小説の書かれる時(後編)
「温泉なんかどこだってあるじゃないか?」
というと、
「そう思うだろう? だけど一度来てみろよ。あんなに落ち着けるところはないぞ」
というのだったが、
「どうせ、効能を聴いても、どういうものなのかということがよく分からないので、それ以上は聞かないでおこう」
と考えるのだった。
そういえば、彫刻を作るようになってから、どこかド億に行くこともなくなった。学生時代の修学旅行がいいだったといってもいいだろう。
修学旅行は東北地方だったので、寒かった思い出が一番だった。
東北地方でいった場所を思い出していると、あれはどこだったか、誰かの武将のデスマスクがあったような気がした。
デスマスクを触ることはできなかったので、ショーケースに入っているものを見るだけにとどまってしまったが、そのデスマスクを見た時、ちょうど、クラスメイトの一人が、面白いことを言いだしたのだった。
「俺は、以前、デスマスクを送られたという人が、死んだという話を聞いたことがあったんだけどね」
というではないか。
「どういうことなんだい?」
と聞くと、
「デスマスクというのは、読んで字のごとしで、死んだ人間の顔形で作るものなんだよ。だから生きている人のデスマスクを作ったりすると、出来上がってから、死ぬまでの間、一番死にやすいということになるのさ」
ということであった。
それはあくまでも、デスマスクというものが、いかなるものなのかというとこを知らない時に聴いた話だったので、自分たちがデスマスクというものの話を知った時、
「あの修学旅行の時、もっとしっかり聞いておけばよかった」
と思うのだった。
修学旅行に行く時、旅行委員が、それなりのパンフレットを作るものだが、なぜか、デスマスクのことに触れることはなかった。
触れてしまうと、
「デスマスクというものの正体が何であったのかを知らずに見ていたことの無知を、自分の中で後悔するのだった」
だから、旅行から帰ってきてから、意地でも、デスマスクについてネットで調べてみるのだ、
修学旅行中であれば、まわりから、
「何をいまさら」
と思われるのであって、何が嫌かというと思われる内容よりも、
「何かを気にしている」
と思われる方が嫌だということであった。
修学旅行から帰ってきてから、友達の中には、
「デスマスク」
というものについて、皆それぞれに調べるようだが、それぞれに調べたことを聞いてみると、微妙に理解していることが違っている。
「人の数だけ違う」
ということなので、人が多ければ多いほど、その解釈の羽場は広いというものであった。
そんなことを考えていると、
「デスマスク」
に限らず、
「恐怖というものは、恐ろしさという大きさの度合いに、怖いという感覚が重なることで、平面が立体に変わっていく」
ということになるのだった。
「デスマスクを送りつけてきたのは、一体誰なのか?」
ということが、本当は問題なのだろうが、それは、送られた佐久間には分かっていた。
しかし、それを公表するわけにはいなかい。それどころか、少しの間だけでも、
「そんなものが送られてきた」
ということを公表してはいけない。
ということでもあった。
そもそもデスマスクというものが、昔から言われているような迷信に引っ掛けて送ってきたものなのか、それとも、他に思惑があるのか、送ってきた相手について、心当たりがある佐久間には分かっていることだろう。
しかし、だからといって、それを公表しようというのは、おこがましいことであり、そもそも相手も、
「佐久間だったら、公表するようなことはしないだろう」
と考えることから始まっていたのだ。
佐久間は、彼女もおらず、気ままな生活だと思っている。
もちろん、女が嫌いだというわけではない。どちらかというと、女性は好きだったといってもいい。
ただ、その
「好きだ」
という感覚が他の人とは違う。
あくまでも、
「美の対象として見ている」
と言った方がいいだろう。
耽美主義というのは、
「何をおいても、美というものが優先される」
ということであるから、女性というものに対して、自分の中の概念としても美さえ備わっていれば、
「好きの対象」
になるというわけであるが、逆に、
「美の対象にならなければ」
女性であっても、却って、気持ち悪いものに思えるのだ。
佐久間は、昔から、
「徐栄の好みに対してはストライクゾーンが広い」
と言われてきた。
だが、それは、
「少々の相手でも許容する」
というわけではない。
どちらかというと、野球でいえば、
「悪球打ち」
と言えばいいのか分からないが、一般男性が、
「キレイだ」
と思う女性よりも、少し変わった個性を持った女性に惹かれていた。
だから、人によっては、
「佐久間は、趣味が悪い」
と見ている人もいれば、額面上のように、
「ストライクゾーンが広い」
と思っている人もいるだろう。
佐久間としては、
「そんな噂のために、人を好きになるわけじゃない」
ということで、特に、誰もが可愛いという女性を気にすることはなかったのだ。
それは、子供の頃に、女性に対してのコンプレックスがあったからだ。
というのは、
「お坊ちゃまだった」
ということもあって、当時家にいた家政婦から、あからさまに、
「子供扱いされたことが、嫌だったのだ」
というのも、自分が金持ちの坊っちゃんであるということが、プレッシャーであり、コンプレックスだったのだ。
実力もないくせに、金の力でへいこらするまわりの人間。さらに、それを受け容れてしまっている自分にも嫌気がさしていた。
それがプレッシャーとなり、コンプレックスとなっていたのだった。
そんな佐久間だったが、好きだった女性もいたのだ。
それは、中学時代の学校の先生だった。
その人は、美術部で、石膏細工を教えている人だった。
その先生は、よく、ミロのビーナスを気にしていた。そして話しているのは、
「石膏像の中には、美というものが埋まっている」
ということを話していたことだった。
石膏像の中で、
「その美しさというものがどういうことか?」
ということをその先生と話をしたことがあった。
もっとも、その時は、
「先生の美しさに触れたい」
という意識だけがあったので、石膏像の話というのは、
「あくまでも言い訳」
というわけであり、
「自分にとっての、欲求を達成したいという手段にしかすぎなかった」
ということであった。
しかし、先生は、その時、興奮状態になっていて、
「自分の意見に賛同してくれそうが人が見つかった」
と思ったのではないだろうか?
「自分の意見を信じて疑わない」
という気持ち間違いなく強かったのだろう。
しかし、それが、自分の中で、どこまで信じていいものなのか、自分でも分からない。
それを実質証明するとすれば、
「自分の意見や考え方に賛同してくれる人を見つけて、初めて、スタートラインにつくことができるのだ」
というのが、その考え方だったに違いない。
それを考えると、
作品名:小説の書かれる時(後編) 作家名:森本晃次