくるのではないか?」
とも言われていて、その時は、すでに、核戦争によって、生き残った人たちがいたとすれば、何もなくなった世の中で、まるで原始時代のような生活になるのだから、それこそ、戦争をしても、
「原始時代の戦争」
でしかないだろう。
ただ、意識だけは、戦闘という潜在意識があるからなのか、それとも、
「原始時代」
というのも、ひょっとすると、それ以前というのは、今よりもはるかに科学の進んだ社会で、
「一度、徹底的に滅んでしまったことから、生き残った人が、太古から今の時代を作ってきたのかも知れない」
とも考えられる。
だから、聖書の中にあるような、
「ノアの箱舟」
のような、
「洪水伝説があるのかも知れない」
といえるだろう。
「実は、ノアの話は、洪水伝説ではなく、核兵器によって、破壊された今の時代となるのかも知れない」
ということで、
「地球を破壊できるだけの兵器」
というものを手にした人類の未来は、果たしてどこにあるというのだろう?
と考えてしまうのだった。
作品名:天才のベストセラー小説 作家名:森本晃次