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記憶の原点

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「紙をねじらせて、反対側同士をくっつける。その場合、どちらか片面の中心をボールペンで線を引いてくると、そもそも、反対側を止めているのだから、その二つの線が出会うことはない」
 ということである。
 しかし、それが本当にできるのだとすると、
「無限ループとして続くものではありながら、最後にはどこかで結びつく」
 ということを、タイムマシンのような、
「時間というものを、限りなくゼロに近いものだ」
 と考えたとすると、
「交わることのない平行線」
 が交わるのだという発想になるのではないだろうか? 
「記憶を失う」
 というのは、どういうことであろうか?
「何かショッキングなことがあるから、記憶を失う」
 ということがあるだろう。
 いわゆる、
「トラウマになりそうなショックを見た場合」
 などである、
 ドラマなどでよくあるのは、子供の頃に、殺人や、大事故を目撃したために、そのことを思い出したくないという時に起こるという場合が多い。
 だから、
「自分から、記憶を失う」
 ということに走るのだろう。
 ミステリーや、サスペンスドラマなどでは、
「殺人現場を見てしまったので、それで記憶を失った」
 ということになると、その人が、
「犯人に狙われる」
 ということもあるだろう。
 そういう記憶喪失は、突発的なものだから、記憶が戻る時も、
「突発的に戻る」
 ということもあるということであろう。
「記憶というものは、意識があってこその、記憶だ」
 といえるだろう。
 意識の中に、
「記憶として格納するかしないか?」
 というものがあったとして、
「無意識の中の意識」
 とでもいっていいような、
「潜在意識のようなもの」
 の中には、
「記憶を格納する」
 というものが、デフォルトで存在しているのかも知れない。
 つまり、
「何らかの意識が働かなければ、意識というのは、記憶として格納されるということを、本能のように感じるのであろう」
 ということになるのだろう。
 だから、
「意識を記憶として格納していないのだとすれば、それは、最初から、意識して、記憶しないという気持ちが働いているということになる」
 そう考えると、
「記憶したくないという意識を自分で感じることなく、覚えていないというのは、理論的にあり得ることなのだろうか?」
 と感じるのだ。
「矛盾しているのではないか?」
 と思うと、
「意識は、必ず自分の中のどこかに格納されていて、何かのショックがあって思い出したくないということで、記憶がなくなったと思いたいという意識が、記憶喪失という言葉で表されているのかも知れない」
 と感じる。
 だとすると、
「記憶喪失ということのメカニズムが、解明されていないところで、とにかくこの症状の名前を付けなければならない」
 ということになると、出てきたのが、
「記憶喪失」
 という名前だったのではないか?
 ということである。
「記憶喪失」
 という状態で、
「犯人を見たかも知れない」
 という被害者を、警察は、時として、その人が、
「被害者である」
 ということを忘れて、自分たちの捜査を優先するために、責め立てるというような、非常な捜査をする時がある。
 さすがに、まわりが見ていう時に、そんなことになると、家族などは、何ともたまらない気持ちになるだろう。
 見かねて医者が、
「これ以上は辞めてください」
 ということになるどう。
 もちろん、医者が立ち合うというのは、患者の状況にもよるのだろうが、
「医者が立ち合っていれば、それだけ症状がひどい」
 ということも分かるというものだろうに、それでも、
「捜査のため」
 ということで、警察の尋問は、容赦がない時もえてしてあるものだ。
 そんな状態を、他の第三者が見ればどうだろう?
「警察の立場なのだから、それも当たり前だ」
 といって、見逃すだろうか?
 普通であれば、第三者がそんな場面を見て考えることといえば、
「明日は我が身」
 ということであろう。
 自分だって、いつ、この被害者のようなことにならないとも限らない。人間というのは、「いつどこで、恨みを買っているか分からない」
 というものだ。
 それを考えていると、
「俺が、目の前で警察に尋問されている立場だったら?」
 と考えたら恐ろしい。
 警察から、脅迫を受けているように、責め立てられ、
「思い出さないといけないんだ」
 という強迫観念に、どうしていいのか分からず、頭を抱えて苦しんでいるに違いない。
 そんな状況を見ていて、苦しめられているのが、自分だと思うと、これほどやり切れない思いもないというものだ。
「警察って、結局、自分の仕事のことしか考えていないんだ」
 ということである。
 大体こういう場面の時、警察がいつも、執拗に攻め立てて。患者が苦しんでいるところを、医者はギリギリまで我慢して、そこで、
「これ以上の尋問は辞めてください」
 ということになるのだろう。
 刑事の方とすれば、
「ここが、大切なところなんです。もう少し」
 と言いたくなるだろう、
 しかし、医者としては、
「これ以上はまずい」
 というギリギリのところまで我慢していたのだから、ここから先は、口調もなかりきついというものだ。
「私は医者です。私は、患者の命に責任があるんだ。尋問は中止してください」
 といって、刑事を睨むと、さすがに刑事も我に返って、何も言わなくなる。
 医者の方も、どこまでが、自分の領分なのかということを分かっているだろう。
 ただ、これもムスカしいところで、あまり我慢しすぎると、せっかくの患者が、ひょっとすると開きかけている心を、また閉ざしてしまおうとしているのかも知れない。
 そんなことを考えると、医者も、自分の立場に、恐ろしくなることもあるだろう。
「刑事さんだって、仕事なんだ。しかも、犯人逮捕をすることは、患者のためになる」
 ということは分かっている。
「犯人が逮捕された」
 という事実が、患者にどれほどの安心感を与えるか分からない。
 ただ、そうなると、被害者の証言はいらないということになるのか?
 であるが、
「いや、そうではないだろう」
 犯人が捕まっても、証拠不十分で、釈放ということもある。そのためには、被害者の証言が一番のキーであり、その証言だけでも、犯人を追い詰めることができるのではないだろうか?
 そんなことを考えると、
「被害者でありながら、証人でもある被害者の立場は微妙であり、証人としての立場から、少しでも苦痛を取り除いてあげるには、やはり、医者の力が必要なのだ」
 といえるであろう。
 そんな記憶のキーパーソンとしての医者の存在も大きなものであろう。
 記憶喪失であるが、可憐は最近、
「自分が記憶喪失なのではないか?」
 ということを考えるようになった。
「意識する中から、記憶を格納しているところに辿り着き、そこに格納されている記憶を引っ張り出そう」
 という意識はあるようだった。
 しかし、本当に、
「その記憶というものが正しい記憶なのだろうか?」
 ということになると、自分でも、よく分からなくなるのである。
「記憶というものが、曖昧だとは、本人には分からない」
作品名:記憶の原点 作家名:森本晃次