天才のベストセラー小説
「私学を退学になっても、公立の中学校にいけばいい」
ということになる。
中には、
「子供の将来を考えて」
ということで、引っ越しなどをして、
「誰も知らないところで住むことで、新しくやり直す環境を与えてあげよう」
という親もいるだろう。
しかし、実際には、
「子供のため」
ということではなく、
「自分たちが、近所の人から白い目で見られる」
ということが嫌で、引っ越すということが本音であろう。
子供の気持ちは関係なく、
「子供のため」
という言葉を免罪符にして引っ越すことが、
「親としては、子供にしてやれること」
ということで、
「子供に対しての恩着せ」
くらいに思っているのではないだろうか?
何しろ親とすれば、
「子供が行きたいと言ったから、私学にやったのに」
と考えているだろう。
それを、
「成績も落ちた」
しかも、
「万引きで捕まる」
という絵に描いたような転落人生を歩んでいるところで、
「親と子の利害が一致した」
ということで、
「どうすればいいのか?」
と思っていたことを、引っ越すことで、
「それぞれに納得できる結果として、やり直すことができる」
と考えたのだ。
しかし、その光景は、
「逃げるようにして」
ということであるが、逃げ足が速いだけに、後ろめたさはないのであった。
だが、
「反省がない」
ということなので、もし、
「また同じようなことがあれば、普通に同じことを繰り返すだろう」
ということになり、その理由がどこにあるのか分からずに、結局、
「まわりが悪い」
ということで、
「何としてでも、自分たちの正当性というものを認めさせよう」
と考えるのであった。
だから、
「親が子供の気持ちを分かっていないと、どういうことになるのか?」
ということが見えただけに、中学受験などをして、もし、自分が最低ラインになってしまった時、
「何とかできるのだろうか?」
と考えると、その自信がないことで、中学受験は辞めた。
高校は義務教育ではないので、受験は必須なので、仕方がないところがあるが、だが、受験は皆することなので、それだけ、
「中学側から、高校側というものへの見方や、レベルの検討というものがしっかりできる環境にある」
ということになるであろう。
それを考えると、
「小学生で、お受験というものは、必要ないのではないか?」
と感じたのだ。
ある日のことだった。
親は、子供のことが日に日に怖くなり、
「まさか殺されるというようなことはないよね」
と、母親は、びくびくしながら暮らしていた。
そんな話を誰にも相談できるはずもない。そんなことを話しても信じてくれるわけはないし、
「あなた、子供が信用できないの?」
といわれて、
「母親失格だわ」
といわれてしまうと、それこそ、
「ただ相談しただけで、ほしい答えが得られるわけではなく、私のことを、まるで気違い扱いされるだけでしかないと思うだけであろう」
そんなことを考えていると、誰にも相談できずに、悶々とした日々を過ごす母親だったが、それでも、子供の様子だけは、しっかりと見るしかないと思うのだった。
被害妄想になっていて、危険が隣り合わせでいるとなると、恐怖が募ってくるのが分かった。
その感覚は、時々ピークに達するが、そのピークの後には、感覚がマヒしてくる時があった。
そんな時は、フッと気が抜ける時であり、
「もう、どうでもいいや」
という感覚になってしまうのであった。
そんな時、ふと、自分が、宙に浮いているような感覚になる。その感覚が一番、
「逃げに走っている」
という時で、そんな時ほど、
「逃げるなら今だ」
と考えてしまうのだ。
しかし、逃げたことは一度もなかった。
それは、
「逃げることを自分の中で許せなかった」
というようなきれいごとではなく、
「逃げるにはタイミングが必要で、最初からこの瞬間に、逃げる態勢に入っていなければ、逃げることはできない」
ということであった。
そう、逃げられないということは、逃げたいと思いながら、タイミングを失っているというだけのことであった。
「じゃあ、何から逃げている?」
というのか?
確かに、子供の存在が恐ろしく、
「殺されるかも知れない」
とまで思っている。
それは、家に二人きりでいる時に、刺すような視線を感じるからで、
「かつて、以前に似たような感覚を味わったことがある」
ということを思い出したからだ。
それは、一体どういう感覚からくるものであろうか?
母親は、それを感じながら、何を覚えていて、何を忘れてしまったのかということを、思い出そうとしていたのだ。
母親には、男性経験の中で怖かった思いが結構あった。
中学生くらいの時には、ストーカーまがいのことをされていた。相手はクラスメイトで、いつも、行動を見張られているというのが分かっていた。
その子は隠そうともしなかった。むしろ、
「俺がそばにいるということを忘れるんじゃないぞ」
といわんばかりだったのだ。
「中学生においてのソトーカーなど、しょせんはその程度だ」
といえるようになったのは、その生徒が、途中で、親の仕事の関係で、遠くの方に引っ越してしまい、家の近くに出没することができなくなったからだ。
実際に、それから、もうストーカーに狙われることはなかった。
だが、高校生になることには、
「自分は、男性の視線を特別に浴びているんだ」
と思うようになった。
その感覚は、
「まるでアイドルになったかのようだ」
という思いもあったり、逆に、
「性的な視線を感じる」
という
「負の思い」
もあった。
「アイドルになりたい」
などという思いもなければ、
「性的な目で見られたい」
などという思いもあるわけはなかった。
だが、自分の中で、
「人からの視線を感じなくなるのが怖い」
という矛盾した思いが自分の中にあるのを感じた。
ストーカーは怖かったのだが、いなくなったらいなくなったで、安心もしたのだが、その分、
「何か物足りない」
という気持ちにもなっているかのようにも感じたのだ。
だから、
「絶えず人から注目を浴びることで、却って、自分が安全なのではないか?」
とも考えるようになった。
こんなことを人に話すと、
「あなた、何を言っているの」
と考えを簡単に否定されるであろう。
さもありなん、何といっても、ストーカーというものが、その人を追いかけて、理不尽な自分だけの感情を勝手に押し付けることで、恐怖を植え付けるという、卑劣な行為だと思っているからだろう。
母親も、
「その通りだ」
と思った。
だから、ストーカー犯罪が増えてきて、社会問題になってきてから、
「ストーカー防止法」
というものができたのに、一向に減ることもなく、下手をすれば、増えているのではないかと思える状況において、
「ストーカーは怖い」
と思っているのも、皆と同じだった。
しかし、そのストーカーから身を守るために、
「果たして警察が役に立つのだろうか?」
という思いがあるのも、当たり前のことだった。
警察は、
作品名:天才のベストセラー小説 作家名:森本晃次