天才のベストセラー小説
しかし、母親は、当時としても、どちらかというと、潔癖症に近い方だった。
性格的には、
「勧善懲悪」
というところがあり、
「嫌いな人は徹底的に嫌いだった」
といってもいいだろう。
結婚するまでは、それほどまわりを疑うことはなかった。むしろ、
「彼と結婚できてうれしい」
とまで思っていたのだが、実際に結婚してみると、
「こんなはずでは?」
と思うことは多々あったのだ。
確かに、
「結婚してしまうと、ゴロっと様子が変わってしまう男性」
というのは、珍しいことではなかった。
男とすれば、
「結婚までには、相手は彼女なので、それなりに気を遣ったりして、、嫌われないようにしよう」
と思うのは無理もないことで、それが、結婚することで、気持ちが通じるということになるだろう。
と思うようになっていた。
だが、実際に結婚して、男にとって奥さんが、
「自分のもの」
ということになってしまうと、その立場上、
「家族の長」
ということで、態度が急変するという人も少なくはない。
特に、今のように、ほとんどの人が共稼ぎというところまで行っていなかった時代であれば、奥さんが、専業主婦であれば、
「俺が一家の大黒柱だ」
と思うのは当たり前のことで、まだ、昔の体制が少しは残っているのかも知れないのであった。
「お父さんが帰ってくるまで、ごはんはお預け」
などという家庭が、昭和の頃には当たり前のように存在していた。
「父親だけが、家族で特別」
ということである。
それが大きかったのは、今と違って昔は、
「給与振り込みなどということはなく、給料日に、旦那が給料袋を手に持って帰るということからだったであろう」
それが、今のように給与振り込みになったというのは、
「三億円事件」
に端を発しているということであろう。
「給料日前に、会社に給料を運ぶ現金輸送車が狙われた」
ということで、
「現金をなるべく、輸送しないようにしよう」
ということでの、給与振り込みということになったのであった。
そこから、
「父親の威厳」
というものが少しずつ失われていったのではないか?
ということも言えるであろう。
そんな父親の威厳がどんどん少なくなってくると、そのうちに
「バブル崩壊」
というものが起こってきて、会社では、
「リストラの嵐」
というのが巻き起こり、
「早期退職制度」
なるものが一般的になり、
「肩たたきで首にされることを思えば、今名乗りを挙げてくれれば、退職金に少し色を付ける」
という形での、退職者を募ったりしていた。
それまでのバブルの時代であれば、
「会社を辞めても、新しいところは、いくらでもあった」
という時代を知っているだけに、バブル期ほどではないだろうが、
「辞めたって次がある」
という、簡単に見ている人が多かったであろう。
しかし、そもそも、会社が人を削る時代なのだから、他の会社も似たり寄ったりで、
「失業者は街に溢れるが、人を雇うだけの安定した会社がどこにあるというのか?」
という時代だった。
さすがに、家に帰って。
「会社を首になった」
などといえるわけもない旦那は、
「家を出て、一日中どこかの公園や、映画館などで、一日時間を潰す」
というようなことを、
「情けない」
と思いながら過ごさなければいけなかったのだ。
それを思うと、
「あの頃は時代が悪かった」
といってもいいが、
「耐え忍ぶには、あまりにも、風が冷たい時期だった」
といってもいいだろう。
だが、それが当たり前のようになると、世の中は会社の方で、人手不足になってきた。
「経費節減」
とはいいながら、人を遠慮なく切るのだから、人手不足になるというのは当たり前のことで、そうなると、会社は、新たな人材を求めるようになり、それが、アルバイト、パートであったり、その頃から出てきた、
「派遣社員」
という体制であった。
アルバイトなどは、奥さんが行うようになった。失業者が、派遣社員などで雇用を確保はできるが、給料は大幅に減ってしまうので、それを賄うという意味で、奥さんも、働きに出る、つまりは、
「共稼ぎ」
ということになるとだ。
そうなると、
「正社員以外で賄うということの企業側と、旦那が派遣社員で、奥さんがパートという二人体制での家庭側とが、うまく折り合った」
といってもいいだろう。
そこから、
「非正規雇用」
というのが当たり前になり、何とかバブル崩壊を乗り越えた形になってきたが、ところどころでの、
「経済危機」
というものが、
「社会不安を巻き起こし、結果として、派遣村というような悲惨な事態を引き起こす」
ということもあったのだ。
そんな時代から、かなり経って、完全に、
「終身雇用」
ということはなくなり、ほとんどの会社が、
「契約社員」
「パート、アルバイト」
などを作業に使うというやり方が多くなってくると、社会不安というものが、
「そもそも何からきていたのか?」
ということも分からなくなり、子供も昔のような。
「いい学校に入り、いい会社に就職すれば、幸せだ」
などということは、夢にしかすぎないということになるだろう。
確かに、
「大きな会社に勤めていれば、小さい会社に比べれば、会社が潰れるというリスクは少ないかも知れない」
とはいえるが、
「吸収合併」
などという状態になると、
「吸収される側になれば、悲惨なものである」
親会社から、嫌というほどこき使われる形になり、以前の、
「下請け、孫請け」
というような形を彷彿させるというものだ。
インフラであったり、システム開発などというと、親会社が請け負ってきたものを、下請けや孫請けといわれるところにどんどん、面倒くさいところの仕事をふるということで、賄ってきていた。
「零細企業で、親会社から切られると、経営していけない会社ばかりなので、嫌でも、請け負うしかない」
という状態である。
さらに、その当時は、
「会社で正社員を減らす」
ということで、業務を請け負うという形で、派遣会社に頼んだりする、業務委託などという、一種の、
「外注」
つまりは、
「アウトソーシング」
という形も多く見られたりした。
会社というものが、どんどん変わっていくと、子供の世界も、教育の世界もどんどん変わっていく。
「いい会社に入るために」
といっても、
「絶対に潰れないと言われた銀行が潰れた」
というくらいなので、
「いい会社に入っても、いつ潰れるか。もっと大きなところに、吸収合併されるか?」
ということになると、
「いつ、首を斬られても仕方がない」
という状態となり、
「落ち着いて、仕事ができる環境にはない」
ということになるのだ。
子供がどこまで分かっているのか分からないが、陽介少年は、それくらいのことは分かっているようで、
「勉強は面白いからするけど、将来、会社に入ってサラリーマンとして仕事をする」
ということに対してはうんざりしていたのであった。
だからと言って、
「起業する」
というのも、嫌だった。
いわゆる、
「ベンチャー企業」
作品名:天才のベストセラー小説 作家名:森本晃次