天才のベストセラー小説
「何かがなければ動かない」
いや、
「動けない」
ということである。
被害届を出しても、実害らしいものがなければ、相手に何かができるわけではない。
「見回りをあなたの家近くを重点的に行いますね」
というくらいしか言えない。
しかし、冷静に考えれば、それも、
「本当だろうか?」
と疑いたくもなるもので、そもそも、ストーカーというものはどんどん増えているのだ。
ということは、
「この街だけでも、私だけではないはずだし、そのたびに警察は、その人の家の近くを重点的に見張る」
というのであれば、
「警官が何人いても足りるわけはない」
というわけだ。
特に最近は、交番も減ってきている。以前であれば、
「一つの町内に一つの交番」
というくらいにはあったことだろう。
しかし、今では、一つの地域に一つあればいいくらいで、しかも、警官の人数も限られていて、パトロールに出ていれば、交番の前には、
「パトロール中」
という標識が立てられていて、交番には誰もいないということになるのだ。
元々、昔の交番というと、
「道を聞かれたら、それにこたえるというのが、任務のように思えるかのようなドラマなどがあった」
というものだ。
つまりは、
「交番に詰めていてこそなんぼ」
というもので、交番を留守にするなど、昔ならあり得なかったことであろう。
交番の警官が減っているということは、それだけ、警察所勤務の警察官が増えたということだろうか?
いや、そんなことはない。
確かに昔に比べれば、犯罪の種類が多種多様化してきた。
「生活安全課」
というところなどが忙しくなったのは、
「サイバーテロ」
であったり、
「ネットによる詐欺」
などというコンピュータの発達によって増えてきた犯罪。
さらには、問題になっているストーカー犯罪。
そして、プライバシー保護なの意味としての、
「個人情報保護に関する犯罪」
などいろいろ出てきたが、これも、今から30年くらい前から急に出てきたもので、一気に犯罪の多種多様化というものも叫ばれるようになったのだ。
だから、警察署内の人員が増えたのは致し方ないことであろう。
では、
「警察官になりたい」
という人が増えたのだろうか?
正直、そんなにいないのではないだろうか?
実際には分からないが、状況として、交番の数が減っていき、そこに避ける人員も減っているのは、やはり、
「人手不足」
ということからきているのかも知れない。
もちろん、
「人員をカットして、経費節減」
という生々しい事実もあるだろうが、
「そのために、犯罪が増えてしまう」
ということであれば、本末転倒も甚だしいといってもいいだろう。
特に生活安全課も忙しく、警らの警官が人手不足ということになれば、ストーカー犯罪を取り締まるのは、
「おのずと限界がある」
ということになるであろう。
警察というものが、権威をいかに示すかということであれば、犯罪は少しは減るかも知れないが、今の警察に、
「犯罪を未然に防ぐ」
という力があるわけもない。
だから、
「事件が起こってからでしか動かない」
ということになるのであり、
「起こってしまった犯罪で、犯人を検挙すれば、検挙率が上がる」
という、
「警察本来の役目はどこに行ってしまったのか?」
と考えさせられる。
しかし、これこそ、
「民主主義の限界だ」
といえるのではないだろうか?
戦前、戦中といわれる、
「大日本帝国における治安維持法というものが設立された頃」
というのは、
「警察の権力は絶対だった」
といってもいいだろう、
憲兵と呼ばれる人たちが警察官として取り締まる。戦時中などは、
「戦争反対」
などという人を連行して、拷問にかけるなどということは日常茶飯事であった。
「あの頃の憲兵は、いきなり家に押しかけて、ご主人を拉致する形で連行し、帰された時には、拷問によって、足腰が立たないくらいにさせられている」
など、当たり前のことであった。
「戦争反対を唱える、非国民だけではなく、共産主義者なども片っ端から捕まって、拷問を受ける」
そんな時、今でいう逮捕状はいらないのだろうか?
時代が時代なのでよく分からないが、
「憲兵は、陸軍大臣の管轄下になる」
ということで、今でいう、
「行政警察」
とは明らかに違う。
しかし、敗戦により、憲兵は解体された。
「軍の解体」
というものが行われ、管轄である、陸軍省自体がなくなったのだから、それも当たり前のことで、その後は、民主国家としての、民主警察というものが生まれたのであった。
もちろん、その頃に比べて、今ではまったく変わってしまった警察組織というのは、
「三権分立」
というものに基づいた警察組織になっていて、ただ、
「縦割り社会の典型」
ということで、
「官僚制度」
と並ぶもので、一般の企業、いわゆる、
「会社組織」
とはまったく違うものであった。
何しろ、警察というのは、
「公務員」
であり、市民の税金で活動しているのであった。
ただ、昔の憲兵などのような、
「絶対的な権力」
によって、市民を苦しめたという前歴があることで、今の警察には、そこまでの権力を持たせていないというのも現実で、それだけに、捜査権はあっても、
「本当に市民のために動いている」
といえるかどうか、怪しいものであった。
それを考えると、
「警察は、何かなければ動かない」
ということと、それに輪をかけるように、
「人手不足」
という問題から、本来の仕事である、
「治安を守る」
ということが難しくなってくる。
だとすれば、
「犯罪を未然に防ぐことに力を入れないといけない」
ということなのだろうが、結局そこにも、
「権力濫用の問題」
と、
「人手不足」
という問題が横たわっていることから、どうすることもできない壁が存在しているといっても過言ではないだろう。
だから、母親も、そんなことは百も承知で、
「最初から警察に頼るなんてできるわけはない」
と思っていた。
そのうちに、被害妄想もひどくなり、
「警官というものがどういうものなのか?」
と考えているうちに、
「警察のみならず、誰も信用できない」
と思うようになってきたのであった。
だから、
「子供も真法できない」
特に子供は、親にとって、
「いつまで経っても子供」
と思っている。
それなのに、凶暴性だけが増してくる。身体は成長してきているので、
「子供には逆らえない」
と思うのだった。
母親は、
「人に言えない秘密」
というものを実は持っていた。
高校時代、塾の帰りに、ストーカーに襲われたことがあった。
寸でのところで、通りかかった人が大声を挙げてくれたので、事なきを得たのであるが、あのままであれば、何があったとしても不思議のない状況であった。
その時大声を出して助けてくれたのが、今の夫だった。
つまりは、
「陽介の父親」
ということになる。
母親は、父親と結婚するまで、お付き合いをしている人がいなかったわけでもなく、男性経験がないわけでもなかった。
作品名:天才のベストセラー小説 作家名:森本晃次