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小説の書かれる時(後編)

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「ナチスだ」
 と言った言葉にウソはなく、本当のことに思えてくるというものであった。
「ドイツ国人」
 だというのは、少し違うかも知れない。
 あの時のドイツ国民は、第一次大戦に敗れて、その責任を一気に背負わされたことで、悲惨な生活を強いられていたことで、
「強い指導者に、
「自分たちの未来を夢見た」
 ということであれば、それは致し方のないことであろう。
 そういう意味で、
「騙されていたこともしょうがない」
 といえるかも知れない。
 しかし、今の日本はどうだろう?
 我々は少なくとも、ナチスについては知っているはずである。
 しかも、あいつらは政治かあではないか。
 国民の代表として、国民から選ばれた人たちである。
「政治家になるために、勉強をしてきているから、国会議員になれたはずである」
 そんな連中に、
「ナチスをよく知らない」
 などということは言わせない。
 そして、そのナチスというものを二度と引き起こしてはならない
 ということだって、暗黙の了解で、誰もが分かっているだろう。
 もっとも、そんなことが分からないやつに、
「国会議員などできるはずはない」
 ということになるだろう。
 それを考えると、
「あのスタンディングオベーションがどういうことになるのか?」
 ということを、国民も分かっていないということだ。
 もっとも、そんな国民が、政治に関心がなかったり、
「まったくの無知」
 だということから、
「あんな国会議員が生まれることになる」
 ということだ。
 下手をすれば、
「有名人だから、国会議員になれた」
 ということになれたのかお知れない。
 賢明な読者であれば、
「あれ? どっかで」
 という、
「既視感」
 であり、
「デジャブ現象」
 というようなことを思い出すことだろう。
 というのも、それは、
「例の詐欺出版社の営業が言っていた」
 という言葉が頭に浮かんでこないか?
 ということである。
 つまりは、
「出版社が、全額を払っても、本が売れるということで、お金を出すとすれば、それは、芸能人か、犯罪者くらいのものだ」
 と言っていたというではないか。
 これは、実に面白いことだ、
 ということは、
「政治家として表に出るには、もちろん、勉強をしている、最初から政治家を目指していた人間か、あるいは、ただ、売れたいということで芸能人を目指していた人が、今度は政治家として顔を売りたいということで行った本人の政策のようなものに、国民は踊らされているというのが一つだろう」
 といえる。
 しかもである、
「あの時に言っていた営業が、芸能人か犯罪者だ」
 と言ったというではないか。
 つまり、うがった考え方をすれば、
「芸能人も犯罪者も同じレベル」
 ということになるだろう。
 もっろいえば、
「政治家を目指す芸能人は、犯罪者レベルだ」
 ということになり、
「政治家なんて、しょせんは、犯罪者のようなものだ」
 と考えるとすれば、それは危険であろうか?
 確かに、突飛だということは分かる気がするが、
 出てきた答えとして見えていることは、
「しょせん、政治家というのは、犯罪者のように、何か腹に一物を持っている」
 ということになるであろう。
 何といっても、
「確かに戦争というのは、悪いことだ」
 というのが、全体的に暗黙の了解になっている。
 必ず犠牲者が出るのは分かり切っているからだ。
 しかし、政治の世界でも、やっていることはどう違うというのか?
 以前のソーリの中にもいたではないか。
「自分に都合のよくない状態になったら困るということで、自分のいうことを聞く検察官をそばにおいておきたい」
 ということから、
「法律を変えてまで、定年を延ばそうとした」
 ということがあったではないか。
 実際には、その男は、
「賭けマージャン問題から、墓穴を掘り、自ら辞任することになった」
 という、
「究極の茶番劇を演じた男」
 がいたではないか。
 さらに、もっとひどいのは、そのソーリに
「疑惑」
 というものが持ち上がった時、
「私は潔白だ。もし、怪しいというのであれば、私あソーリどころか、国会議員も辞任する」
 と言ったことによって、何が起こったのかというと、
「結局、その人は、自殺に追い込まれた」
 ということであった。
 こんな理不尽なことが起こっていいものであろうか?
 それを考えると、
「戦争というものが、いかにひどいものか?」
 ということになるのであろうか、実際に、戦争では、ある程度、状況は見えている。
 とはいっても、センシティブな部分があることで、映像としては見せることができないとはいえ、何が起こっているかということくらいは、ニュースでも報道しているだろう。
 しかし、
「政治の裏工作で起こったこと、戦争の内容」
 とでは、その状況は違っても、本来であれば、表に出せないということに変わりはないだろう。
 しかも、それぞれに、事情があうとしても、政治の裏工作ほど、ひどいものはない。必ず一人に責任を押し付けることになるからだ。
 そもそも、
「戦争の、いい悪い」
 ということを論じていたが、
 戦争には、
「いい部分、悪い部分」
 とあるだろう、
 いい部分というのは言い過ぎというもので、
「仕方がない部分」
 ということで、贔屓目の、
「いい部分だ」
 といえるだろう。
 しかし、政治の裏工作では、その、
「いい部分の欠片」
 もないのだ。
 つまり、犠牲になった人は、完全に悪者として葬られることになるのであり、報われることはない。
 そういう意味で、
「政治の裏工作」
 を行った。
 誰かを、人身御供にしたのであれば、その男は、
「人間の皮をかぶった悪魔」
 ということで、決していい死に方はしないだろう。
 まさにその通りだというところがオチだったのだ。

                 デスマスク

 ある日、一人の男の家に、不可解なものが送られてきた。
 送られてきた家の家主は、
「佐久間笛蔵」
 という芸術家だった。
 彼の専門は、石膏政策であり、特に、マンションのマネキンなどの性格も手掛けていた。
 といっても、
「マネキンと、石膏細工とでは違う」
 ということであるが、佐久間の自分なりのこだわりとして、
「石膏細工と、マネキンは同じだ」
 という考えを持っていた。
 しかも、その発想として、
「石膏というものは、その中に埋め込むものが、素晴らしいものだ」
 ということで、
「石膏細工には、命が埋まっている」
 と思っていた。
 だから、石膏細工を最初に始めたのだ。
 そのうちに、
「石膏細工だけでは、食っていけない」
 ということで模索し始めたのが、
「マネキン政策」
 というものだ。
 昔に比べて、減ってきたのかどうかまでは分からないが、少なくとも、
「洋服というものが店頭に並んでいる限り、なくなるものではない」
 と考えていた。
 マネキンは、誰もが知っている通り、百貨店や、ブティックなどの専門店で、売り物となる洋服を着せることで、綺麗に見せるというためのものだった。