小説の書かれる時(後編)
というものが、瞬殺で行われたということだったのだ。
佐久間という男、実はあまり知られていないが、学生時代には、
「共産主義者」
ということで、仲間内では阿有名だったという。
だから、
「同志」
という言葉を言われても、学生時代の身近にいる人の方が、しっくりきていたようで、
「佐久間さんなら、それでいいんだ」
と思っていた。
というのも、
「学生時代というのは、社会人になってからよりも、おかしなやつが多かった」
ということである。
それもそのはず、
「会社は、社員を厳選するのだから、変な人を社員にすることは極力しない」
ということで、会社には、総務部かあり、人事がいるのではないか。
特に、
「反政府主義」
であったり、危険分子と思われる人は、入れないようにいしていることだろう、
ただ、今の時代であれば、
「個人情報保護」
という観点であったり、コンプライアンスというものを考えて、面接で受ける方が不快に感じるような質問はしてはいけないだろう。
昔であれば、十分に、応募してくる社員候補のことは、事前に調べ、家族構成まで調べ上げるというのが当たり前だっただろう。
特に、
「学生運動であったりする、反社会主義勢力を感じさせる人を入社させるなど、しなかったに違いない」
やはり、
「民主主義」
というものは、
「自由・平等」
ということが叫ばれるが、あまりにもそれが強いと、選択が甘くなってしまい、
「入社させてはいけない相手を入社させてしまった」
ということになりかねない。
それを思うと、
「同志」
などという言葉を使う男は、
「危険人物」
と見なされるだろう、
しかし、幸か不幸か、佐久間は、会社に入るということをせずに、芸術家の道を歩むことになったのだった。
ただ、芸術家になると、相手は、注文を入れてくるだけのところであり、定期的な営業相手ということでもないので、
「彼がどんな人間であるか?」
ということは、関係ないのであった。
彼も、工芸作家であるということを考えれば、
「デスマスク」
というのを誰かが送ってきたとしても、それは別に、
「気持ち悪い」
という気持ちにはならないのであった。
というのも、
「同じ、工芸仲間だ」
と考えたからであったのか、それとも、
「送ってきた人に心当たりがある」
と考えたからなのだろうか?
とにかく、送り主に関しては、明らかに、偽名であり、住所もでたらめであることは分かっていた。
ただし、その名前も住所も、
「まったく存在していない」
というわけではなかった。
というのは、
その男、(いや、女かも知れないが)。
その送り主の名前は、実は、佐久間の本名であった。
しかも、書いてある住所は、佐久間が昔住んでいたところであり、実在はしているが、今はそこに誰が住んでいるのかということは分からなかったのだ。
「別に隠しているわけでもないので、調べようと思えば調べられるのだろうが、何をわざわざ調べてまで、送りつけてきたというのか。これでは、嫌がらせではないか?」
ということであった。
確かに嫌がらせというには、効果はあるだろうが、嫌がらせを受ける覚えがないので、気持ち悪かった。
それなりに、心当たりがあれば、手の打ちようもあるのだが、本人にとtって、
「まったく心当たりがない」
ということであれば、そこにどんな曰くがあるのかということを考えると、気持ち悪いとしか思えない。
相手が見えない嫌がらせほど、気持ち悪いものはない。
少しでも見えていれば、誰かに相談や、警察に直接通報したり、それでもダメなら、
「それなりの民間の探偵にでも頼む」
ということもできるのだ。
佐久間には、それくらいの金はないわけではなかった。
親が死んで、遺産がある程度転がり込んできたのであった。
だから、工芸作家というような怪しげな商売を、何とか続けていけるということであったのだ。
実際に、知り合いが見ていて、
「それほど売れているわけでもないのに、よくやっていけるな」
ということを感じているのだった。
佐久間が、自分の才能をどう考えているのか分からないが、本人は、
「楽しくできればいい」
と言っていた。
それは聴きようによっては、
「自分に実力はないんだ」
ということを自覚はしているが、それでも、工芸は楽しいということで、
「楽しければそれでいい」
といっているに違いない。
それを考えると、
「実力がなければ、仕事をこなしているうちに、身に着ければいい」
ということで、焦ることなく、自由に仕事を謳歌しているようにも見えたのだ。
しかし、
「工芸の仕事だけで、一軒家に澄み、さらには、アトリエまで持って、よく生活ができるな」
と思っている人もいたようだ。
しかも、彼は、
「相当なものぐさで、一人暮らしなど、よくできるな」
ということを思っているほどだったという。
というのも、
大学時代でも、皆でどこかに出かける時、
「あいつは何もできない」
ということで、
「坊っちゃん」
というあだ名をつけられていたのだ。
しかも、佐久間は、
「坊っちゃん」
と言われることに、嫌な顔一つしなかったのだ。
普通であれば、
「坊っちゃん」
と言われることは、
「侮辱だ」
と考えるのが当たり前であろう、
しかし、そう感じないということは、
「坊っちゃん」
という言葉が、皮肉であるということを分かっていない証拠だ。
ということは、
「やつは、本当の坊っちゃんなのだろう」
ということであり、だからこそ、皮肉を皮肉と捉ええることをしない、やはり、
「マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる」
という考えの持ち主なのかも知れない。
それを、
「楽天的」
という言葉で片付けるのか、
あるいは、
「ただのバカだ」
と考えるのか、それこそ、その人の捉え方なのだろうが、まわりの意見としては、
「やはりバカなんだろうな」
というのが、大方の意見のようだった。
佐久間とすれば、皆がそんなことを言っていることを分かっていない。
だから、隠すこともなく、一定の人には、
「親の遺産が入って」
ということを言っていた。
それも、計算の中に、
「彼らくらいであれば、少々はたかられたとしても、こちらも利用できていいのかも知れない」
といえるであろう。
佐久間はまわりが考えているよりも、結構したたかで、計算高いところがあった。だから、余計に、
「頭が悪い」
と思わせたり、
「何を考えているか分からない」
と思わせるように仕向けていたに違いないのだ。
「坊っちゃん」
と言われることが嫌であったら、もっとまわりの人に文句を言っているかも知れない。
ただ、佐久間という男は、なぜか友達に、松山の人が多く、皆から、坊っちゃんと言われていることで、松山出身の人が自然と集まってくるということだった。
松山には、行ったことがないのだが、友達の様子を見ていると、
「松山というところがどういうところなのかが分かってくる」
というものだった。
「とにかく温泉が気持ちいいのさ」
と言われたが、
作品名:小説の書かれる時(後編) 作家名:森本晃次