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国家によるカプグラ症候群

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 それを思わせるのが、今から半世紀近く前にいわれていた話であり、それが、
「身代わり」
 と呼ばれる考え方なのであった。
 というのは、記憶喪失になるということは、どこかで、
「失踪していて、捜索願が出ている」
 という人たちが、必ず陰にはいるということである。
 記憶喪失で、自分のことが分からないと思っている人の反面、人というのは、
「一人では生きていけない」
 ということなので、必ず、親や近親者がいたり、会社の同僚や、友人などがいるはずだ。
 捜索願というと、さすがに、近親者でしか出せないものでもあり、簡単に誰もが出せるものでもないので、簡単に、
「捜索願」
 というものと、
「記憶喪失者」
 というものが、結びつくとは限らないだろう。
 そんなに簡単に結びつくであれば、警察は、もっと真剣に探るはずである。
 どうしても、警察は、
「検挙率」
 というものに力を入れるので、捜索願にもなっていない事件をいちいち時間をかけて探るようなことはしないだろう。
 しかも、捜索願を、
「事件」
 ということで受理してしまうと、分母が大きくなった分。
「必ず解決しないと、検挙率は下がる」
 ということで、できれば、事件にしたくない。
 だから、警察は、
「捜索願というものを、事件として処理したくない」
 というわけだ。
 それが、本当に事件であり、解決されるという保証があれば、それこそ、検挙率が上がるから警察にとってはいいことなのだろうが、そこまで必死になって捜査をするということを警察はしない。
「軽費や時間をかけて、事件にもならなければ、経費の無駄遣いでしかない」
 ということになり、いくら検挙率があがっらとしても、経費の観点から、
「損益計算」
 ということでは、損でしかないということになるだろう。
 それを考えると、
「警察というところは公務員なので、事件をでっちあげるというようなリスクを犯さない代わりに、経費の節減に必死になる」
 ということで、
「さすが、公務員」
 ということになるのであろう。
 それを思うと、
「警察が、事件を大げさにしないこと」
 であったり、
「民事不介入」
 ということを逆手に取り、なるべく余計なことはしないというのも、分かりそうなものである。
 だから、世間における、
「警察への失墜というものは、実に大きなもので、特に最近では、刑事ドラマなどでは、警察の怠慢であったり、警察官における犯罪の多さ、そして、警察内部のコンプライアンス違反の酷さ」
 などというものが叫ばれるようになり、
「それが、視聴者にウケる」
 という時代になったということだろう。
 記憶喪失というのは、基本的に、短い周期で治ることが多い」
 と言われている。
 それは、あくまでも、
「PTSD」
 のような、
「心的外傷後ストレス障害」
 と言われるようなものであれば、
「もし、治ったとしても、周期的に襲ってくるようなことはないだろう」
 というのは、
「今の時代でよく言われている精神疾患」
 と呼ばれるものは、基本的に、
「周期的になっている」
 といってもいいだろう。
「精神疾患」
 として呼ばれるものの代表として、昔からよく言われるものとして、
「躁うつ病」
 と呼ばれるものがあった。
「躁状態とうつ状態と周期的に繰り返す」
 というもので、最近では、
「双極性障害」
 と言われるようになった。
 これは、明らかな、
「脳の病気」
 というものであり、
「双極性障害」
 の場合は、必ず、病院で診察を受け、適切な薬による治療を受けないと、どんどんひどくなるといわれているのだ。
 しかも、その薬にも副作用のようなものがあり、それに苦しんでいる人もたくさんいる。だから、余計に、
「信頼できる医者に掛かって、双極性障害というものを克服する必要がある」
 ということになるのだ。
 この病気は、
「他の精神疾患を複数誘発している」
 ということも言われている。
「躁鬱状態だけ」
 というわけではなく、
「パニック障害」
 であったり、
「自律神経失調症」
 あるいは、
「統合失調症」
 などと言った、単独でも大変な精神疾患を併用して患っているということになるのである。
 それを考えると、
「精神疾患による記憶喪失」
 というのも、
「まったくない」
 とは言い切れない。
 普通ならありえないような発想も、
「ありえるかも知れない」
 と考えさせられることで、いかに、自分たちが、うまく立ち回れるかということが問題になってくるのである。
 それを思うと、
「身代わりが、自分が記憶を失っている間に存在していて。元々、自分が記憶を失ったのも、その人たちが自分に入れ替わるための、一つの手段だっただけだ」
 といえるのではないだろうか?
 それこそが、
「悪の権化の正体なのかも知れない」
 ということであろう。

                 寓話

 記憶が戻って、自分が本来いるべきはずのところにいるはずのところには、
「実際に、自分がいる」
 というような話を聞いたことがないだろうか?
 子供の頃に見たアニメや特撮などで、そんな話を見た記憶がある人は少なくないはずだ。
 その記憶というのが、どのようなものなのかということは、正直、
「怖い」
 という意識が強いことで、
「記憶というよりも、意識としての感覚の方が強い」
 という思いが強いと言えばいいのだろうか。
 記憶が戻って、自分がいなければいけない場所を思い出すと、
「まるで、昨日のことのような気がする」
 という感覚がある。
 それは、まるで、
「記憶を失っていた期間」
 というのが、存在しなかったかのように、記憶を失うまでの記憶が、
「昨日のことのように思い出させる」
 と感じる。
 しかし、実際には、かなりの間、記憶を失っていたのだから、確かに昨日のことのように思い出されはするが、その記憶は、
「遠い記憶」
 と思ってしまうのだ。
 この感覚を、
「どこかで感じたことがある」
 という気がしていた。
 実際に感じたことではなく、
「何かの感覚に陥った時、自分だけが感じることではないか?」
 と思うのだった。
 これは、子供の頃に感じたことであったが、子供の頃は、新鮮な気持ちで見ているので、
「すぐに理解できる」
 と思うのだが、実際には、
「自分は子供なので、大人になるにつれて、徐々に思い出してくることなんだろうな」
 と感じていたが、実際に、
「大人になるにつれて、思い出せるはずの感覚が、やはり思い出せない」
 と感じるようになるのだった。
 というのも、
「大人というものが、子供の頃よりも、時間が早く過ぎるからだ」
 と思っているからではないだろうか?
 しかも、子供の頃の記憶に、上書きされるわけではなく、追加式でどんどん増えていくのだから、同じこなさなければいけない量でも、いろいろな対処法を身に着けることで、時間が、短く感じることであろう。
 それを思うと、
「大人になるということは、経験を積むということになるのだろうが、それだけではなく、過ごした時間を、いかに有効活用できるか?」
 ということを勉強する時期ではないか?