小説の書かれる時(後編)
ということを考えたということであったが、この時にも、同じ感情が浮かんできたのであった。
「もし、連戦連勝の状況で、講和条約を結ぶなど、国民に対して、どう説明できるか?」
ということになるのだ。
繊維は高揚していて、
「イケイケどんどん」
というところで、何を戦争を辞めなければいけないというのか、それを国民に説明できるすべがあるのだろうか。
そもそも、戦争を始めた時、
「経済制裁をしてきた、米英憎し」
ということであったはずだし、何よりも、中国に対しては、
「報復」
という側面も大きかった。
それを考えると、
「日本という国は、その時々でできた状況は、必ず、両極端な側面を持っている」
ということであろう。
ただ、それは日本に限ったことではないだろう。
アメリカにしても、イギリスにしても、中国にしても、
「戦争を行う」
ということは、リスクを伴うということに変わりはないのだ。
だからこそ、
「戦争というのは、理不尽であり、何が起こるか分からない」
ということになるのだろう。
なにしろ、
「いつ、死ぬか分からない」
という、極限状態ということになっていることもあり、だからこそ、
「略奪、強姦、暴行」
などという残虐行為が、戦闘のあったところで繰り返されるというのは、
「兵士の極限状態」
からであろう。
退却して行く中で、進軍してくる相手に物資を使わせないようにするために、
「村を焼く」
という行為は、それだけを見ると、
「なんて、ひどい」
と思うのだろうが、相手が黙って通り過ぎるということがないと分かっていれば、みすみす相手にくれてやることを思えば、
「そういう理不尽とも見える行為もしょうがないことなのかも知れない」
と思うのだ。
「何しろ、戦争というのは、人を狂わせたり、人を殺すという感情をマヒさせるだけの力がある」
ということなので、そんな精神状態が、トランス状態になってしまっているとすれば、それを制御するには、
「力でねじ伏せる」
という方法しかないのかも知れない。
それが、戦争であり、
「昔から、人類の歴史として、ずっと繰り返されてきたということではないのだろうか・」
ということであった。
近世から、現代に掛けて、第一次世界大戦あたりから、第二次大戦というものが終わるまでの間、
「世界は地獄を見た」
といってもいいだろう。
しかし、
「時代は繰り返される」
というが、まさにその通りであり、第二次大戦が終了した時点で、新たな火種は起こっていたのだ。
戦争と、政治の裏工作
まず、一つが、
「各植民地の独立問題」
だった。
アジアの国々には、元々の宗主国がやってきて、さらなる支配を強めようとしたが、その間に、アジアの国々は、それぞれの、
宗主国」
からの独立を考えていた。
それは、皮肉なことだが、日本が戦争のスローガンとして、アジアの国に、その感情を植え付けることになった、
「大東亜共栄圏」
というようなもので、そのスローガンは、
「独立」
ということに終始しるのだろう。
そもそも、
「大東亜共栄圏」
というのは、
「今まで、欧米列強の植民地にされ、搾取されてきたことから、母国を開放し、そこで、東アジアにおける、一つの秩序を作り上げて、共栄していく」
という考えだ。
そもそも、
「満州国の建国」
においても、同じ発想ではなかったか。
というのも、満州国のスローガンが、
「王道楽土」
つまりは、
「ヨーロッパからの、力による支配ではなく、王道、つまりは、アジア特有の、徳という考えで、社会をまとめる」
ということが一つと、
「五族共栄」
という、
「漢民族、満州民族、朝鮮民族、モンゴル族、そして日本民族によって形成され、共栄していく」
というのが、満州国建国のスローガンだった、
それを考えると、
「日本という国は、それら独立した国の盟主となるため、今は、東アジアを開放し、新しい、秩序を作るということから、アジアに進出する」
という大義名分であった。
ただ、その一番の目的、いわゆる本音としては、
「経済制裁」
に逢っていることで、日本は、資源がないので、身動きが取れなくなる前に、
「南方の資源地帯を手に入れる」
という目的を持っているのであった。
それは成功し、ある程度まで、ある意味で、
「戦線は拡大していた」
のであった。
戦線が伸び切ってしまうと大きな問題が生じることになる。
その問題としては、
「補給路の確保ができるかどうか?」
ということである。
占領地が多いということは、それだけの人間を養うことになるのだが、その国が自給自足できればいいのだが、日本には、到底物資の食料もないのだ。
それは、
「実に本末転倒で、皮肉なことだ」
ということになるのだろう。
そして、もう一つの問題は、戦後においての、一番の問題となった。
「東西冷戦」
というものである。
ソ連にて出来上がった。社会主義体制。彼らは、諜報活動などによって、相手国を内部からつついて、
「革命を起こさせよう」
と画策したりしていたのだ。
それが、実は。もう一つの、
「植民地諸国の独立にも絡んでくるのだ」
ソ連という国は、それら
「植民地」
と言われた国に、郡司物資の援助をしたり、
「独立戦争のための教育をしたりして、独立後は、社会主義体制にしよう」
と考えていたのは間違いないことだろう。
だから、実際に、アジアでは、社会主義国家が成立することが結構あった。
アメリカがそれを危惧したことで、
「アジアにおける、社会主義かのドミノ現象を何とかしないといけない」
という感覚を持ってしまったことから、勃発したのが、1960年代後半から突入した、
「ベトナム戦争」
というものであった。
その前に起こった、
「朝鮮戦争」
と並んで、この戦争も、
「米ソの代理戦争」
と言われた。
それぞれで核開発を行っているために、抑止のため、直接対決というのは、避けなければいけなかったのだ。
それが、第二次世界大戦後における体制と、
「戦争の在り方だ」
といってもいいだろう。
戦争は、結局はなくならない。どんな形に変わろうとも、人が人を殺めることを罪と思わない限りは同じことだ。
というものであないだろうか。
それと同じで、なくならないブーム。
これも、形を変えながら、続いていくが、いずれ、また同じ形に戻ってくる。
これは、それだけ、ブームがなくならない魅力を秘めているからであろう。
ということになると、
「この世においてなくならないものは、
「必ず、誰かに親しまれ、あるいは、必要とされているというものであろう」
ということは、
「戦争というものも、誰かに必要とされる限りなくならない」
といえるのではないだろうか。
その必要としている人は、
「戦争を悪いことだと思っているのだろうか?」
自分に必要なものであれば、
「それはそれでいいんだ」
と思っているとすれば、それは、戦争がなくなるはずなどないということへの証明のように思える。
そして、戦争を、
作品名:小説の書かれる時(後編) 作家名:森本晃次