天才のベストセラー小説
「大人というものがいかに汚いのか?」
ということが分かるというようなことを感じるということもあるのだった。
それはどういうことなのかというと、
「大人というものは、強いものには負ける」
ということである。
権力のある人間には逆らえない。
確かに、社会構造というものが分かってくると、
「縦割り社会」
というものも大切だということが分かってくる。
しかし、だからと言って、中には、
「決して許してはいけない」
ということもあるはずだが、それを許してでも、保身に走ることもあるのだった。
ただ、本当に、
「権力の中には、逆らえない」
というものもある。
中には、
「明日から生活をしていけない」
ということであったり、最悪な場合は、
「命を失う」
ということもある。
しかし、それも、実にまれなことであって、
「そこまで、世の中に対して逆らわないと生きていけない」
というわけでもないのに、一度、逆らわずに従順になってしまうと、逆らうということを恐ろしいと感じるのか、どうしていいのか分からなくなってしまうのだった。
確かに理不尽なこともたくさんあり、それは、
「子供の世界でも結構あったりする」
下手をすれば、子供の世界の方が、容赦がなくて、えげつないこともあるだろう。
「手加減を知らない」
ということからなのか、それとも、
「大人に対しての不満が、まわりの人に向けられる」
ということで、グレた少年が、
「力がほしい」
ということで、子供の世界での理不尽さに耐えながら、力を持ってくると、
「手加減を知らない狂気な人間」
というものができてしまうということになる。
子供だからといって甘く見ていると、大人は簡単にやられてしまう。
大人はどうしても、子供を下に見ているからで、それだけに、
「手加減をしない」
ということが分からないのだ。
それこそ、子供が、
「大人になってから、自分が子供の頃に感じた、思いを忘れてしまって、子供を大人としてしかりつける」
ということと同じである。
大人は、自分が子供時代に感じてきた、理不尽さも忘れてしまうのだ。
そして、子供の頃に手加減なしで、まわりとぶつかったということすら忘れてしまっているのだ。
もし、それを覚えているのであれば、もう少し、子供との接点を感じることだろう。
大人は、子供時代のことを覚えていることもあるはずだが、逆に子供は、大人になってからのことが分かるはずがない。
そうなると、
「大人が譲歩してあげなければ話が通じない」
ということであり、
「だからこそ、大人が大人の対応というものをしないとうまくいくものも。うまくいかない」
ということになるのであろう。
そんなことは分かり切っているはずなのに、どうして大人は分からないのか?
それだけ、大人と子供には差というものがあり、
「子供が大人を見上げるよりも、大人が子供を見下ろす方が、距離がある」
ということになるのであろう。
普通に考えれば、
「大人は子供時代を知っているので、自分が昇ってきたところが分かっているだけに、距離も分かるというものだ。しかし、子供は自分がこれから登らなければいけない道を知る由もない。それが、無限なのか、有限なのか、それすらも分からないのである」
といえるだろう。
しかし、人間の目というのはそういうわけにはいかない。
「上から下を見下ろした時の方が、下から上を見上げる方が、かなり遠くに感じてしまう」
といえるのではないだろうか。
それがどういうことなのかというと、
「人間には、本能的に感じる恐怖感がある」
ということである。
それが、
「高所恐怖症」
そして、
「閉所恐怖症」
「暗所恐怖症」
というものである。
下から見上げる時には感じないが、上から見下ろす時には、高いところから見る、
「高所恐怖症」
を感じるだろう。
実際に、自分にはないと思っている人であっても、少なからずの恐怖は絶対にある。そして、その高所への恐怖が、見下ろした時に見えるはずのものが見えなくなるという錯覚から、今度は閉所という意識を植え付けるのだ。
だから、めまいを起こしたり、普通であれば大丈夫と思うことも、上から見てしまうと、意識が朦朧としてきて、果てしなく遠く感じてしまうというのが、
「高所恐怖症というものの正体」
なのかも知れない。
それを考えると、上から下を覗くのが怖いというのも、錯覚や潜在意識を含めて感じることであろう。
その発想が、
「昇ってきたはずの道すら凌駕するものとなる」
というわけであるが、それは、
「上ばかりを見て進んできたからだ」
ということになるだろう。
下から上に上がろうとする人は、知ってはいても、上から覗いた時の恐怖がよみがえり、錯覚と潜在意識から、
「知っていることすら忘れてしまう」
という作用に、気づかないまま恐怖だけが植え付けられるということで、結局、
「子供の頃に感じたことを忘れられない」
ということだ。
もし、分かっていたとすれば、
「時代はさかのぼることができない」
という理屈をつけて考えようとするかも知れない。
大人になるということは、そういう屁理屈を、感じさせるようになるということではないだろうか。
陽介は確かに自分のことを、
「天才だ」
と思っていたようだ。
しかし、それがどこからくるものなのか、誰にも分からない。
本人である陽介にしても、その感覚はないようだった。
つまりは、陽介も、
「自分に詩人があるから、自分を天才だ」
と思っているわけでも、
「何か天才だと思えるものがあって、それをまわりに説明できないということだけなのか?」
ということでもないようだった。
全く根拠のないことなので、本人もとらえどころがない。だから、人に何かを言っても、信憑性がないので、
「思っているだけで、誰にも言わなかった」
というわけだ。
親から、
「そんなこと人に言ったらいけません」
と言われていたこともあってなのかも知れないが、それを言われた時から、
「親は信用できない」
と感じるようになった。
親が、子供を信用できないということが、どれほど子供にとって不安なことなのか? 小学生の一年生で、そんなことまで分かるはずはない。
「人間はある程度の年齢までくると。成長が止まり、そこから老化現象が始まってくる」
と言われる。
それが寿命の半分くらいからなのかと思っていたが、高校生くらいの頃に聞いた話では、
「二十代くらいからではないか?」
と言われているのを聞くと、それこそ、
「寿命って。じゃあ、50歳くらいなのか?」
ということを考えると、高校の歴史で習うことになった、織田信長が好んだと言われる、
「敦盛」
という詩にある。
「人間五十年」
のフレーズを思い出す。
「人間五十年、下天のうちに比ぶれば、夢幻の如くなり」
と言われる言葉であった。
だが、これは、今から500年くらい前の戦国時代に言われていることであり、今では平均寿命もかなり高くなってきている。
作品名:天才のベストセラー小説 作家名:森本晃次