天才のベストセラー小説
ということで、根拠らしいものを探したが見つからなかったというような事実があればそれでいいのだった。
「見つかる見つからない」
というのは、絶対条件ではない。
問題は、
「見つかるかも知れないものを、最初から探そうとしない」
ということに問題があるのだ。
簡単にあきらめるということに対して、
「その他大勢」
という考え方が含まれているような気がして。それが嫌なのであった。
というのも、陽介少年は、
「人と同じでは嫌だ」
という考えを持っていた。
それがどういうものなのかというと、
「長いものには巻かれろ」
という考えが嫌いだというのがまず一つ。
さらに、人に考えを合わせるということは、
「平均的になんでもこなせる」
ということは、
「社会人として当たり前のことだ」
というようなことを考えているという人間が嫌いだということである。
この考えは、父親の考えだった。
まるで、
「昭和の頑固おやじ」
を彷彿させるもので、テレビを見ていて、芸術家だったり、実業家などが、髭を生やしている姿を見たり、スポーツ選手が、髪を染めていたりするのを見て、
「汚らしい。よくあんな不潔な恰好をしていて、仕事ができるな」
というようなことを言っているのを見るからだった。
今時、そんな、
「化石のような言い方をする人がいるなんて」
というほどである。
その発想は父親ではなく、祖父の時代であれば、
「ギリあるかも知れないな」
と思える。
嫌、爺さんでもそんなことは言わないよなと思うというものだ。
ただ、爺さんは、そんなことは言わなかった。今も存命ではあるが、
「確かに年を取って丸くなったかも。知れないが」
という発想はあるし、
「孫の前だから」
ということもあるのかも知れない。
さらに、
「祖父を見ていて、父親を見ると、逆なら分かるが」
と感じるのだ。
それは、子供だから感じることなのかも知れない。それだけ、
「気持ちが素直で従順に受け入れることができる」
ということから考えられることなのかも知れない。
そういう意味で、
「一周回って、元に戻る」
ということで、
「祖父から半周回ったのが父親で、父親からまた半周回って戻ってきたのが自分ではないか?」
と思うのだ。
もちろん、それが、
「同じところに戻ってきた」
ということになるのであろう。
ということは、
「自分の息子は、父親のような大人になってしまうのかも知れないな」
と考えるのだ。
つまりは、
「それぞれの親が生まれてきた子供とまったく逆の性格を、自分の底に持っていて、それが、反面教師であるかのように見ることから、半周まわるという発想になっているのではないか?」
ということが考えられるというっことである。
「反面教師」
という言葉を、中学生になって聴いた時、結構早い段階で、
「ああ、子供の頃に感じたことがあったな」
とその時のことを思い出し、言葉は知らないまでも、発想だけはできていたということに気づいたのだった。
というのは、
「反面教師という発想を知らなければ、中学生になって、そう感じたことを思い出すこともないだろう」
といえる。
思い出せるということは、それだけ、
「反面教師というものが、半周まわるという発想と同じところに戻ってくる」
というものであったり、
「普段なら忘れてしまいそうなこと」
というものを、
「よくこんなに覚えていられたものだ」
と考えるからなのであろう。
それを思うと、
「後になって思い出すというのは、デジャブであり、この感覚と似たものだということになると、デジャブというものも、以前に見たことがあるようなと思ったその時に、反面教師として思い出すことになるのではないか?」
と感じるのではないかと思うのだった。
これも、
「根拠というものが曖昧なため、自分でも、デジャブというものを、今は、自分なりに理解するしかない」
ということになるのであろうと思うのであった。
そんなことを考えていると、
「これは、自分の気持ちのようにヵンが得ているが、ひょっとすると、大人の側から考えるという発想の、遺伝子による、考え方の伏線のようなものではないだろうか?」
と感じるのであった。
殺人計画メモ
陽介少年は、いよいよ小学六年生になった。
成績はうなぎ上りとなり、小学校4年生の時点で、すでにクラスではトップクラスの成績だったのだ。
6年生になったのだから、
「中学受験くらいするのではないか?」
と親も思っていて。
「受験して、いい学校に行ってくれれば、まわりに自慢できる」
というくらいに考えていたのだ。
陽介少年とすれば、親がそれくらいのことを考えているということくらいは、百も承知であった。
「そんなことは、分かり切っていて、別に、それを気にすることなどない」
と思っていた。
もし、これが陽介少年でなければ、
「優秀な中学に入って、親を見返してやろう」
と思うだろう。
しかし、
「ここで有名中学に入ってしまうと、それこそ、親の思うつぼだ」
ということも分かっていた。
「どうして、中学受験をシナカッタのか?」
というと、それは、
「親のためではなく、自分のためだ」
と思ったからだ。
「確かに、今まで、高学年になってから、勉強しだしたことで、一気に頭がよくなり、成績もまわりをごぼう抜きにするほどであり、自信を持つのは当たり前のことだ」
といってもいいだろう。
それは、
「いくら成績がうなぎ上りであったとしても、新しい中学に入り、そこが進学校であれば、今の自分の成績は、小学校では、群を抜いてのトップクラスであったとしても、集まってくるのは、他の小学校で、同じように群を抜いての成績を収めた連中なので、要するに、最初からレベルが高いところに在籍する」
ということになるのだ。
だから、そのレベルがどれくらいのものなのかが分からないので、ひょっとすると、
「中学校では、最低ランクの成績になるかも知れない」
と思うのだ。
もっとも、今までずっと、
「トップクラス」
ということを鼻にかけるかのように過ごしてきた人が、急に、レベルの高いところに入学して、そのレベルの高さを痛感させられるとすれば、
「必死になって追い付こうとする」
ということになるのか、あるいは、
「もう無理だ」
といって、簡単にあきらめてしまうかということになるだろう。
ただ、それは、
「そのレベルの高さというものを意識せずに入学してきたことに気づかなかった自分に対しての、情けなさからくるものであれば、まだ救いようがあるが、ただ諦めるというのであれば、下手をすると、人生をあきらめるということに繋がりかねない」
ということになるのでないだろうか。
中学校で、そのことに気づかされて、すでに自分が分からずに、悪い先輩などにそそのかされたりして、
「万引き」
などという、ちょっとした犯罪に手を染めてしまい、そのまま、退学処分になるということもあるだろう。
ただ、中学校は、
「義務教育」
なので、
作品名:天才のベストセラー小説 作家名:森本晃次