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小説の書かれる時(後編)

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「貧富の差が激しくなっている」
 ということである。
「バブル経済」
 というものが、後世にもたらした影響の一つとして言えることは、
「貧富の差が、どんどん大きくなってくる」
 ということである。
 そもそも、自由敬愛ともいわれる、
「民主主義社会」
 での一番の問題点は、
「貧富の差の激しさ」
 というものであった。
 それを解消するには、
「資本主義ではもうダメで、究極の考え方として生まれたのが、すべてを国家で管理する」
 という、
「共産主義」
 というものだっただろう。
 ただ、それも、大いなる反動という意味で、粛清であったり、
「皆が同じ収入レベル」
 ということで、
「一生懸命に、仕事をしてもしなくても、同じ給料であれば、楽をした方がいい」
 ということになり、
「成長などありえない社会」
 となるのだ。
 だとすれば、
「国家がそれを進めるしかない」
 ということで、
「恐怖政治」
 というものと化すといえるだろう。
 今、
「過剰融資」
 というものを持ちかけられると、その結果は、
「永遠に消えることのない元本が残る借金」
 というような考え方であれば、それは、
「罠である」
 ということを普通では感がられるのだろうが、
「騙す方にだって、それくらいの知恵」
 というものがあり、
「相手の感覚をマヒさせるくらいに切羽詰まっている相手を探してくれば、それで勝ちなんだ」
 と考えるくらいのことをできるかどうかであった。
 特に今の時代は、
「ネットというものがあり、検索を掛けることで、いろいろな情報を得ることができる」
 しかし、だからと言って、情報で溢れかえると、中には、
「悪徳の罠に掛けよう」
 としている連中に知られる可能性もあるので、
「個人情報を晒してはいけない」
 ということになり、
「勝手に人の情報を捜索したり、不当なことに利用しようなどということができないような法の整備を行う」
 ということが、
「今の時代」
 となってきているのであろう。
「悪徳金融機関がリアルで迫ってきている」
 ということになれば、
「相手から逃れる一心で、何とかお金を返しても、元本が残っている」
 そしてこの時、
「借金を返そう」
 ということで、
「目先の恐怖だけを見ている」
 とすると、見えているのは、目の前のことだけになってしまう。
 それが何かというと、
「借金を返すために、さらに借金をする」
 ということだ。
 それこそ、本末転倒であり、しかもバブル期の経験がある金融機関は、会社の垣根を越えて、業界が生き残りをかけて、
「情報共有をしていることだろう」
 これが、本来の意思とは違うのかも知れないが、ブラックリストに乗るということで、
「借金ができない仕掛け」
 となり、結局、
「それ以上の被害を広げなくてもいい」
 ということになる。
 ただ、その時点で、ほぼ人生が終わりだと言ってもいいだろう。
 それを考えると、
「バブルの崩壊」
 というものが、どれだけ大きな社会問題だったのか?
 ということが分かるというものである。
「バブル経済の元々」
 というのには、いろいろな理由があっただろうが、一番大きかったのは、
「実態がないということを分かっていなかった」
 ということであり、もう一つは、
「過剰融資」
 というもので、
「神話がある銀行がいうのだから」
 ということで、信じて疑わないということが、その結論を大きなものとしていたことにあるのだろう。
 そんな過剰融資こそ、
「トカゲの尻尾切」
 なのだ。
 だから、本来であれば、
「借金取り」
 を殺しても、どうなるものでもない。
 借金をなくするのであれば、
「借用証書」
 というものを、この世から、抹殺しないといけないのだ。
 それを持っている人を殺害しても、借用証書がある以上、その効力は失われないだろう。
 そんな状態だったが、流れてきたニュースとして、
「佐久間が借り入れた会社の社長が誘拐された」
 ということであった。
「実は佐久間は、以前ネットで、知り合った男性と、
「完全犯罪」
 について語りあったことがあった。
 その時出てきたものはいくつかあったが、一つは、、
「殺したい相手を殺して、その人に一番恨みを持っている人間、もちろん、自分以外にであるが、その人のアリバイをことごとく打ち消しておいて、その事件現場に、その人が犯人であるという証拠を残しておく」
 ということであった。
 一番オーソドックスな犯罪方法で、言ってみれば、
「誰もが思いつく犯罪だ」
 と言ってもいいだろう。
 ただ、その場合の問題としては、
「犯行現場に、あまりにも証拠を残しすぎると、却って疑われる」
 ということであった。
「これは探偵小説で言えることだが、一番怪しいと思われる人間が、たいがいの場合、シロである」
 ということではないだろうか。
 だから、あまりにも、あからさまなことをすると、捜査本部も、さすがに怪しむということである。
 ただ、捜査本部は、証拠やマニュアルにおいてしか捜査をしないので、
「怪しい
 と思っていても、なかなかそっちに捜査が入ることはない。
 だからと言って、策に溺れると、せっかく広げた犯行の証拠となるべきものが、
「相手が見て、こちらを示している」
 ということになりかねないと思えるのだった。
 ただ、それは警察の捜査というものだからであろう。
 いわゆる、
「探偵小説に出てくる、名探偵」
 と呼ばれるものは、独自の発想と、警察がしない方法で、犯人に辿り着こうとする。
 それを考えると、
「探偵小説」
 というものが、流行った理由も分かるというものだ。
 というのも、
「警察の通り一遍の捜査ではなく、探偵の胸のすくような発想から、犯人を追い詰める」
 というような探偵小説も結構ある。
 それこそ、探偵小説の中での、
「本格探偵小説」
 と言われるものではないだろうか?
 そもそも、本格探偵小説というのは、元々あった発想のようだが、実際にそれを口にしたのは、日本の小説家だという。
 まずは、本格探偵小説の定義として、
「トリックや、謎解きなどの爽快なシーンをラストに持たせるために、途中においての、探偵の捜査であったり、地道な活動が最終的な、名探偵と呼ばれる人が出てきての、解決編というものが存在するのが、本格探偵小説と呼ばれるものだ」
 ということだ。
 だったら、
「変格探偵小説」
 というものがどういうものなのか?
 というと、それは、
「探偵小説という括りの中で、本格探偵小説に含まれないもの」
 というものを、
「変格探偵小説」
 というのだという定義であった。
 それだけ、本格探偵小説と呼ばれるものが、王道のようなものであり、探偵小説もジャンルを広げるとすれば、新しいジャンルが出てきても、大きなジャンルとすれば、それは、
「変格探偵小説」
 でしかない。
 ということになるのだ。
 探偵小説の中で、
「本格探偵小説というのは、そもそも、警察の捜査が通り一遍であるということから、爽快なストーリーということで、そういう謎解きが、探偵によるものということで、探偵小説というジャンルができたのだろう」