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国家によるカプグラ症候群

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「人間があこがれる世界」
 と言える。
 ただ、
「極楽浄土に行くには、そのために、長い間の修行によって、悟りを開いたごくわずかな人間がいける」
 という発想であろう。
 だから、ほとんどの人間は、
「輪廻転生」
 によって、人間に生まれ変わるか?
 あるいは、
「悪いことをこの世でしていたことで、エンマ大王のいる、地獄というところで、永遠の苦しみを味わう」
 というものである。
 考え方として、
「地獄で永遠の苦しみを味わう」
 ということになるのか、それとも、
「畜生や虫などに、生まれ変わるか?」
 ということになるかということである。
 畜生であったり、虫に生まれ変わった場合は、人間の眼には、虫や畜生というものは、
「救われるべきもの」
 ということではなく、
「殺されても仕方のないもの」
 ということで、
「地獄の苦しみ」
 よりもさらにきついのかも知れない。
 だから、
「一度、畜生や虫となって生まれてくると、二度と人間に生まれ変わることはできない」
 というのが、
「地獄の苦しみ」
 に匹敵するものではないだろうか?
 だから、
「死後の世界」
 というものに、救いを求めるというのは、宗教の考え方としては、あり得ることではあるが、
「あくまでも、宗教の厳しい考え方というものを、この世の理屈に当てはめることで、都合よく解釈できる」
 ということになるのではないだろうか?
 それが、
「宗教の世界」
 だと考えると。
「宗教というのも、都合のいいものでしかない」
 ということになるだろう。
 記憶喪失になった人の記憶を呼び戻そうと、催眠術師に頼むということをする人もいた。特に、
「記憶喪失の原因が、犯罪がらみである」
 という可能性が強い時、警察がその旨を話して、記憶喪失になった原因を突き止めようと、催眠術師にお願いすることを話す場合がある。
 家族の人たちは、賛否両論かも知れない。
「原因が分からないと、記憶も戻らない」
 と考える人は、催眠術に頼るということもあるだろうし、逆に、
「犯罪がらみならなおさら、記憶が戻ることで、危険な目に遭う可能性があるのであれば、記憶なんか戻らない方がいい」
 ということになる。
 また、もう一つの考え方をする人がいた。
 例えば、
「記憶が失われる前は、反抗期で、家族に暴力をふるったりして手が付けられなかったのに、記憶を失くしたおかげで、息子は大人しくなって、今は平和な家族になったんだから、放っておいてほしい」
 という人がいたり、
 また、
「せっかく一度は失った記憶だけど、記憶が戻ると、失ってからの記憶はどうなってしまうんですか?」
 と訊ねると、
「なんとも言えないですね。記憶は消えることはないと思いますが、過去の記憶の方が印象に深かったり、記憶を失った時のショックが大きいと、過去の自分と今の自分を別のものという考えをしてしまったりすれば、記憶を失っていた時の自分を否定してしまったりする場合もあるでしょうね」
 と医者は言っていた。
 だから、記憶喪失というものを、
「なるべくしてなったものだ」
 という、
「運命的なものだ」
 と考えるのであれば、
「無理に思い出すことはない」
 とも思える。
 さらに、
「記憶を失った人が記憶を取り戻させようと、まわりが、いろいろ言うと、プレッシャーのようになり、激しい頭痛に襲われるということだってあるではないか」
 という話になると、何も言えなくなってしまう。
 確かに、記憶を取り戻してほしいという気持ちはあるが、それが、本人にとってどういうことなのかということを考えると、強制もできないし、苦しめることになると分かっているのに、それを無理強いすることもできない。
 それを考えると、いくら催眠術とはいえ、
「もし、記憶が戻ってからどうなるかということは、記憶が戻ってからの本人にしか分からない」
 ということである。
「せっかく、記憶を失ってからの方が、新鮮な意識で、まるで、
「人生をやり直している」
 ということなのに、それを壊すことはできないというものだ。
 しかし、これも別の考えがある。
「本人が前にいた世界では、待っている家族がいる」
 ということも考えなければいけない。
 今も、必死に探していることだろう。
 捜索願も出しているだろうし、ただ、
「警察は動いてくれない」
 ということを分かっているのかどうかは分からない。
 人によっては、私立探偵を雇って、探している人もいるだろう。
 これも探偵に頼む時、
「一応、警察に捜索願を出しておいた方がいいですよ」
 とは言われるので、家族は、警察にも出しているはずだ。
 本当に、何かの事件に巻き込まれているということだってある可能性があるからだ。
 それを考えると、
「探偵としても、捜索をする時、警察に届けが出ている方が、やりやすい」
 ということだってあるだろう。
 家族は必死になって本人を探している。もし、何かの事件に巻き込まれた可能性があると言う時は、
「どこかで倒れているところを発見される」
 ということが多いだろう。
「交通事故に遭った」
 あるいは、
「海辺を歩いていて、海に落ちて、流れ着いたところを発見される」
 などという場合である。
 第一発見者がびっくりして警察と救急車を呼んで、病院に運ばれ、刑事が事情を聴こうとすると、医者から、
「患者さんは、記憶を失っている」
 と言われ、そこであらためて、
「事件に巻き込まれた可能性が高い」
 ということになり、警察とすれば、
「何としても、記憶を取り戻してもらわないと困る」
 ということになるのだ。
 記憶を失った人が、
「被害者なのか?」
 あるいは、
「加害者なのか?」
 ひょっとして、
「何かの目撃者なのかも知れない」
 ともいえるだろう。
 事件性がある以上、警察も動かないわけにはいかない。それを思うと、
「警察というものは、動いてほしい時には、まったく動こうとはしないくせに、動かなくてもいい時に、余計なことをする」
 と思えるので、
「どれだけ警察というのが、税金泥棒なんだ」
 と思っている人も多いことだろう。
 もっとも、税金泥棒は、警察に限ったことではない。政治家のほとんどがそうではないか。
「警察や、政治家なんて、ろくなもんじゃねえ」
 と思っている人も少なくはないだろう。
 しかし、記憶喪失になった家族を、
「催眠術を使ってでも、記憶を取り戻させよう」
 という家族がいるのも事実だろう。
 何といっても、記憶を失う前は、
「家族の一員」
 として、当たり前のように、毎日のように、笑顔の絶えない生活をしていたのだ。
 そんな家族が、まるで、腑抜けになってしまったかのように、まったく今までのような反応をしてくれない。親などは、
「まったくすべてを忘れてしまったかのような息子を見るに忍びない」
 ということで、
「一緒にいるだけで辛い」
 ということになり、
「まるで、息子じゃないようだ」
 と思えてくる。
 子供が小さい時に離婚して、父親に親権を取られた母親でも、子供が大きくなってから出会ったとしても、