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国家によるカプグラ症候群

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 ということである。
 大人になりきってしまうと、そこから先は、ある意味、毎日が同じことの繰り返しのように思えてくる。
 本当であれば、
「昨日よりも今日、今日よりも明日」
 と、成長しなければいけないという話をよく聞くが、それこそ、
「当たり前のことであるくせに、実際には、同じことの繰り返しにしか思えないのは、それだけ、大人になった」
 ということであろう。
 ただし、大人には誰だってなれるのだ。
「どんな大人になるか?」
 ということが問題なのであって、大人になった時、
「問題点を、いかに大人として裁くことができるか?」
 というのが、
「大人としての技量なのだ」
 と言ってもいいだろう。
「時間があっという間に過ぎてしまった」
 という発想で、まずピンとくるお話としては、
「タイムスリップもの」
 のお話ではないだろうか?
 SF小説などにありがちで、
「未来に行くことで、時間を飛び越える」
 という発想だ。
「タイムスリップ」
 というものは、
「タイムマシン」
 のような、
「人間の手によって開発されたもの」
 というものと、
「自然現象」
 として言われるところの、
「ワームホール」
 というものである。
 ワームホールというのは、
「時空のある一転から、離れたは所に、瞬時に移動できるものだ」
 ということである。
 この発想は、
「光速を超える」
 ということで、
「時間軸を飛び越える」
 という発想で、2つの意味を成しているとも言えるだろう。
 一つが、
「ワープ」
 というもので、あくまでも、
「空間を移動する」
 ということになる。
 宇宙空間で、例えば、地球から月に向かって、数秒で飛び越えるというようなものである。
 その間に時間は、本当に数秒しか過ぎていない。ロケットや宇宙線の中の時計がそれを証明しているという。
 しかし、これは、
「すべては、宇宙船の中で完結する」
 ということで、
「光の速度を超えていない世界と、超えた世界との間に、時間の流れがまったく違う」
 という、いわゆる、
「相対性理論」
 というもので考えると、まるで、
「電車の中で飛び上がった時、電車の外の空間とはまったく違う流れがある」:
 と言われる、
「慣性の法則」
 というものとは、まったく違うものだと言えるだろう。
 これが、SFマンガなどでよく言われる、
「ワープ航法」
 と言われるものである。
 これは、あくまでも、同じ次元の同じ時間軸でのことであるが、これが、
「別次元」
 であったり、
「時空を超える」
 という発想から、
「タイムマシン」
 のような働きをすることから、
「自然現象でありながら、時空を超えるものとして、
「ワームホールが存在している」
 という考えもありえるだろう。
 そうなると、
「ワープできる宇宙船」
 というものを開発することができれば、
「タイムマシンの開発も不可能」
 ということではなく、逆に、
「タイムマシンを作ることができれば、ワープ航法も可能になるだろう」
 ともいえるのではないだろうか?
 さらにこの発想から、
「タイムマシンで行きついた先というのは、ワープによって行きつく先と同じではないだろうか?」
 という発想もあり、
「遠くに存在している宇宙というのが、われわれ人間の未来だったり、過去だったりするのではないだろうか?」
 という発想もありえることで、
「浦島太郎」
 の話というのも、あれは、ワームホールやタイムマシンのようなものとして、
「カメ」
 が登場しているが、本当は、
「カメがタイムマシンだったのではないか?」
 とも考えられる。
 ただ、ワームホールだったとすれば、竜宮城は、地球の中にあるものではなく、カメとい宇宙船で、ワープを繰り返しながら、
「遠くの星に連れていかれたのではないか?」
 ということになるのかも知れない。
 そもそも、
「海の中にある竜宮城」
 というものは、
「空気の損座視しない海の中」
 ということであれば、同じ、
「空気の存在しない」
 ということであれば、宇宙空間であっても、同じではないだろうか?
 それを思うと、
「タイムマシン」
 と、
「ロケット」
 などの
「ワープ航法を可能にできるマシン」
 と考えれば、イメージとしては、
「時空を超えた」
 という感覚であるが、
「ワープして、遠くの星まで行って、あとは戻ってきた」
 と考えるのも無理なことではない。
 ただ、戻ってきたと勝手に思っているが、本当に浦島太郎がカメに連れられていったところが、時空は違っているとしても、元いた自分の世界なのだろうか? 
 それを考えると、
「浦島太郎」
 の話というのは、
「竜宮城から、まったく違う世界に来てしまった」
 ということになるのかも知れないし、逆に、
「浦島太郎は、別の次元の住人であって。竜宮城を経由して、こちらの世界にやってきた」
 という、
「宇宙人なのかも知れない」
 ということではないだろうか?
 それを可能にするのが、自然現象としての、
「ワームホール」
 であり、人工的なものとしての、
「タイムマシン」
 なのではないだろうか?
 かなり昔にあった特撮ドラマの中で、
「人間消失事件」
 というものをテーマにした話があった。
 これは、人間がある液体に触れると、まるで煙のように消えてしまうというもので、人間が消えた後には、ハンドルだけが勝手に動いているシーンが残っているという、そんな話であった。
 そこには、宇宙人が絡んでいて、その宇宙人というのは、
「実は、地球における未来人」
 という設定であり、そのドラマがあった、約50年後ということであった。
 実際には、その年は、すでに過ぎている。
 そのドラマでは、すでに、その年には、
「物体瞬間移動装置であったり、タイムマシンのようなものが開発されている」
 という設定であった。
 ただ、今まだそんなものが開発されたわけではない。
「瞬間物質移動装置もなければ、タイムマシンもない」
 さらにいえば、
「光速を超える宇宙船であったり、ロケットなどもない」
 あるとすれば、
「月か火星くらいまでいけるロケット」
 ということで、宇宙開発という意味では、今から40年前と、
「どこが変わったのか?」
 と言えるほどであった。
「タイムマシン」
 であったり、
「ロボット開発」
 というものであれば、
「フレーム問題」
 あるいは、
「ロボット工学三原則」
 という問題。さらには、
「タイムパラドックス」
 というそれぞれの問題が解決しなければ、タイムマシンも、ロボットも開発しても、実用に至るまでにはいかないのだ。
 だから、
「50年経っても、開発されない」
 ということであり、
「この50年というのは、未来永劫と言い換えることもでいるのではないだろうか?」
 ともいえるだろう。
 浦島太郎という人物が、、
「他の次元」
 あるいは、
「他の星にいた人間」
 ということであれば、それは、逆の発想として、
「裏の宇宙にある地球そっくりの星ではないか?」
 ともいえるのではないだろうか?
 今、確認されている宇宙だけでも、