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国家によるカプグラ症候群

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 だから、今の時代に、、おとり捜査や、個人情報に触れるようなことは、なかなか捜査しにくいこともあるだろう。
 それでも、
「彼らには許される」
 というような団体があるのだというのだ。
 どこまでが本当なのか分からなかったが、もちろん、それは、ドラマでしかありえないということだと思っていた。
 特殊捜査課であったり、諜報活動による捜査など、相手に対してというだけでなく、捜査する自分たちの身も危険に晒されるのだ。
 それが許されるということは、それだけ、凶悪な犯罪が、地下に潜っている形で行われていることが多いということであろう。
 そういう意味では、
「犯罪発生数」
 というのは減っているのかも知れないが。それはあくまでも、表に出ていないというだけで、
「人知れずに、殺されていた」
 などということも多く、その証拠として、
「殺人事件は減っているが、行方不明者であったり、変死者が増えている」
 ということであれば、それは、
「変死に見せかけた殺人」
 ということになるのかも知れない。
 変死であれば、司法解剖を行って、怪しいところがなければ、事件にはならないだろう。
「人を殺しておいて、殺人の証拠を残さない」
 ということになれば、それは、
「完全犯罪だ」
 といえるのではないだろうか?
「毒殺しておいて、実際に、それが殺人だとはバレないということってあるのだろうか?」
 ということも言われたりもする。
「そんなことは可能なのか?」
 と知り合いと話したことがあったが、彼がいうには、
「元々体内にあるものであれば、摂取しても分からない」
 というのであった。
 彼はミステリーファンで、そういう薬物関係のことも、大学時代の専攻が、薬学だったこともあり、よく知っていた。
 今では、普通に薬局の店員だが、その彼の言っていることはよくわかった気がしたのであった。
「そうなんだよね。木を隠すなら森の中という言葉があったり、動物の中には、自分の身を守るために、保護色というものを使ったりする。つまりは、紛れ込ませてしまうと、人の目なんか、簡単にごまかすことができるのさ」
 ということであった。
「なるほど、灯台下暗しということかな?」
 と聞くと、
「それもそうなんだけど、まるで、石ころのような存在だといえるのではないかな?」
 と言い出した。
「石ころとはどういうことですか?」
 と聞くと、彼は、少し誇らしげに、もったいぶった形で、ゆっくりと話をするのであった。
「石ころって、たとえば、河原にいくつもいろいろな形の石が落ちているでしょう? もし、自分が、人間に見つかりたくないという一心で石ころに化けたとして、人間が、石ころをじっと見つめていて、その中から自分を探しているように感じると、びくびくしてきますよね?」
 という。
 それを聞いて、こちらも、最初は、
「この人は何を言っているのだろう?」
 と話の内容がよく分かっていないかのように考えていたが、
「確かにびくびくするわな。なるべく目を合わさないようにしゆと、顔を背けようという気持ちになる」
 というと、
「うん、だけど、目を背けるとかそんな必要ってないんですよ。相手が見ているのは、あくまでも石であり、その石も、まさかその中に人間がいるなんて思いもせずにただ見つめているだけなんですよ。だから、余計な意識を持ってしまって、びくびくすると、今度は、せっかく石に化けたのに、元の人間の姿に戻ってしまったら、どうしようという気持ちになったとしたら、それはそれで、本末転倒だというものですよね」
 という。
「なるほど、だから、自分は石ころになっているのは、人間には、絶対に見破れないという気持ちがあるからで、自信をもつべきものなのに、いざとなると、おじけづいてしまうということになりかねないということでしょうね」
 というのであった。
「そうなんですよね。一番安全だという気持ちがある反面。もし、これでも見つかってしまったら、どこに逃げてもだめだ」
 という最後の手段を突破された気になって。
「絶望でしかなくなってしまう」
 ということになるであろう。
 それを思うと、
「好きなものから先に食べるか、それとも最後まで残しておくか?」
 という発想になってしまう。
 確かに、最初に、一番の奥の手を使って、
「早く、安心を掴みたい」
 という気持ちも分からなくもない。
 しかし、最初に奥の手を使ってしまい、それで、もしうまくいかなければ、、
「もうどうしようもない」
 ということが、早々と決定してしまう。
 ただ、結局は、うまくいかないということになるのであれば、遅かれ早かれ、分かることである。
「少しでも、延命させたい」
 という気持ちなのか、それとも、
「ダメならダメで、早く分かってしまえば、そこから先の手を考えることもできる」
 と考えるかの違いだといってもいいだろう。
 これは、頭の考え方が、
「加算法なのか?」
 それとも、
「減算法なのか?」
 ということの違いなのではないだろうか?
 この考え方は、
「攻勢に出るのがいいのか?」
 それとも、
「守勢なのか?」
 ということの違いに似ているが、それは、あくまでも、
「攻撃的であっても、守備は怠らない」
 ということであり、逆に、
「守勢であっても、攻撃だってする」
 ということで、それこそ、
「工芸は最大の防御」
 ともいえるのだ。
「将棋の一番隙のない布陣が何か?」
 ということを言われると、
「それは、最初に並べた布陣だ」
 というではないか。
 それは、
「一手打つごとにそこに隙が生まれる」
 ということで、
「お互いに、隙をいかに守りながら、相手の隙をつくか?」
 ということになるのである。
 そんな警察といっていいのかどうか分からない、秘密組織の内偵によって、組織の全貌が少しずつ分かっていたような気がする。
 記憶喪失の人間を作ることで、世の中に不安を増長し、そこで、
「頼れるのは、自分だけだ」
 という風に思わせるのだが、世の中そんなに甘いものではなく、
「結局、世の中というのは、一人では何もできない」
 ということを思い知ることになるだけだということになる。
 だから、
「何かに頼るしかない」
 という思いに至り、
「だったら、宗教ということになるだろう」
 しかし、そもそも、
「宗教というのは、胡散臭いもので、怖いものだ」
 という意識があるのだが、一番胡散臭く感じるのは、
「宗教というものが、今の世の中の自分たちを救ってくれるものではなく、死んでからのために、今を頑張って生きる」
 という考えだということを分かるからであった。
 今すぐにでも救われたいのに、
「あの世に行ってからのことなど、待っていられない」
 ということになるだろう。
 しかし、考えてみれば、キリスト教のように、
「自殺は許されない」
 というところでは、楽になりたいがための、自殺すら許されないということは、どういうことなのか?
 まるで、
「生き地獄を、しっかり味わわないと、あの世には行けない」
 ということになり、誰が助けてくれるのだ?
 ということになる。
 と考えると、