小説の書かれる時(後編)
前述のような、逃げる時に、相手に物資を取られないようにするということで、味方のはずが、
「守ってくれるどころか、火をつけていくなど、それこそ、本末転倒ではないだろうか?」
ということになるのだった。
結局、日本は、そのまま、中国との全面戦争から、本格的に世界から孤立し、独自の資源を領土内に求めることができなくなったことで、諸外国からの、経済制裁などにおいて、
「南方の資源違いの占領に活路を見出すか」
あるいは、昔の、つまり、
「明治維新の状態にまで、戻るということをしないといけないか?」
ということになるのであった。
日本軍としては、
「せっかく、今までの歴史で、日本の発展、あるいは、今の領土確保のために、かつての戦争で死んでいった人たちのためにも、相手が要求する状態に戻すわけにはいかない」
ということであった。
それが、連合国における、
「経済制裁」
を辞める条件だったのだ。
それを呑めば、確かに、窮地は脱するかも知れないが、いろいろなところで大きな問題となる。
特に、軍部にしろ、国民感情が、
「中国における、中国側の挑発行為であったり、その際の日本人に対しての、虐殺行為を含む、反日運動には怒りを覚えていたので、その感情を無視することはできない」
ということであった。
さらに大きな問題として、満州という問題である。
そもそも、満州事変を引き起こした理由の一つとして、
「日本における不作」
と、時代の中での、
「世界恐慌」
などということから、食糧問題に発展してきたことから、
「満州の土地を手に入れて、そこに日本人居留民を送りこみ、自給自足の生活をすることで、日本における食糧問題の解決を図った」
ということである。
それを放棄して、満州や朝鮮を失えば、再度の食糧問題の勃発と、それによって、軍内部の士気の低下、さらには、暴動、内乱などがぼっ発しかねない。
そうなってしまうと、日本国においては、どうすることもできす、抑えが利かなくなり、「大日本帝国、存亡の危機」
ということになるだろう。
それを考えると、
「時代の逆行」
というのが、無理であることは一目瞭然である。
もちろん、
「時代は繰り返す」
というが、あまり無理を押し通し、強引なことを示してしまうと、歴史が許容できなくなり、それこそ、どの時代になるかは分からないが、時代自体が、逆行してしまい、本当に、
「明治維新の時代」
というところまで戻ってしまいかねないだろう。
それが、戦争を引き起こすことになり、
「無謀な戦争」
というものに、日本が突入していった」
ということで、歴史は語り継がれていくことになるのだろう。
そんな時代に戻ってしまうわけにもいかない。
軍部の必死の南方進出説、政府や天皇の間では、
「本当に戦争をしても大丈夫なのか?」
という危惧があったのだろうが、軍部としても、
「相手が、どのような国であるか、十分に分かっているはずだ」
特に海軍の、連合艦隊司令長官であり、アメリカ通で知られる、
「山本五十六」
に話を聞くと、
「やれと言われれば、半年や一年くらいは、暴れて見せますが、それ以降となると、まったく予想がつきません」
というではないか。
予想がつかないということは、
「勝ち続けるということは、不可能だ」
ということを示しているのであった。
だから、その間に、南方資源を確保し、エネルギーや物資の問題を解決しておかなければいけない。
ということが、大前提になるのであった。
ただ、それを行うということは、宣戦布告に等しい。だから、軍は、戦争前に、相当な訓練と、しょせんでの大勝利に掛けたというのは間違いないことであろう。
実際に、その作戦は成功した、
アメリカに対しては、海軍による。
「ハワイ、真珠湾攻撃」
という奇襲が成功した。
「空母や、燃料庫には、手を付けられていない」
という、後々の致命的なミスもあったが、奇襲作戦は成功し、戦術的には、大成功だった。
ただ、問題は、
「その攻撃が、日本側の宣戦布告前だった」
ということで、アメリカ国民を戦争に駆り出す」
ということになったのだ。
これにはアメリカ側に二つの目的があった。
そもそも、これは、
「相手に。仕組まれたことだ」
という謂れがあるが、どこまでが本当か分からない。
確かに間違いないことなのだろうが、アメリカというものが、当時の状況を考えれば、おのずと分かってくるものでもあった。
「対日本」
ということであれば、日本側がいう、
「奇襲攻撃」
が、宣戦布告が遅れたことで、アメリカ側からすれば、
「騙し討ち」
ということになり、
「日本は汚い」
「日本憎し」
という感情が芽生えてきて、戦意は、沸騰してくることだろう。
そして、もう一つの目的、こちらの方が本当の目的のようなのだが、
「当時のアメリカというのは、イギリス政府から、戦争に参加してほしい」
ということを言われていたのだった。
しかし、アメリカというところは、大統領に権限はあろうとも、議会の承認がないと、戦争を行うことはできないのだ。
特に、当時のアメリカは、
「ヨーロッパの戦争には、なるべく関与しない」
ということでの、
「モンロー宣言」
という考え方が、根底にあったのだ。
「何もアメリカ本土が攻撃されたわけでもないのに、何も無理して、ヨーロッパの戦争に関与する必要はない」
ということであった、
これは、世論が許さないことであって、それを、日本が、
「攻撃してきた」
しかも、
「それが、騙し討ちによるもので、アメリカの一部である、ハワイが攻撃され、太平洋艦隊がほぼ全滅」
ということになれば、士気を高めるためには、十分であった。
よって、アメリカは日本に宣戦布告をするわけで、これは同時に、
「同盟国」
である、ドイツに対しての宣戦布告でもあったのだ。
だから、
「アメリカとしては、最初の戦術というところでは、敗北だったかも知れないが、戦略、つまり、アメリカが、日独伊の参加国に宣戦を布告するということに関しては、成功した」
といえるのであった。
日本とすれば、
「まんまとアメリカに引きずり込まれた」
ということであったが、ここまでは、日本としても、計算通り、
「なんといっても、相手国の首都、ワシントンやロンドンを占領などできるわけはないので、当初の計画通り、半年、一年で暴れまくり、連戦連勝のまま、講和に持ち込む」
という足掛かりはできたのだった。
ただ、前述のように、
「連戦連勝によって、アメリカ国民の戦争に対する意気消沈を招く」
ということはアメリカによる、宣戦布告を、戦闘の後にあたかも出てきたような工作をされたことで、
「意気消沈どころか、日本憎しという感情を、これでもかとばかりに植え付けてしまった」
ということだったのだ。
それでも、日本は連戦連勝で、戦争終わればよかったのに、それができない状況であった。
その一つが、
「勝ちすぎた」
ということである。
当初、日本が、明治維新に戻るのは、
「過去の英霊に申し訳が立たない」
作品名:小説の書かれる時(後編) 作家名:森本晃次