小説の書かれる時(後編)
というのは、
「自分が逃れたいのが、借金取りからだ」
ということを考えれば、この理屈は分かりそうなものなのだろうが、そうもいかないだけ、切羽詰まっているということであろう。
いわゆる、
「トカゲの尻尾切」
というのは、
「一つのことを解決するつもりでいたとしても、それは、目の前のことだけが解消されたことであり、根底にある事実が消えるわけではない。
というのが、
「お金は返しても、返しても、借金がなくならない」
ということであった。
もちろん、借りた金がいくらなのか?
ということが問題になるのだろうが、
「例えば、借りたお金が、300万円だったとしようか? そのお金の返済期間が一年だったとして、年利に、20%が掛かったとしよう」
もちろん、借金のことをまったく知らない人間の勝手な推測でしかないのだが、それを踏まえてのたとえ話だということを考えて、聞いていただきたい話であるが、そう考えると、
「借金を、全額返そうと思っても、300万円のうち、100万だけを返せたとして、利子に、60万がついていたわけで、残りは200万ではなく、利子を含めると、260万円だということになる」
つまりは、もっとお金を貯められなければ、
「利子だけを返し続けていって、元本は永遠になくならない」
ということになる。
それこそが、
「とかげの尻尾切り」
のようなものであり、
「悪徳金融機関」
は、そこに乗じることになるのだろう。
相手は、
「リアルにお金に困っている人だ」
といえるだろう。
いかに、お金を返すことに、リアルの分かっている人であるなら、
「いくらお金に困っているとはいえ、もっと他から借りることを考えるだろう」
つまり、こうなることが分かっているからである。
それに、金融機関によっては、
「悪徳というべきか、それとも、浅はかなところ」
というようなそんなところは、実に厄介だといえるのではないだろうか
彼らが考えるのは、一種のバブル経済における、
「銀行のやり方」
ではないだろうか?
バブル期における銀行のやり方は、普通に考えれば、
「タブーだということは、ちょっと考えれば分かることなのだろうが、当時は何をやっても、金が儲かるような仕掛けになっていただろうから、やった者勝ちと言ってもいい時代だったのだ」
というのは、
「銀行などの金融機関の貸し付けにおいての利益」
というのは、地目瞭然、
「利子」
というものである。
こちらは、手数料と同じで、
「利用する人が増えたら、その分、手数料収入が増える」
ということで、それだけの、
「一定数の人がいないと賄えない」
ということであろう。
それこそ、一種の、
「自転車操業」
のようなものであるのだが、バブル期においては、それが、すべてうまく回っていたということなのだろう。
というのは、そもそも、
「バブル経済というものが、そのすべてが、実態のない、
「泡のようなもの」
ということで、
「うまく回っていてもいなくても、見えているのは、うまく行っているところだった」
といってもいいだろう。
その実態が見えてくる時というのは、
「すでに首が回らなくなった時」
というのが皮肉なことであろう。
そして、本来であれば、一番このあたりの仕組みを理解しておかなければいけないはずの銀行が盲目になっていたことが、バブルをつくった、そして、その崩壊に対しての責任の大きさというものでいけば、かなりの部分を捉えているといってもいいだろう。
何といっても、
「銀行の罪」
というのは、
「過剰融資」
というものであろう、
過剰融資というのは、
「利益部分」
というものが、利子であるとすれば、
「利子をたくさん、貰おうとすれば、どうすればいいのか?」
ということであるが、
「そんなことは算数ができるのであれば、子供にだって分かることだ」
ということである。
子供の方が、純粋に考え、
「ひょっとしたら、そんなことをすれば危ないのではないか?」
ということを考えない。
だからこそ、
「子供の発想なのだろうが、大の大人が、どこの銀行の人間も、さらには、それを管理する、経済省のようなところのお偉いさんにも分からないというほど、バブル経済というものの方が、きちっと形になっていたのかも知れない」
といえるだろう。
「利子を増やすには、元本が高くなれば、それだけたくさんになる」
ということである。
言っておくが、当時の銀行は、
「騙そう」
などという意識はまったくなかっただろう。
そんなリスクしかない考えを持たなければいけないほどではない。
何といっても、事業を広げれば広げるほど、借主の方は儲かるのだ。
つまりは、
「貸す方の親切であり、アドバイスでもあったのだ」
しかし、それが、一歩間違えてしまうと、返せるのは、利息だけ」
ということになり、結果、元本だけがの折る、永遠に消えない借金ということになる。
もちろん、銀行では、そんな法外な利息などないだろうが、今の預金利息における、
「法定利息は、今とでは、桁が違う」
といっておいいくらいだ。
「今利息が、1万円の借金であるが、バブル前であれば、10万円の利息がついた」
といっても過言ではないだろう。
だから、昔は、たくさん銀行に預金していれば、
「利子だけで食っていける」
と言われていた時代があったのだ。
今であれば、
「そんな夢物語があるわけはない」
ということになる。
だからこそ、今の時代から言われ始めたことに、
「箪笥貯金」
という言葉があるのだ。
昔は、
「経営破綻などありえない」
と言われた銀行であれば、
「やばければ、下ろせばいい」
ということであったが、
今では、
「ヤバイ」
と思った瞬間、もう時すでに遅し。
ということになるのであった。
だが、今では、そんな過剰融資でも、
「犯罪行為に近い」
といってもいいかも知れない。
銀行では決してしないが、サラ金と呼ばれるものでは、行われていることなのかも知れない。
ただ、お金に困ってくると、
「どうしても、借金してしまうことになるのは、今の昔も同じだ」
といえるが、それも、今はリアルで借金するというほど、貧しい人が一定数いるのだろう。
「経済というものは、バブル崩壊後、まったく給料が上がっていない。それは賞与も同じだ」
ということであるが、ニュースなどを見ていると、
「経済は、成長傾向にある」
といって、例えば、
「夏のボーナスの平均金額」
ということで言っているのを見ると、自分が貰っている額の数倍ではないかと思う人が果たしてどれくらいいるというのだろうか?
そう、テレビなどで言っているのは、あくまでも、
「平均」
ということである。
どの単位で統計を取ったのか分からないが、
「会社の規模」
であったり、
「貰う人間の、役職、年齢によっても、まったく異なってくる」
だからと言って、今度は、
「年齢」
というもので輪入りにしたとすれば、その金額差は、その人から見て、さらに差が激しということになるかも知れない。
つまり、それだけ、
作品名:小説の書かれる時(後編) 作家名:森本晃次